28 最後の最後で
「いやー、チロリちゃんみたいな後輩ができて大変だなあ」
「ええー。そんなことないでしょう」
カビリオンズが上手くトークを誘導してくれるおかげで、落ち着きを取り戻す綾香。しかし、いざ視線をフロアに移すと……。
自分に注目する無数の男たちの存在に改めて気づき、再び落ち着きをなくしてしまう。ステージに上がってからずっとその繰り返しだ。
リハーサルの時は全然緊張せんかったのに、やっぱ本番は一味違うな。
そんな当たり前のことを考えながら、綾香は着ぐるみに包まれた身体をもぞもぞと動かした。
「どうしたの?」
野田が笑顔で綾香に尋ねる。「背中かゆいの? それ、暑そうだもんね」
図星である。
「は、はい。ちょっと……」
綾香も笑顔で返した。しかし心の中では……。
ちょっとなんてもんじゃない! まるでサウナに入っとうみたいやん!
全身から汗が噴き出すのを自覚しながら、彼女はホール内のどこかでこのイベントを観ているのであろう南の顔を思い浮かべた。
くそ、南のヤツ……。よりによってこんな衣装買ってきやがって。まあ、これのおかげで『あれ』を編み出せたのは確かっちゃけど……。
「綾川チロリってのは芸名だよね。由来とかってあるの?」
野田の『イジリ』は続く。
「あ、はい」
頷く綾香。「そ、そうですね。綾川ってのは本名をもじったもので、チロリってのは」
綾香がそこまで答えた時、彼女の耳元で松岡が「博多弁忘れてるよ」と囁いた。
「あ! チ、チロリってのはですたいねー……。もともとデビューする予定やった友達の名前を……」
自分でそう言いながら綾香は思う。
博多弁ってこんなんやったっけ?
博多出身のとんこつアイドルというキャラ作りのために、南から『なるべく博多弁で喋れ』と忠告を受けたのだが、博多弁を意識すればするほど、おかしな言語を口にしてしまう。実際は博多弁も長崎弁もさほど違いはないはずなのに。
「へー」
彼女の芸名の由来を聞き終えた野田は興味深そうに頷いた。「じゃあ元々は友達が今世紀最注目のアイドルだったわけだねー」
そこでまた観客が湧く。もはや綾香を今世紀最注目の新人アイドルとして見ている客は皆無であろう。
「それじゃあ、そろそろチロリちゃんはここらでおいとまして頂くわけですけど」
野田のその言葉に綾香は一層緊張感を高めた。「最後に何かお客さんに言っておきたいことでもあれば、どうぞ」
つ、ついにこの時がきた……!
「は、はいですたい」
大きく深呼吸をし、彼女は一歩前に出る。「さ、最後に一発ギャグをやります」
どうすれば、昭和アイドルオタクの中年たちのハートを掴むことができるのか。綾香が出した結論は一発ギャグであった。秀逸な一発ギャグが多数生まれた昭和の時代。その時代を生きた彼らは、何よりも一発ギャグを望んでいる、と綾香は踏んだのだ。
「おおー! それじゃあ、お願いします」
パチパチパチパチ。
野田が拍手をし、観客の注目を促した。そして観客からも拍手。
よし! 行くばい!
綾香は背筋をピンと伸ばし、頭を深々と下げながら言った。
「ありがとんございました!」
シーンと静まりかえる場内。やがて、ところどころでざわめきが起き始める。
「えーと、今のは……。一発ギャグ?」
野田に尋ねられ、綾香は頭を上げた。
「は、はい。ありがとんの『とん』を豚とかけたんですけど……。着ぐるみ着てるし」
自分の頭、すなわち豚の顔を指差す綾香。
ざわざわ。
「ああ……」
困惑したような表情を浮かべる野田。「ち、ちょっと分かりにくかったかもねえ」
ざわざわ。
滝のように全身を流れ落ちる汗が、冷や汗へと姿を変えた。綾香はじっと野田の顔を見つめ、彼に無言で訴えかける。
もう、早く帰らせて……。
ざわざわ。