47 小悪魔のアドバイス
「な、なんでしょうか?」
おそるおそる綾香がそう尋ねると、つばきはまた綾香の耳元に顔を近づけ、更に小さな声で言った。
「綾川さん、博多弁喋るんですよね」
「えっ?」とつばきの顔を見る綾香。「だったら私にツッコむ時は標準語じゃなくて、博多弁でツッコんだほうが面白いと思いますよ。タメ口でいいから」
先ほどの舌足らずな口調とは全く違った丁寧な口調である。「ね?」
そしてつばきは笑った。『小悪魔アイドル』とは思えない天使のような笑顔であった。綾香はわけが分からず、キョトンとした顔で、ただ「はあ……」と返事をするのが精一杯であった。
な、なんなん? いまさら私に好かれようと思ったってそうはいかんばい。
でも、と彼女は思う。
博多弁でツッコミか……。確かにそっちのほうが面白いかも(綾香が喋っているのは博多弁ではなく、長崎弁である。念のため)。
「はーい、じゃあ締めの確認いきまーす」
男性スタッフの声が現場に響いた。
「いやあ、今日は色んなもの買っちゃいましたけどお、また来れたらいいですねえ」
全然また来たくはなさそうにつばきが言う。綾香は「そうですね」と相槌を打った。「チロリちゃんは、もうこの番組に来れないかもしれませんけどね」
「なん言いようとよ!」
言われたとおり、博多弁でツッコむ綾香。演技ながらつばきを睨みつける。「また呼んでくれたってよかろうもん!」
見物客たちから笑い声が洩れる。それを聞いて綾香は思った。
ほ、本当にウけた!
「それじゃあテレビの前の皆さあん」
綾香を無視し、カメラに向かって手を振るつばき。「また来週お会いしましょうねえ」
「また来るけんねー!」
綾香もカメラに向かって手を振った。
女性スタッフ柴田にまた汗を拭いてもらいながら、綾香は三メートルほど先でマネージャーらしき男性と何やら話をする菊田つばきの横顔を眺めていた。
あいつのおかげで良い感じの締めになった。お礼言っといたほうが良いっちゃろうか。
「チロリちゃん」
突然、柴田に話しかけられる。
「え? あ、はい」
「さっきのやりとり、面白かったね」
そう言いながら彼女は、カメラ近くの、円形のベンチの一角に腰を下ろし、難しい顔で台本を睨む三輪を一瞥した。つられて綾香もそちらを見る。「三輪さんも言ってたよ。本編で面白いのが撮れたら」
今のところ冒頭と締めの挨拶を撮り終えたのみで、コーナー本編の撮影はこれからなのだ。「チロリちゃんをゴールデンの番組にも使ってみるかなって」
「ゴ、ゴールデンですか!?」
「うん!」
こ、これは……。
またつばきに目を向ける。つばきは片方の目を見開き、手鏡を覗き込んでいるところであった。マスカラのチェックでもしているのであろうか。
やっぱり、お礼言っておこう。
そう決心した綾香は、柴田が離れると同時に、つばきのもとまで歩いた。そして「つばきさん」と名前を呼ぶ。
怪訝な顔でつばきがこちらに顔を向けたのを確認し、綾香は更に言った。
「あ、あの。さっきはありがとうございました。おかげで、なんていうか……。良い仕事ができました」
軽く頭を下げる綾香。そんな綾香を見て、つばきは一瞬、戸惑ったように眉をひそめた後、何も言わずにプイと綾香から顔を背けた。
ポカンとした表情になる綾香。
……。
もうこいつとは関わりたくない。
ハチ公口付近の壁に寄りかかり、手帳の中を睨む南に綾香は近づいた。
「ん?」
やや間を置いてから、綾香に気がつく南。「終わったか? けっこう早かったじゃねえか」
「ちゃんと見とった?」
綾香は腕を組み、誇らしげな表情を浮かべた。「NGゼロばい。三輪さんからも太鼓判もらっちゃった。本編でも面白かったらゴールデンの番組に出させてくれるって」
「ふーん」
興味がなさそうに相槌を打つ南。「そいつは頑張らないとな」
「なんよ?」
南の態度を見て、綾香は唇を尖らせた。「もっと喜べばいいのに。ゴールデンばい?」
何も答えない南。綾香は眉をひそめ、南の見ている手帳を覗き込もうと首を伸ばしかけたが、突然「チロリさん」と誰かに話しかけられ、それを中止した。
「え?」と振り向く綾香。そこに立っていたのは見知らぬ少女二人組であった。二人とも、何故かもじもじとした様子だ。
「ずっと観てました!」
少女のうちの一人が言う。「撮影頑張ってください」
「あ、本当ですか?」
綾香は顔を輝かせた。「ありがとうございます」
そして、すぐさま頭を下げる。ハットがずれそうになり、右手でハットを押さえつけた。
「あと……」
おそるおそるといったふうに、少女は手帳とペンを差し出した。「サインお願いしてもいいですか?」
「サ、サインですか?」
綾香は頭から右手を下ろし、照れ笑いを浮かべながら、手帳とペンを受け取った。続いて、頬をポリポリとかく。「えーっと……。こんな感じでいいのかな」
普通に日本語で『綾川チロリ』とサインをする綾香。
「あ、私もお願いします」
今度はもう一人の少女に手帳とペンを手渡される。手帳にペンを立てながら、綾香は南に顔を近づけ、こう囁いた。
「ブレイク間近って感じやない?」
それに対し、南は表情を変えず、手帳に目を落としたまま言った。
「明日までにちゃんとしたサイン作っとけ」
「……」
宿題を出されてしまう綾香であった。