56 ネットでリラックス
「し、詩織ちゃん! そ、その子」
振り返る詩織。田之上も目を見開いてテレビを凝視していた。彼も綾香とは顔見知りである。彼も気がついたのであろう。「綾香ちゃんにそっくりじゃない!?」
「うん、ていうか」と詩織はテレビに視線を戻した。
「どう見たって綾香でしょ。少し雰囲気変わってるけど」
「そ、そうだよね」
場面はハチ公像の前から、渋谷のセンター街へと変わっていた。二人の少女がこちらに向かって歩きながら話をしている。彼女たちの周りには大勢の人がいて、テレビ撮影に何の関心も示さず行き過ぎる者、カメラに向かって手を振る者、携帯カメラで少女たちを撮影する者と、内訳は様々である。
《センター街ってえ、なんでこんなに人ばっかなんだろうねえ》
綾川チロリではないもう一人の少女が言う。最近よくテレビで観かける菊田つばきというアイドルだ。『小悪魔アイドル』として人気を集めているらしいが、彼女の舌足らずな口調や派手な巻き髪は、詩織に不快以外の何物もを感じさせることはなかった。
《私もよく来るんですけど……》
チロリがそこまで言ったところで、つばきが《あー、そうですかあ、別に興味ないですねー》と本当に興味がなさそうに一蹴する。
《なんでよ! 私にも喋らしいよ!》
そのチロリのツッコミを聞き、詩織は改めて確信する。
長崎弁だ。やっぱり……。
「どうゆうこと?」
眉をひそめながら、田之上が言った。「綾香ちゃん、アイドルになっちゃったの?」
「そうみたいだね」
詩織は頷く。そして思う。
綾香、本当にアイドルになりたかったんだ……。
「電話してみたら?」
田之上が苦笑いを浮かべ、詩織にそう尋ねた。「ひょっとしたら、綾香ちゃんも今テレビ観てるんじゃない?」
笑顔の理由は、おそらく詩織の返答に予測がついているからであろう。詩織はテレビの中の元親友の顔を感慨深げに眺めた。
舞台は渋谷109内のアパレルショップに変わっていた。《似合います?》と、売り物のティーシャツを胸の前で広げる、綾香の子供のような笑顔がとても懐かしい。綾香とは二ヶ月ほど前の例の出来事以来、一方的に絶交中であるが。
もう、許しちゃおうかな。
そう詩織が考えた時、テレビの中の舞台がまた変わった。同じ109内の同じようなアパレルショップである。そこは、以前綾香と二人で訪れたことのあるショップであった。
そういえばその時、こんなことがあった。詩織は試着した服をそのまま購入しショップを出たのだが、それから一時間ほど経過した後に元の服が見当たらないというに気がついた。試着室に置き忘れたのではと考え、二人でショップに戻った時、今度は購入した服の下にしっかりと元の服を着ていたということに気がついたのだ。基本はしっかり者の詩織でも、時にはそのような天然ボケを披露する。
あれはドジ踏んじゃったなー。
思わず笑みをこぼしてしまう詩織。
《あー、ここにはちょっと苦い思い出があるんですよねー》
テレビの中の綾香が言う。
あちゃー、やっぱり覚えてたかな。
《なにい? 興味ないけど話させてあげるう》
つばきのその言葉に、綾香は《そりゃどうもー》と嫌味ったらしく返し、苦い思い出を話し始めた。
《前に来た時なんですけどー》
呆れたように溜息を吐く綾香。《私ってば試着した服をそのまま買って、もともと着てた服を試着室に置き忘れちゃったんですよねー。そんで店に戻ったら、実は買った服の下に着てたという。もうドジ踏んじゃいましたー》
え……?
詩織は目を丸めて固まった。
な、なんで私のエピソードを自分のエピソードに……?
《ふうん、馬鹿だねえ》
やはり興味がなさそうなつばき。《チロリちゃんみたいなドジな子と一緒だと皆疲れちゃうだろうねー》
《そうかもしれませんねー》
苦笑し、頬をポリポリとかく綾香。《こんなドジな私ですけどよろしくお願いしますー》
ははーん、と詩織は心の中で呟いた。
ドジキャラをアピールするために、勝手に自分のエピソードにしたんだな。ドジキャラはいらないけど、人付き合いに有効な笑い話だったのに……。もう私は使えないじゃないか!
「詩織ちゃん?」
田之上にまた名前を呼ばれ、詩織は我に帰った。「ね? もう許してあげなよ」
やはり苦笑いを浮かべている。
詩織は田之上が予測したとおりの返答をすることにした。
「やだ」
テレビを視聴した後、二人はインターネットで綾川チロリについて調べていた。
「やっぱりサニーダイヤモンドプロダクションだ!」
パソコンのディスプレイを指差しながら、詩織は田之上に向かって言った。「綾香、ここから私をデビューさせようとしてたんだよ」
『綾川チロリ』で検索して一番最初に出てきたページが、SDP公式サイト内の彼女のプロフィールだったのである。
「あれ? 福岡県博多区出身になってる」
田之上がにこやかに笑う綾香の写真の横にある、プロフィールの一角を指差す。「確か長崎だったはずだよね。なんでだろう」
「博多弁を売りにしたかったんじゃない? 長崎弁じゃ馴染みがないから」
「なるほど」
二度頷く田之上。「あ、ところで詩織ちゃん、そろそろ……」
「今度は『トーキョーリラックス』のサイトに行ってみようかな」
田之上の言葉を遮り、詩織は言った。「綾香について何か書いてあるかもしれない」
「そ、そうだね……」
同時に発せられた田之上の小さな溜息に、詩織が気づくことはなかった。彼女は元親友の情報収集に夢中なのである。
部屋の片隅に転がる四角いアレのことも忘れて。