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52 どんな仕事も

 淡い照明の薄暗い店内。聞こえてくるのは他の客たちのざわめき、そして肉の焼けるジューという音ばかりである。白いソフトハットを被った池田綾香は、鉄板の上に並べられた幾つもの肉片の中から、その一つを箸でつまみ、口へと運んだ。

「あ、熱っ!」

 そう小さく叫び、口から肉を離すも、ふうふうと肉に息を吹きかけ、再び口の中に入れる。「ん、ん……。ああ、美味しい」

 幸せそうに目を細め、綾香はまた肉へと箸を伸ばした。その様子を向かいに座る彼女のマネージャー南吾郎が、呆れたような顔つきで眺めていた。

「こんな安っぽい肉でよくそこまで感動できるな」

 南も肉を口にする。「ふむふむ……。やはり、高級店の肉に比べたら、食感も風味もだいぶ劣る」

「……」

 じーっと南に軽蔑の眼差しを向ける綾香。「文句ばっか言わんで、黙って食いーよ」

「そりゃ、俺の勝手だろう」

 また肉に箸を伸ばしながら南は言った。「俺の金で食ってんだから」



 綾川チロリ初のラジオ出演終了後、二人はその公開生放送が行われた赤坂の某施設のすぐ近くにある、大手焼肉チェーン店で食事を取っていた。南の言うとおり、勘定は彼持ちということになっている。

「でも、あんたがご飯奢ってくれるなんて珍しいやん」

 烏龍茶の入ったグラスを持ち上げながら、綾香は意地悪な笑みを浮かべた。「『ビリーブ』のコーヒーでさえ、自腹で払わせるくせに」

「まあな」

 南もビールジョッキを手に取る。「今日は朝からハードスケジュールだったから、たまには良いだろう」

 ラジオの前に、綾香は雑誌の取材やグラビア撮影、アイドル情報番組のコメント録りなど幾つもの仕事をこなしていた。

 美味そうに烏龍茶を一口飲み、プハァと息を吐いてから綾香は言った。

「さっきのラジオどうやった? 予定どおり、ドジっ子もアピールできたばい」

 競合局の番宣をしてしまったのは、実は台本どおりなのである。「お客さんも笑っとったし、けっこうファンも増えたっちゃない?」

「そりゃ、ファンは増えただろうな。実質、お前の声が初めて電波に乗ったわけだから」

 ラジオで綾香も言っていたとおり、前日収録した『トーキョーリラックス』のオンエアはまだ先なのだ。「ただ、これからが勝負だぞ。お前の『声』を聞いてファンになったヤツが、今度はお前の『姿』を見て、幻滅するかもしれない」

 たいしたルックスでもないんだしな、と付け加え、南はぐいっとビールを口に流し込んだ。

「ふん」

 不機嫌そうに、南から顔を背ける綾香。「顔で判断するファンなんかこっちから願い下げよ」

 と、言いつつも……。

 あんまり食べ過ぎたら、顔むくんじゃうかな。

 そう考え、箸を置く綾香であった。


 

「さて」

 カチと百円ライターの火を付け、それを口にくわえた煙草に引火させる南。指で煙草をつまみ、ふうと紫煙を吐き出してから、彼は続けた。「明日のグラビア撮影なんだが」

 その言葉を綾香が遮る。

「分かっとる」

 綾香は真剣な表情で頷いた。「マイナー誌のどうでもいい撮影とは思っとらんよ。どんな仕事でも気合い入れて頑張るけん」

「うむ、まあそうなんだが……」

 なぜか歯切れの悪い口調の南。「とにかくパニックにならないことだ。落ち着いていればどんなアクシデントにも対応できる。俺が言えることはそれだけだな」

「え? そんなに難しい仕事なん?」

 綾香は意外そうに目を丸めた。「ただのマイナー誌のどうでもいい撮影やろうもん」 

「思ってるじゃねえか」

 と、その時、南の携帯の着信音が鳴った。相変わらずメロディはない。南が無表情で携帯を取り出す。「三輪さんだ」

「え? 三輪さん?」

 『トーキョーリラックス』のプロデューサーである。綾香の興味深げな視線を無視し、南は通話ボタンを押してから携帯を耳にあてた。

「どうもー、お疲れさまでーす!」

 ちえ美ボイスである。「はい、はい。あ、どうもこちらこそ迷惑ばかりかけて……。はい? え! 本当ですか?」

 綾香はその様子を目を輝かせながら見守っていた。

 ひょっとして、ひょっとして……。

「ふう。疲れた」

 やがて、通話を終えた南が、携帯を閉じてから、声を戻し言った。「お前を別の番組でも使うことに決めたんだとよ。残念ながらゴールデンじゃないけどな」

 しょんぼりと、やや顔を曇らせる綾香。「でも、全国ネットだぞ? それに、『トーキョーリラックス』に比べて出番も多くなりそうだ」

 南は煙草をくわえ、それを美味そうに吸った。

「そ、そっか」

 気を取り直し、綾香は自分を納得させるように二度頷いた。「どっちにしても大きな仕事やね。よーし、気合い入れるばい!」

「ああ、明日の撮影もな」

 ふうと紫煙を吐き出し、南がボソッと言う。綾香はまたしても目を丸め、それから、眉をひそめて考え込んだ。

 なんなん? なんでそんなにマイナー誌のどうでもいい撮影にこだわるん?

 やっぱり思っていた綾香であった。


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