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62 トップアイドル

「単刀直入に言うけどさ」

 茶色の長い髪を掻き分けながら、彼は言った。もう十月に入ったため、冬用の学生服に身を包んでいる。「羽山、俺と付き合ってみないか?」

 そして、真っ直ぐに眼鏡の奥の羽山美穂の瞳を見つめた。美穂も彼の瞳を見つめ返し、やがてふうと小さく溜息を吐いた。

 またか……。

 美穂は答えずに、別のことを尋ね返した。

「あなた、サッカー部の大山茂人くんだっけ?」

 それを聞き、大山は意外そうに目を丸め、ヒューと口笛を鳴らした。

「光栄だな」

 照れ笑いを浮かべ、大山は言った。「まさか下の名前まで覚えてもらってるなんて」

「クラスメイトの名前ぐらいはちゃんと覚えるようにしてるんだ」

 笑顔を返す美穂。「私、休みも多いし、放課後に一緒に遊んだりできないけど、できるだけ皆と思い出を共有していたいから」

「そうか」

 ばつが悪そうに、大山はうつむいた。「そ、それはそうと、どうかな? 俺と付き……」

「大山くん」

 大山の言葉を遮る美穂。しばらく間が空いた後、大山が「え?」と目を丸めるのを待ってから、彼女は続けた。「もちろん、私のこと知ってるんだよね」

「知ってる? あ、ああ、もちろん」

 動揺した様子で何度も頷く大山。美穂はまた屈託のない笑みを浮かべ、言った。

「私はアイドルなんだ。だから、男の子と付き合うわけにはいかないの」

 千代田区内、某高等学校放課後の校舎裏。二人は共にこの学校の生徒であった。



 大山が去った後、美穂は正門に向けて歩き始めた。校舎裏から昇降口前に出ると、下校中の生徒たちの数が一気に増える。美穂は肩まで伸ばしたセミロングの髪と、セーラー服胸元の白いスカーフを揺らしながら、生徒たちの間をいそいそと縫って歩き続けた。

 美穂が校内を歩くと、生徒の誰もが彼女を注目する。それは彼女の持つ美貌や、大きな胸だけが原因ではない。

 美穂がアイドルとしてデビューしたのは今から約二年前、中学三年の冬のことであった。休日に表参道原宿の街を当時の友達と歩いていた際、今の所属芸能事務所のスカウトマンにスカウトされたのがキッカケである。

 デビューしてから一年ほどは、なかなか陽の目を浴びることはできなかった。しかし、今年に入ってから爆発的に売れ出し、先々月は写真集売り上げ一位、先月はDVD売り上げ第一位と、今ではトップアイドルの地位にまで登りつめていた。

「ごめん、待った?」 

 門柱に背をもたれてたたずむ河内那美の姿を発見し、美穂は彼女に声をかけた。

 美穂を見て「あっ」と口を開けた後、那美は門柱から離れ、笑顔で二度首を振った。目が小さく、鼻も小さい。お世辞にも美人とは呼べないが、どこか愛敬のある顔立ちの少女である。髪型はショートボブカット、すなわちおかっぱ頭。

「ううん、全然待ってない」

 それから、少し乱れたセーラー服の上着をサッと手で整える那美。「じゃ、行こう。それにしても美穂、もてすぎるってのも辛いね」

 その言葉を聞き、美穂は「はは」と苦笑した。大山に告白されている間、唯一無二の親友である那美をここ、正門に待たせていたのである。



 二人は某駅前の書店内にいた。多くの立ち読み客が並ぶ雑誌コーナーを素通りし、店の奥にある参考書コーナーに向かう。美穂の苦手な化学の参考書を探しにきたのだ。那美はその付き添いという形である。

「那美は今日バイトだっけ?」

 棚に並ぶ参考書の背表紙たちを眺めながら、美穂は那美に尋ねた。

「うん、バイト」

 「ああー」と残念そうに頬を緩める美穂。

「せっかく私仕事ないのになー」

 そう言ってから、なんとなく辺りを見渡す。近くには、自分たちとは違う制服を着た高校生らしきカップルと、ネクタイをしめたサラリーマン風の若い男性、それから野球帽を被った細身のこれまた若い男性の四人のみである。いずれも、美穂たちを気にもとめず、目当ての本探しに夢中となっている様子だ。

 学校以外で美穂に視線が集中することはほとんどない。アイドルとしてメディアに露出する際は、眼鏡などかけていないし、髪を後ろでまとめていることが多い。そして、なんといっても……。

「美穂って本当にテレビで観る時と全然違うよね」

 突然、感心したように那美が言った。「なんていうか落ち着いててさ。たまにはテレビみたいなオトボケキャラも見てみたいな」

「あれは仕事の顔。プライベートでは別」

 唇をとがらせる美穂。「いくら那美でも、それだけは見せられないよ。あれはファンの人たちだけのものなの」

「ふーん」

 那美もふて腐れたように唇をとがらせる。「仕事熱心ですねえ」

 美穂のアイドルとしての最大の武器は自らが創り上げた『天然オトボケキャラ』であった。デビュー当時は素の自分とほとんど変わらないキャラのまま、芸能活動を行っていたが、ちょうど一年ほど前から、この『天然オトボケキャラ』をテレビなどで演じ始め、それを機に彼女の人気が上昇し始めたのだ。



「私そろそろ行かなきゃ。バイト遅れちゃう」

 那美が腕時計を一瞥してから言った。「ごめんね。全然参考書選び付き合ってやれなかったね」

「ううん、気にしないで」

 美穂は那美に優しく笑いかけた。「後は一人で探すよ。今度は休みがかぶればいいね」

 手を振り、走り去っていく那美を見送った後、美穂はまた棚に目をやり、本の背表紙を順に確認していった。下から上へだんだんと目線が上がっていく。

 げ……。

 棚のかなり上のほうに、いくつも並んだ化学の参考書を発見する。身長百五十五センチの美穂にはやや厳しい高さである。美穂はキョロキョロと店内の床を眺め、高さ三十センチほどの踏み台を視界にとらえた。次に踏み台を棚の下まで持ってきて、鞄を床に置き、セーラー服のスカートを両手でつかみながら、踏み台の上に乗った。と、その時だ。

「あっ……!」 

 踏み台の上でバランスを崩してしまう。同時に美穂は、脇から飛び込んでくる一人の男の影を見た。


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