41 死体といっしょ
午後七時過ぎ。アルバイトを終え、重い足を引きずりながら真一が自宅へ帰りついた時、玄関の扉の鍵がかかっていないことに彼は気がついた。
また来てやがんのか、あいつ。
ギイイ、と不快音を立てながら扉を開け、真一は部屋の中に入った。そして、玄関先で靴を脱ぎ、明かりのついた洋室へ。そこに、案の定うつぶせで死んだように眠る綾香の姿があった。
「はあ……」
思わず溜息を吐いてしまう真一。
よくこんなんでアイドルになんかなれたよな。
綾香は白のタンクトップとパンティのみしか身に着けてはいなかった。それらの衣服から伸びた手足のところどころに、湿布が貼られている。そういえば今日はレッスンの日だったはずだ。おそらく、レッスンに疲れ果て、眠ってしまったのだろう。
汚れた靴下を履いた足で、真一は綾香の頭をツンツンと突いてみた。「んん」とうめき声を上げ、眉間にしわをよせる綾香。良かった。どうやら死んではいないらしい。
綾香をひとまず放っておき、真一はテーブルの上のリモコンを操作して、テレビの電源を入れた。続いて、チャンネルをピッ、ピッ、と切り替えていく。やがて、とある番組が放映されている局に、チャンネルを落ち着かせてから、リモコンを元の場所に戻した。
確か、今日松尾和葉ちゃんが出演するんだったよな。
それは常識問題を主にしたクイズ番組であった。テレビの画面を食い入るように見つめる真一。すぐにパネラーとして解答席に着く、清純派アイドル松尾和葉の姿をカメラがアップで捉えた。
和葉ちゃん、今日もいけてるぜ。
松尾和葉は花柄のキャミソールを着用していた。少しだけ日焼けした肌がまぶしく輝いている。クイズの成績はいまいちのようだったが、そんなものでは計り知れないアイドルとしての魅力を、今日も存分にばらまいていた。ちなみに、現在松尾和葉は、真一ランキングで見事第一位の座に着いている。
思わず、そばに横たわった死体に目をやる真一。こちらは肌に貼られた湿布がまぶしく輝いていた。
どう考えてもこいつと和葉ちゃんじゃ、勝ち目ないよな。
今度は綾香の頬を指でツンツンしながら、真一はそんなことを考えていた。
「昔付き合ってやってた彼がチョー不細工で、まあそいつはただの財布代わりだったんで別にいいんですけどー」
突然聞こえてきた舌足らずな声。真一はうんざりとしながら、横目でテレビの画面を見た。
ちっ、こいつも一緒かよ。
テレビに映っていたのは松尾和葉と同じく、今年ブレイクを果たした新人アイドル、菊田つばきであった。和葉の斜め前の席で、同じパネラーとして番組に出演しているようだ。茶髪の派手な巻き髪と、猫のような大きなつり目が特徴的である。ただ、真一ランキングでは第四十八位と、あまり振るってはいない。
なぜなら、真一はこのアイドルの性格がとにかく気に入らなかったのだ。何かというと他のタレントの悪口を言ったり、司会者に邪険な態度を取ったり。『小悪魔アイドル』として一部の層に受け入れられているということが、真一にはとてもじゃないが理解できなかった。
また、ファンの間では、彼女の『小悪魔キャラ』は演技で、本当は心優しい純粋な性格なんだ、とする説もあるが、それも到底信じられるものではない。
真一はまた綾香に目を向けた。
こんな性悪女に比べたら、お前の方がまだマシかもしれねえな。
今度は綾香の目元をピン、ピンと指で弾きながら、真一はそんなことを考えていた。
「痛い!」
突然、自身の目を手で押さえながら、綾香が身体を起こした。それに驚き、座ったままのけぞってしまう真一。「さっきから人の顔でなん遊びようと!」
「わ、悪い悪い」
今にも拳を繰り出してきそうな様子の綾香を手で制しながら、真一は謝った。「完全に寝てるもんかと思っててさ」
「めんどくさいから起きんかったと!」
プイと顔を背ける綾香。「ジョギングして身体中痛いし」
「ジョギング? なんでまた」
「ダントレでさ。先生に体力つけてこいって言われたんよ。さっき、その辺ぐるぐる走ってきたっちゃん」
そう言ってから綾香はひざを曲げ、手の平を床につけて立ち上がろうとしたようだが、すぐに「いたた」と顔をしかめ、そのままの体勢で固まってしまった。「ちょっと、烏龍茶取ってきて」
「へいへい」
渋々と綾香の変わりに立ち上がり、真一はダイニングの冷蔵庫のもとへ向かった。そして、冷蔵庫のドアを開けようとした時、背後で綾香が「あっ」と声を上げた。なにごとか、とそちらを振り向く真一。
「この子」
テレビを指差しながら綾香は言う。「九月の初仕事で共演するっちゃん。こないだマネージャーが言っとったんよ」
「え?」
か、和葉ちゃんか?
すかさずテレビの画面を確認する真一。そこに映っていたのは松尾和葉ではなく、『小悪魔アイドル』菊田つばきであった。