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77 やるしかない

 十月二十八日、秀英祭初日。

 『第三十五回 秀英祭』と書かれた手作りのアーチ状の門を抜けると、すぐさま露店の売り子たちの威勢の良い声が聞こえてくる。本日は日曜日ということもあって、キャンパス内はすでに人でごった返しており、スムーズに前へと進めない。橘川夢多は身体を横にして、器用に人の間を縫って歩いた。時折、肩にかけたショルダーバッグが人に当たり、「すみません」と謝った。

 午前十時過ぎ。橘川はたった今登校してきたところである。『秀英祭ツアー』は正午よりスタートだ。最初のツアー客をガイドした後、午後三時よりいよいよ綾川チロリを含む三人のアイドルたちをガイドする。初日はその二回のみで、明日からは午前中より計四回ガイドを行う。ただし、大田早苗がミスコンで落選すれば、翌日からは彼女がガイドを変わってくれるという。

 橘川は紺のスーツに身を包んでいた。首にはネクタイも巻かれている。無精ひげは綺麗サッパリと消え失せ、珍しく髪の毛もセットしていた。その格好は表面的には秀英祭ツアーガイドとしての衣装、あるいは小道具のようなものであったが、彼にとっては別の意味合いもあった。

 チロリちゃんと話ができるんだ。キチンととした格好しとかないとな。

 というわけである。

「兄ちゃん、兄ちゃん」

 秀英大の敷地のほぼ中心に位置する大講堂の近くで、一人の青年に声をかけられた。髪を茶色に染め、秀英祭公式のはっぴを着ている。「夕方のトークショーのチケットあるけど、買わない?」

 トークショーは大講堂にて行われるのだ。橘川はもちろん首を振った。

「もう持ってるんだ」

 スーツの胸ポケットから二つ折りにしたチケットを取り出し、青年に見せつけた。



「おはようございます。キまってますね」

 秀英祭ツアー本部、文学部演習室のドア(本日より『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた紙が貼られている)をガラッとスライドさせ、ほんの少し間が空いた後、部屋の中にいた大田早苗がそう言って微笑んだ。橘川は少しドキッとしてしまった。いつも地味な服装をしている早苗が、明るいレモン色のワンピースを着用し、眼鏡もかけていなかったからである。普段から美人なのに、今日はまた一段と輝いて見える。ようするに橘川は彼女にときめいてしまったのだ。

「お、おはよう」

 橘川も笑顔を見せた。「このスーツ着たの入学以来かもしれない。タンスにホコリ被って眠ってたよ」

「もったいないですよ。似合うのにな」

 そう言って早苗はまた笑った。橘川は思わず彼女から目をそらした。ダメだダメだ、俺にはチロリちゃんがいる、などと考えながら。

「あれ?」

 話もそらすことにする。「他の皆は? 藤岡くんや皆岡くんは」

 部屋には橘川、早苗の他に、席に座りなぜか読書に励んでいる控え目女子大生の貴美のみがいた。

「みなみちゃんと一緒にトークショーの実行委員たちと打ち合わせをしています」

 早苗は言った。

「う、打ち合わせか……」

 なんとなく緊張してきてしまい、ふうと息を吐く橘川。

「アイドルさんたちを秀英祭ツアーで連れ回した後、今度はすぐトークショーですからね。しっかり段取りを練っておかないとぐだぐだになっちゃいます。まあ、それぐらいは事前にちゃんとやってるんで、今は最終確認程度のものですけど」

「なるほど……」

 橘川はばつが悪そうに指で頬をかいた。「なんていうか、俺だけのうのうとこんな時間に来ちゃって悪かったな……」

「いいんです」

 ツンとした表情になる早苗。「昨夜あの三人、ここで飲み明かしたんですよ。朝私が来た時は二日酔いでベロンベロンになってました。その罰なんです」

「なるほど」

 昨夜は前夜祭が行われた。橘川はバイトとチロリ出演の深夜番組があったため、早々に帰宅していたのだ。

「最初のツアーを終えた後、アイドルさんが到着してからは、アイドルさんや、テレビクルーの人とも打ち合わせを行います。そちらには橘川さんも参加してくださいね」

「テ、テレビクルー!?」

「はい」

 何を驚いているんだ、というふうに早苗は目を丸めた。「毎年恒例ですよ? 夕方の番組で、うちと昭和院の学園祭対決の特集をするんです。今年は共にメインイベントを初日に持ってきてますからね。もちろん、橘川さんもテレビに映ること間違いなしです」

「う、嘘だろ……」

 へなへなと腰を折る橘川。アイドルたちをガイドするということだけでも充分緊張するというのに、おまけにテレビカメラまで入るとは。「お、俺なんかで大丈夫かな……」

「橘川さんがそんなんじゃダメですよ」

 仏頂面で首を振る早苗。「向こう(昭和院)はプリンセス雅のマジックショーですからね。こう言っちゃなんですけど、うちの、アイドルさんたちのただのトークショーじゃ、歯が立たないと思います。ですから、秀英祭ツアーを通してアイドルさんたちを学生や一般客さんたちと触れ合わせるというアットホームな企画こそが秀英祭の勝利の鍵を握っているわけです。橘川さんたちにかかっているのですよー」

「うう……」

 橘川は胃が痛くなった。余計に緊張させるなよ、と思う。



 胃を押さえて橘川が椅子に座ろうとした時、早苗が唐突に言った。

「それじゃあ、私はそろそろミスコンに向かいます」

「え? もう?」

 椅子の背もたれに手をかけた状態で静止し、早苗に顔を向ける橘川。「俺はどうすりゃいいの?」

「藤岡くんたちが来るまで待機しててください。それから正門へ行って最初のツアー客を募ります」

 正門の方角を指差す早苗。アーチ状の門が作られていたあの場所である。「あ、今のうちにご飯も食べちゃってていいですから」

 昼食は登校中にコンビニで調達しておいた。

「分かった」

 橘川は言った。「それじゃあ、ミスコン頑張ってね」

「はい」

 早苗はまたニコリと笑った。「今日はガイドよろしくお願いします。私がミスコンで予選落ちしなかったら、明日もよろしくお願いします」

「う、うん」

 そう返事をしながら、橘川は早苗の姿をもう一度まじまじと見つめてみた。簡単には落選しないだろうな、と思った。 

 早苗が退室した後、橘川はショルダーバッグの中から、昼食の幕の内弁当を取り出した。割り箸を割ると同時に、「よし!」と自分に気合を入れる。読書を続ける貴美がチラッと橘川の顔を一瞥した。

 とにかくやるしかない! ガイドしてガイドして、ガイドしまくってやるぞ!


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