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75 ガイドは引き受けた

 翌日。昨日と同じ服装の橘川は、秀英祭ツアーの実行委員本部、文学部演習室の窓際の席で、頬づえをつき、窓の外をぼうっと見つめていた。

 橘川の予想どおり、秀英大学のキャンパスは雨に見舞われた。それほど激しい雨ではない。小降り程度だ。朝から降り続けて、午後九時を回った現在もまだ降っている。

「橘川さん。ボーっとしてないで、早く書き上げちゃいましょう」

 隣の席に座る藤岡が言った。橘川は「あ、ああ」と返事をしてから一度背伸びをし、机の上に目を落とした。彼は藤岡と共に秀英祭ツアーの参加客に渡す冊子のイラストを描いているところであった。

 雨だからといって、秀英祭の準備を滞らせるわけにはいかない。昨日と同様に、学園内にはまだ多くの生徒が残っていた。中には学舎に寝泊りしている生徒もいるのだという。



 教室内には藤岡の他に、肥満気味の男子生徒皆岡と、おとなしく滅多に喋らない女子生徒貴美の二人がいた。彼らは二人で『台本』を練っているらしかった。ツアー客を先導するガイド、つまり早苗のための台本である。ポイントごとの案内人の台詞は、案内人がそれぞれ自分で用意することとなっていた。そちらについては橘川もなんとか済ませてある(結局、面白味のない退屈な説明文に落ち着いた)。

 リーダー早苗の姿は先ほどから見かけなくなっていた。もう一人のメンバーである一年のギャル系女子生徒みなみを連れて、案内人探しに躍起となっているのであろうか。

「藤岡」

 皆岡が言った。藤岡と同時に橘川も振り向く。皆岡は部屋の後方の壁に貼ってある秀英祭ポスターの前にいた。「ん?」と言って立ち上がる藤岡。皆岡のもとへ向かう。「この三人の中で誰が一番タイプだ?」

 その言葉を聞き、少しだけ動揺してしまう橘川。イラスト描きに専念するフリをしながら、耳の穴を二倍ほどの大きさにまで広げる。この三人とは綾川チロリを含めた秀英祭のゲストたちに他ならない。

「なんだよ。くだらないこと言ってないでさっさと台本仕上げろよ」

 うんざりとした声で藤岡はそう言うものの……。「そうだな。三人とも微妙だけど、付き合ってやってもいいのはやっぱ内藤ちえ美かな」

 鏡を見ろ! バカ!

 心の中で毒づく橘川。

「やっぱちえ美かー。でも胸小さくね? 俺としては巨乳の滝田亜佐美かなー。あ、橘川さん?」

 突然名前を呼ばれ、ビクッと肩を震わせてしまう橘川。皆岡に顔を向け「え? なに?」と返事をする。「橘川さんはどうですか? 三人の中で誰が好みですか?」

 橘川もポスターの前に移動する。

「うーん、そうだな……」

 そんなことを言いつつも答えは決まりきっているわけだが。

「こいつだけは無理ですよね」

 綾川チロリの写真を指差し、藤岡が言う。「前のドッキリ見ました? めっちゃ不細工な泣き顔テレビで晒してたんですよ」

 お前は黙ってろ!

「そ、そうなんだ」

 もちろん知っている。「俺はこの子嫌いじゃないけどなー。性格も明るそうだし……。でも一番はやっぱちえ美かなー」

 素直になれない橘川であった。



 イラスト描きを再開してから数分後、早苗が一人で教室に戻ってきた。早苗の顔を見て橘川はギョッとした。早苗は悲しんでいるような喜んでいるような怒っているような、とにかく一筋縄ではいかない複雑な表情を浮かべていたのだ。おまけに、髪が雨に濡れ風に吹かれ、激しくかき乱れている。

「橘川さん」

 他の生徒には目もくれず、早苗は一直線に橘川のもとへと歩み寄ってきた。近くで見ると、彼女が上に羽織った茶色のコートはじっとりと湿っており、彼女がかけた眼鏡のレンズにも水滴が見える。ペンを置く橘川。「案内人見つかりませんでした。すみません」

「そ、そうなんだ……」

 橘川も伝染して複雑な表情を浮かべる。「今のところ何人ぐらい集まってるの?」

「はい……」

 肩を落として早苗は答える。「一人です」

「ひ、一人って……」

 橘川は自分を指差した。「俺だけってこと?」

 コクリと頷く早苗。

「私が馬鹿でした。愚かでした。アマノジャクでした」

 早苗の声は今にも泣き声に変わってしまいそうだった。「案内人なんて集まるはずなかったんです。皆、サークルとかの出し物で忙しいのに……。橘川さんが名乗り出てくれたおかげで、この調子で三十人ぐらいは簡単に集まると思っていました」

 三十人はさすがに無理だろうな、と橘川は思った。「もう案内人というアイデアは止めにします。場所ごとのイベントなどの説明も、案内人ではなく全てガイドが行いたいと思います」

「そっか」

 早苗がこれほどまでに恐縮しきっている理由が分かった。自嘲気味に笑う橘川。

 結局、チロリちゃんと話をすることはできなかったか……。

 それも致しかたないことなのかもしれない。文学部だけに案内人が付くのも不自然だろうし、効率も悪そうだ。きっといつか、握手会などのイベントで綾川チロリと話をすることは叶うはず。そう信じ、今回はあきらめようと橘川は思った。

「本当にすみません。橘川さんに頼ってばかりで」

「いや……。ん?」

 ん? 頼って?

 橘川は訝しげに早苗の表情を窺った。すると、彼女の目つきが上目づかいに変わっているということに彼は気がついた。少しだけ身を強張らせる。「な、なに? まだなんかあるの?」

「すみませんすみません」

 うつむいてしまう早苗。「私は馬鹿でドジでノロマでトーヘンボクで……」

「そんなに自分を責めないで」

 橘川は優しく早苗に微笑みかけた。「俺にできることなら力になるよ」

「ありがとうございます」

 早苗はペコッと頭を下げた。そして、また上目づかい。「実は……。藤岡くん、皆岡くんと一緒にガイドに回ってほしいんです」

 え……?

「えーっ!」

 最初に声を上げたのは藤岡であった。「なんで俺たちなんだよ。お前は何するんだ?」

「ミス秀英コンテストって知ってる?」

 早苗は藤岡に向かって言った。彼に対しては強気である。「予選、一回戦、二回戦、決勝と秀英祭期間の四日間全てに渡って行われる全国的にも名の知れたミスコンね」

「もちろん知ってるけど……」

 そこでハッとした表情に変わる藤岡。「ま、まさかお前……」

「ミスコン実行委員の人に誘われて、断れなかったの」

 眼鏡を外し、雨に濡れた髪をかき上げ、早苗は美貌溢れる顔に屈託のない笑みを浮かべた。「エントリーナンバー十七番、大田早苗。皆、応援よろしく!」

「……」

 教室内にシーンとした空気が流れた。ただ、皆が呆気にとられる中、橘川だけは静かに心を奮わせていた。

 お、俺がガイドってことは……。俺がチロリちゃんを案内して回るってことか?

 そうゆうことである。


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