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55 今夜はリラックス

 四畳半の洋室に矢上詩織はいた。落ち着きなくそわそわしながら、正座で座っていた。上は黒のポロシャツを着ており、下は白のロングスカートを履いている。首もとにはシルバーネックレスが光っていた。

 九月も半ばとなり、少しだけ気温が涼しくなった。下半身が肌寒く感じる。しかし、それは気温と薄手のスカートのせいだけではなかった。



 狭い四畳半の部屋は、家具のせいで更に狭まっていた。テレビに本棚、タンス、そして小さなテーブルに乗った大きなデスクトップパソコンが壁際に置かれている。部屋の中心には、これまた小さな折り畳み式のテーブル。

 続いて詩織は腕時計を見た。時刻は午後十一時を過ぎている。

 まだかな、田之上くん。

 心の中でそう呟いた時だ。玄関のほうからガチャとドアの開く音が聞こえた。そして、玄関から洋室までの短い廊下を歩く足音がこちらに近づいてくる。

「遅くなってごめん」

 洋室に入るなり、田之上裕作は詩織に向かって苦笑を浮かべ、そう謝った。上は白いポロシャツ、下は薄い色のジーンズという姿である。左手に買い物袋を下げ、右肩にショルダーバッグを下げていた。

「ううん」

 詩織は微笑を返す。意識的に作り上げた上品な笑顔である。「もっとかかるかなって思った。三十分も経ってないじゃん」

「まあ、買う物は決まってるしね」

 ショルダーバッグを放り投げ、詩織のそばに腰を下ろす田之上。同時にテーブルの上に買い物袋を置く。その買い物袋の中にチラッと例の四角い箱が見え、詩織は思わず頬を赤らめた。

「これ、何買ったの?」

 あえて四角い箱には触れず、詩織は袋から少しだけ丸まった雑誌を取り出した。「んー? 『TVマニア』?」

「新聞とる金なんてないからさ。ちょくちょく買ってるんだ。二週間分のテレビ欄が載ってて百円だよ。お得じゃない?」

「へー」

 相槌を打ちながら詩織は思った。

 テレビ点けないで正解だったな。

 田之上を待つ間、幾度となくテレビの電源を入れかけた詩織であったが、結局踏みとどまった。勝手に電気代を上昇させるのは悪い、と考えたのである。

 そう、この部屋は田之上の自宅であった。



 先月詩織が田之上と交際を始めてから、三度目のデートであった。吉祥寺駅近くのレストランで食事をした後、井の頭公園を散歩した。本来ならばそこでお開きのはずであったが、詩織の気分は果てしなく高ぶっていた。詩織が『田之上くんの部屋に行ってみたいな』と話すと、田之上はややためらいながらも、頷いてくれたのであった。

 荻窪にある田之上のアパートに到着した時だ。田之上が『あっ』と声を上げ、詩織は『どうしたの?』と聞いた。田之上は『アレがない』と答えた。そして、照れ笑いを浮かべながら、アレとは何かを教えてくれた。それはいわゆる避妊具であった。詩織も照れたが、もちろん彼女もそのつもりであった。

 というわけで、詩織は先に部屋に入っておき、近所のコンビニでアレを買ってくるという田之上の帰りを待つことになったのである。それが午後十時四十五分頃のことであった。



 玄関の脇にある狭いキッチンから、田之上がコーラのペットボトルと二つのコップをお盆に乗せ、持ってきた。

「詩織ちゃん、泊まっていくんでしょ? 連絡とか大丈夫?」

「うん、メールしといた」

 詩織は実家住まいである。両親は娘の一人立ちに比較的理解があった。「だから、のんびりしよう」

「そうだね。しばらくゆっくりしてからでも遅くな……」

 そこで話を止める田之上。バツが悪そうに詩織から顔を背ける。詩織はまた下半身が肌寒くなるのを感じると同時に、頬を赤らめた。無意識のうちに両手を股間にあてる。そして、フローリングの床に無造作に置かれた四角いアレをチラッと見やる。

 もうすぐ田之上くんと……。

 二人にとって、今夜が初めての夜だということは言うまでもない。



「なんかやってないかな」

 リモコンを操作し、田之上がテレビの電源を入れた。気まずい間を嫌ったのかもしれない。「もうすぐ十一時半か。この時間って何やってたっけ」

 チャンネルを何度か切り替えた後、田之上はリモコンを置いた。テレビにはソファで話をする三人の芸能人が映し出されていた。「あ、『トーキョーリラックス』だ」

 関東ローカルの情報バラエティ番組である。詩織も何度か観たことがあった。「カップルに人気があるんだってね」

 詩織に笑いかける田之上。

「そ、そうなんだ」

 二人はしばらくぼうっと番組を眺めていた。何もせず、何も話さず。やがて、番組の司会者がカメラ目線で「次は『衝動買いでリラックス』のコーナーです」と言った時だ。

「詩織ちゃん……」

 田之上が不意に詩織の名を呼んだ。「そろそろ……。いいかな」

 ドキッとする詩織。彼女は顔を赤らめ、身体をもじもじとさせながらも、ゆっくりと深く頷いた。

 田之上の腕が伸びる。腕は詩織の二の腕をつかんだ。詩織は全てを彼に委ねようと、瞼を閉じようとした。その時テレビの画面では渋谷駅のハチ公像をバッグに二人の少女が……。

 二人の少女が……?

 瞼を閉じるのを中止する。むしろ、見開く。

「ち、ちょっと……!」

「え?」

 キョトンとした顔をする田之上。彼の腕を振りほどき、詩織はテレビに顔を近づけた。そして、二人の少女のうちの一人を注目する。テロップには『綾川チロリ』とあるが……。

 あ、綾香じゃないのか……?

 眉をひそめる詩織。白いハットの下にある綾川チロリの顔は、元親友の池田綾香とは微妙に雰囲気が違って見える。しかし、それは化粧の仕方の違いや、髪の色の違いのせいだと説明できる程度だ。やはり、テレビの中の少女は綾香に違いなかった。


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