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57 永久保存版

 松庵の真一のアパートである。

「ギャッハッハッハ! ギャーハッハッハ!」

 テレビを指差しながら馬鹿笑いをする真一に、綾香は冷たい眼差しを向けていた。二人とも全く同じグレイのスウェット上下を着て、フローリングの床に座り込んでいる。「馬鹿だよこいつ! 誰だって気づくだろ、骨董品専門誌ってなんだよ!」

 テレビには、一億円の価値があるつぼ(実はただの安物のつぼ)と一緒にグラビア撮影を行う、白いソフトハットを被った綾香の姿が映し出されていた。カメラマンの要求通り様々なポーズを取る綾香。『つぼの隣でシェーのポーズ』という意味不明な要求をされても、何の疑いもなく応える。「ギャハハ! 腹が痛え!」

 床を転げまわる真一。綾香はテーブルの上の、グラスに入った烏龍茶をぐびっと飲んだ。

「あんた、ちょっと笑いすぎやないと」

「ヒイヒイ……! 悪ひ悪ひ!」

 真一は息をするのも苦労している様子である。「でも、笑えるんだから、仕方ねえだろ! ヒイ」

「こんなん、どこが面白いとよ」

 テーブルにグラスを置きながら、綾香もテレビに目を向けた。



 撮影スタジオにポツンと取り残された綾香。彼女が退屈そうにあくびをした途端、コンと音を立て、つぼが真っ二つに。そして、それを綾香のいるスタジオとは別の部屋でモニタリングするのは、青いスーツを着たお笑い芸人のトーマス和田である。彼も真一と同じように爆笑しながらモニターに見入っていた。

「おい、見ろよあの顔」

 涙目の真一がまたテレビを指差し、綾香に向かって言う。「めちゃめちゃ焦ってるぜ。もう馬鹿丸出しだよな」

 キッと睨みつける綾香の視線を無視して、再びテレビを見つめる真一。

 やがて、スタジオに戻ってきたスタッフたちに割れたつぼを発見され、おろおろとうろたえる綾香の姿。つぼの持ち主(実はただのおじいさん)も登場し、その場の緊張は一気にピークとなる(番組的には緊張ではなく、盛り上がりがピークとなる)。持ち主が《このつぼは近くにいる人物があくびをすると割れてしまうという呪われたつぼなんじゃ》と綾香に話したところで、『チロリがあくびをしたため、急きょ取り入れた新設定』と、テロップが入る。

「そっか」

 テーブルにひじを付き、つまらなそうな表情で綾香は呟いた。「私があくびしたところを狙ってつぼを割ったっちゃないとね」

「当たりめえだろ! いくらなんでもお前があくびするところまで計算してねえよ!」

 相変わらず楽しそうな真一。「お、チロリ泣き出したぞ! ちょーウケる」

 問題のシーンである。泣きじゃくる綾香の姿を見て、トーマス和田が《それじゃあ、突入しましょう》と綾香たちのいるスタジオに突入。トーマスとテレビクルー、そしてフリップボードのドッキリという文字に気がついた綾香は、糸が切れた操り人形のようにひざから崩れ落ち、そのまま号泣を始めた。

《わーん、わーん! ひどいよー、ひどいよー!》

 涙と鼻水を垂れ流す綾香の顔がドアップで映し出される。

「ギャーハッハッハ……! ハハ、苦しい」

 腹を押さえながら真一は爆笑し、床にうずくまる。「おいおい、これ放送していいのかよ! 鼻水出しすぎ……!」

 わなわなと肩を震わせ始める綾香。「ひい! もう苦しいって! 勘弁してええ!」

「じゃあ、楽にしたるけん」 

 綾香はそう言うと、すっと立ち上がり、うずくまる真一の尻から、股間を目がけて思いっきり蹴り上げた。

「ぬほおおおお!」

 九月下旬の某日、夜十時。綾川チロリ、ゴールデンタイム進出の瞬間であった。



 不貞寝したフリの綾香の肩を真一が揺さぶる。

「綾香さーん。ごめんなさーい」

 聞こえない聞こえない。「綾香さーんってば」

 耳元にふっと息を吹きかけられ、ビクッと身体を反応させてしまうも、綾香は頑なに狸寝入りをやめようとしなかった。もはや意地である。「ふう、仕方ない。面白いビデオでも見るかな」

 真一のその言葉のすぐ後に、パッとテレビの画面が切り替わる雰囲気。それから、ジーとビデオデッキからビデオの回る音が聞こえる。続いて、その音が止むと同時に。

《わーん、わーん! ひどいよー、ひどいよー!》

 綾香はバッと飛び起きた。

「なんビデオ録っとうとよ!」

「やっぱり起きてやがったか」

 リモコンでビデオを止めながら、真一は悪戯そうな笑顔を浮かべる。「お前の記念すべき初ゴールデンの映像なんだから、もちろん永久保存版だろ?」

 明らかに別の意味での永久保存版である。「デッキの録画ランプ点いてるの気がつかなかったのか?」

 気がつかなかった……。

「もう」

 座ったまま、ゲシッと真一の背中を蹴る綾香。「絶対消してよね。私、そんなもん二度と見たくないけん」

「それにしてもお前、これでいよいよ顔が知られたんじゃねえか? 明日からはグラサンなしで街、歩けねえな」

 綾香はげんなりとした。確かにしばらくはサングラスなしで出歩けない。『あ、テレビで鼻水垂らしてた女の子だ』などと指を差されては敵わない。

「はあ、ゴールデンはまだ早かったな」

 溜息を吐く綾香。と、その時だ。

「ところでこれ、全国放送なんだよな」

 何気ない調子で真一が言ったのだ。「要するに佐世保のお前の親御さんたちも観てるってわけか。いつの間にアイドルになったって報告したんだ? 親父さん、めちゃくちゃ厳しいんだろ? なんか言ってたか?」

 え……?

 真一の言葉が脳天に突き刺さる。さあっと綾香の顔から血の気が引いていく。「ん? どうした? 綾香さーん?」

 目の前で真一の手がチラチラと動く。しかし、綾香は我に帰ることができない。「ま、まさか……」

 そのまさかであった。


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