27 デビュー
爆笑の渦の中、ステージの中心に立った新人アイドル、綾川チロリは、緊張の面持ちのまま、マイクを持つ左手を腰に、右手をチョキにして額にあて、ポーズを作った。
そして彼女は叫ぶ。
「新人アイドルの、……川、……ロリです!」
が、よく聞き取れない。
「チロリちゃん」
そんな彼女に野田が一言。「マイク使わないと聞こえないから」
再び笑いが起こる。野田のその言葉にハッとした顔を見せたチロリは、すぐさま左手のマイクを口元に持っていき、改めて挨拶をした。
「す、すみません。新人アイドルの綾川チロリです」
「おいおい、グダグダだなあ」
松岡が苦笑する。そんな彼にまた「すみません」と謝るチロリ。しかし、彼女のその姿は、どう見てもふざけているようにしか見えなかった。
なぜなら、彼女はピンクの豚の着ぐるみを着ていたからである。
「いやー、出てきた瞬間お客さんも笑ってましたけど、その着ぐるみはなんなの?」
野田が豚の顔ではなく、チロリの顔に向かって尋ねた。チロリの顔は豚の口の部分であり、彼女の額の上あたりに、まるでエンブレムのように豚の鼻が付いていた。
「あ、えーと」
自分の頭をポンポンと叩くチロリ。「私、博多出身ですけん、とんこつラーメンをイメージしてみたとですばい」
やたらコテコテな博多弁である。
「なるほどねー」
苦笑しながら野田は言う。納得したわけではなさそうだ。「でも、パッと見、豚に食われかけてる人みたいに見えるねー」
その発言でまたホール内が湧く。綾川チロリも「そうですね」と笑顔を見せていた。
橘川は目をこらし、綾川チロリの顔を観察した。
まあまあ可愛いのかな。
化粧っ気の少ない、素朴な雰囲気……。それは、ずばり彼好みのルックスであった。
ふと隣のヒゲ男に視線を移す。先ほどから彼は、なぜかずっと静かにステージを見つめたままで、拍手すらもしていないようである。
俺が帰るのを引き止めたくせに、自分はちっとも楽しそうじゃないじゃないか。
橘川が心の中でそう呟いたとき、ようやく彼の視線に気がついたか、ヒゲ男が「ん?」と彼に顔を向けた。
「どうしたよ」
「あなた、さっき俺が帰るのを引き止めたくせに、自分はちっとも楽しそうじゃないじゃないですか」
心の中と同じ全く内容の台詞を吐く橘川。
「あ? あ、ああ」
なぜかうろたえた様子のヒゲ男。「いやー、ちょっとぼおっとしちゃって。あまりに可愛くて……」
「可愛くて? 可愛いって……」
橘川は目を丸めた。そしてステージ上のチロリをチラッと見てから、再びヒゲ男に視線を戻す。「まあ、僕も可愛いとは思いますけど、そんな見惚れるこたあないでしょう?」
「いや、なんていうかギャップがさ……」
「ギャップ?」
「ああ、それはまあなんだ。 こっちの話だ」
どうにも歯切れの言葉である。橘川の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
いったいなんなんだ? なんか分かんないけど、もうこの人に関わるのはよそう。
そして彼は男からステージへと視線を戻すのであった。
ステージ上では綾川チロリを加えた三人で、またもや昭和アイドルのトークを繰り広げていた。
「チロリちゃんはあんまり昭和のアイドルとか分からないでしょ?」
松岡がチロリに尋ねる。
「そげなこつなかですばい(そんなことありませんよ)」
首を振るチロリ。「大沢みゆきさんとか三井あかねさんとかは、私もすごく尊敬しとりますたい」
おー、と観客から感嘆の声。
「へー、けっこうマニアックなアイドルの名前がでてきたねー。親御さんの影響かな」
今度は野田だ。チロリはカビリオンズの二人に挟まれた状態なので、先ほどからキョロキョロと忙しく、左右に顔を動かしている。
「いえ、今さっき勉強しておきましたばい」
「おいおい! それ言っちゃダメじゃん」
どっ、とまた場内が湧く。それと同時に、橘川も少しだけ口元を緩めた。
綾川チロリか……。けっこう面白い子だな。
少しずつ……。
少しずつだが新人アイドル、綾川チロリに橘川の心は奪われ始めていた。