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32 逃亡者

「実はさ」

 ストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら井本は言う。「俺、綾川チロリとちょっとした知り合いなんだよ。でも、知り合いが観に来てるって分かったら、あいつ、意識しちゃうかもしんねえじゃん」

「なるほど」

 橘川はもうアイスコーヒーを飲み干しており、彼のコップの中には解けかけの氷しか残っていなかった。「それで変装してたわけですか……。でも、変装なんてしてる人、初めて見ましたよ」

「そうか?」

 とぼけた顔をする井本。「今日街の中でちょこちょこ見かけたぞ?」

 いや、コスプレと変装はちょっと違うと思うけど……。 



「まあ、ビックリはしましたけど……。あなたが俺を引き止めてくれたおかげで、チロリちゃんと出会うことができたんですから、感謝はしてますよ」

 橘川はとりあえず彼に礼を言っておくことにした。

「まあな」

 満足気な顔で井本は頷く。「周りオッサンばっかだったし、お前みたいな若い客に帰られたら、あいつもますますやりにくくなっちまうだろうからな。まさか、そんなにあいつを気に入ってくれるとは思わなかったけど」

「いやー、チロリちゃんは最高ですよ」

 悩ましげに、ゆっくりと首を振る橘川。「あの舞台にあの格好で出てくる度胸も素晴らしいし、あのエセ博多弁はどうかと思うけどトークもいけてるし、そして何より! あの自然体なルックスですよ」

「自然体?」

 不可解そうに眉をひそめる井本。

「はい。俺、化粧でごまかしてるような女が大嫌いなんですよ。マスカラとかつけまくってね。それに比べてチロリちゃんは全く化粧気がなくて……。あれ、ほとんどノーメイクでしょ?」

「ああ、それは……」

 そこで井本はなぜか言葉を詰まらせる。「まあ、そうなのかもな」

「かー、羨ましいなあ井本さんは! あんな子と知り合いだなんて」

 橘川はまた首を振った。「でも安心してください。紹介してくれなんて言いませんよ。俺はあくまで一ファンとして彼女を見守っていきたいだけですから」

 そして真剣な眼差しを井本に向ける。

 井本はひきつった笑みを浮かべ「サンキュー」と答えた。



「そういえば」

 あることを思い出した橘川。「イベントの途中で、チロリちゃんについてギャップがどうのこうのとか言ってましたよね。普段のチロリちゃんはどんな感じなんですか?」

「え……!? そ、そうだな」

 アイスコーヒーをかきまぜながら「うーん」と唸る井本。橘川は胸をわくわくさせ、彼の返事を待った。「まあ、普段も可愛いんだけどさ……。今日は普段以上に可愛く見えたというか……。ギャップっていってもその程度なんだけど」

 やたらと歯切れの悪い口調である。しかし、橘川は気にしない。

「なるほどねー」

 うんうんと頷く彼。「やっぱチロリちゃん、ステージ映えするタイプなんだろうなー。あー、プライベートのチロリちゃんが気になる! でも、俺は我慢しますよー。アイドルにもプライバシーってのは必要ですからねえ」

 やたらと楽しそうな橘川であった。



「そんじゃ、そろそろ出ましょうか」

 立ち上がりながら、橘川は言う。井本も「そうだな」と彼にならった。

「ま、とりあえずこれからもチロリをよろしく頼むぜ」

 橘川の肩をポンと叩く井本。「次のイベントの日とかは聞いてねえけど」

「はい」

 ポケットから財布を取り出す橘川。そして出入り口付近のキャッシャーに向かう。井本も彼のすぐ後ろを行く。「もしまたイベントがあったら一緒に観に行きましょうよ」 

「え?」

 調子の外れた声を上げる井本。「まあ別にいいけど……。都合がつけばの話だぜ?」

「それから」

 全く井本の言葉が聞こうとしない橘川。前を向き、一人で喋り続ける。「しばらくしたら非公式のチロリちゃんファンクラブとか作りたいですよねー」

 財布から札を抜き出し、キャッシャー台の向こうに立つ、ツインテールのメイドに渡す。井本の様子をまるで窺おうとはしない。「あ、井本さんはチロリちゃんと知り合いなんだから、ある意味公式なのかなー」

 お釣りを受け取り、それを財布の中に入れる。そして……。

「ありがとうございましたー。いってらっしゃいませ、ご主人さま」

 メイドにそう頭を下げられたところで、彼はようやく後ろを振り向いた。

「あと写真集とかが出たら……。あれ?」

 異変に気づく。そしてキョロキョロと周囲を見回す。「え? 井本さん?」

 いつの間にか、井本はこつ然と姿を消していたのだ。


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