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60 帰郷中

 ガラス戸の向こうに、松の木や縁石で仕切られた花壇など、風情のある景観を持つ立派な庭がある。畳の上に正座で座る池田綾香は、その庭の動かないししおとしをうんざりとした顔で見つめていた。午前中に真一のアパートを出た時のままの、ティーシャツとジーンズという格好である。

「聞いとうとや! 綾香」

 綾香の向かい一メートルほど先に、同じように正座で座った彼女の父親がこめかみに筋を浮かべながら怒鳴った。黒い髪を整髪料で七三分けにガチガチに固めている。仕事から帰ったばかりなので、カッターシャツにネクタイ、スラックスという姿である。先ほどからずっと、酔っ払っているかのように赤い顔をして、綾香に説教をし続けている。

「聞いとるよ」

 ふてぶてしくそう答えながら、頭をポリポリとかく綾香。「要するに仕送りを止めるか、東京から帰ってくるかやろ?」

「なんや、その態度は!」

 畳をドンと叩く父。綾香は驚き、正座のままピョンと跳ねた。それを部屋の隅で見ていた綾香の母が、父をなだめる。

「お父さん。そんなに大きな声出さんでもいいやん」

 父の二倍ほどはありそうなふくよかな体型である。茶色に染めた長い髪を後ろで一つに束ねている。服の上からピンクのエプロンを装着している。

 午後六時前、綾香の実家の客間である。



「ん? なん作っとうとや」

 鼻をくんくんとさせながら、父が母に尋ねた。綾香もそれにならい、くんくんしてみる。台所のほうから漂ってくる良い香りに彼女も気がついた。同時にその正体にも。

「カレーだ!」

 綾香は嬉しそうな顔で言った。「お母さんのカレー美味しいっちゃんね」

 ふふと母が笑う。

「久々に綾香が帰って来たっちゃけん、今日は綾香の大好物作っちゃろうと思ってさ」

「お前、どっちの味方なん?」

 父がギロリと母を睨みつける。それから、綾香を指差し言った。「こいつは俺の仕送りで学校に行かせてもらっとったくせに、勝手に学校辞めて、しかもタレントなんていう下品な仕事を始めよったんばい?」

「別に下品やないもん」

 プイと顔を背ける綾香。

「下品やろうが!」

 まだドンと畳を叩く父。綾香と母が同時にビクッと肩を震わせた。「昨日のアレはなんや、全国に恥をさらしやがって! 役所の仲間にも馬鹿にされたっちゃけんな!」

 父は役所勤めの公務員なのだ。ちなみに、昨日のアレとはもちろん例のつぼドッキリのことである。

「もう、その話は何度も聞いたってば」

 綾香ははあと溜息を吐いた。「アイドルは等身大の自分を見せる仕事やけん、時には全国に恥をさらすことだってあるんよ」

「それに」

 母が綾香の言葉を引き継ぐ。「お父さん、今更何を言いようとよ。子供の頃から綾香はどこに連れてっても、何かドジをしていっつも私たち、恥かいとったろうもん」

「まあ、確かに」

 神妙な顔で頷く父。その様子を見て綾香はずっこけた。



 佐世保市内、小高い丘の上の高級住宅街に綾香の実家はあった。二階建ての古風な一軒家で、現在は両親と寝たきりの祖母のみが暮らしている。もともと家は祖父の持ち物であったが、十年前に祖父が病気で他界したのを機に、一人息子である父が譲り受けることとなったわけである。

「お前が勉強をしたいって言うけん、俺は上京を許可してやったっちゃけんな」

 場所をダイニングに移し、父の説教は続いていた。彼はまだ仕事着のままである。「それでも、いずれは地元で就職して、結婚して、この家を継いでほしかったとよ」

「お母さん、福神漬けある?」

 テーブルの向かいに座る父には目もくれず、綾香は隣に座る母に向け、言った。

「ほい」

 テーブルの隅にあった福神漬けのビンを綾香の手元に移す母。

「サンキュー」

「それがなんや?」

 眉をひそめ、悲しそうに首を振る父。「順次(父の弟、綾香の伯父である)から電話があって『今すぐテレビを観ろ』とな。そしたら、テレビにどっかで観たことのあるアホ面が映っとるやんか」

「美味しい」

 スプーンをくわえ、アホ面をほころばせる綾香。「やっぱお母さんのカレーが一番やね。私が作ったらコゲ臭くなるんよ」

「あんた、不器用やけんね」

 呆れたように母が笑う。「ルー入れた後、しっかりかき混ぜないかんとよ」

「今度はそのアホ面の持ち主から電話がかかってきて」

 苛立たしそうに、チン、チンと皿の底にスプーンをぶつける父。「『アイドルとして頑張ることしました』だと! で、『学校はどうした?』と聞いたら、『辞めました』って……」

「前、話した詩織っておったやん?」

 ご飯とカレーを混ぜ合わせながら綾香は言う。「その子と今ケンカしとってさ。どうやって仲直りしたらいいっちゃろ」

「どうせあんたが悪いっちゃろうもん」

 もぐもぐと口を動かしながら母。「誠心誠意を込めて謝りな」

「でも、電話も出てくれんし……」

 ドン! 

 大きな衝撃音が響くと同時に、テーブルの上の食器たちが揺れた。父がテーブルを叩きつけたのである。ピンと背筋を伸ばし、うつむく綾香と母。

「で? どうするん?」

 綾香を睨みつけ、父が言う。「このまま家に帰ってくるんやったら許してもいい。もし帰ってこんって言うんなら、仕送りは止め。そして、もちろん勘当やけんな」

「お父さん……」

 母が父をなだめにかかろうとするが、「黙っとけ!」と父が一蹴。

 うーん……。

 綾香は宙に視線を泳がせながら悩んだ。

 真一がバイトを始めたため、仕送りを止められてもなんとかやっていけるかもしれない。ただ、勘当というのはさすがに辛い。

「ごめん、もう少しだけ考えさせて」

 それだけ答えてから、綾香はまたカレーをすくった。


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