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26 イベント開演

「いやー、アイドル歌手の王道といえばやっぱり工藤直子でしょう」

「そうきましたかー」

 観客から「おおー」と、どよめきの声が上がる。中には拍手をする者もおり、イベントは大盛況といったところか。ただ、そのイベントを冷めた目で見つめる一人の青年が……。

 はあ、来るんじゃなかったよ。

 フロア最前列に陣取った橘川夢多きっかわむたは、溜息を吐くとステージから目を離し、真っ暗なホール内を見渡した。その行動に特に意味はないはずだったが、ひょっとしたら好きなお笑いコンビの醜態をこれ以上観たくはなかったのかもしれない。

 そう、彼はカビリオンズの大ファンであった。まだ学生ではあるものの、バイトで金を貯め、せっせと彼らのイベントに足を運んでいる。今日も、ここ『秋葉原ポケットルーム』で彼らのトークショーが催されると知り、意気込んでチケットを購入したのだが……。

 まさか、本当に昭和のアイドルを語るだけだとはなあ。

 再びステージ上のカビリオンズに目を向ける橘川。

「ところで、学生時代に一度、椎名ゆい子さんのイベントに参加したことあるんですけど」

「おお、あのユイユイのイベントに?」

 サワ、とどよめく場内。しかし、橘川の口からこぼれるのはやはり、深い溜息ばかりだ。

 つまらない。ボケもない。ツッコミもない。

 周りの客は皆、橘川より十も二十も歳が離れた中年男性ばかりである。彼らの目当てはカビリオンズの笑いではなく、昭和のアイドルという題材なのだ。

 被っている黒い野球帽のつばを下げる橘川。やはり観たくはないのだろう。

 ずっと立ちっぱなしで足も痛くなってきたし、もう帰ろうかな……。

 そう考えて、彼が出口へ向かいかけたその時。彼の足に何かを踏みつける感触が。



「いて!」

 踏みつけたのは隣の客の足であった。即座に頭を下げる橘川。

「す、すみません。ぼーっとしてまして」

「いや、まあ大丈夫」

 そう言って苦笑する、相手の顔を窺ってみる。橘川と同じく、野球帽を被った男で、丸く大きなサングラスをかけている。若そうにも見えるが、鼻の下にたくわえた立派なヒゲを見る限り、やはり彼も橘川よりだいぶ年上なのかもしれない。

「それじゃあ、僕は失礼します」

 そそくさと、その場を離れようとする橘川を……。

「え? ちょっと」

 ヒゲ男が止める。「なに? もう帰っちゃうわけ?」

「え?」

 足を止め、眉をひそめる橘川。「そうですけど?」

「いや、なんでだよ」

 なぜか慌てた様子で男は言う。「これから面白いエピソードとかたくさん聞けるかもしれないじゃん。それにほら、新人のアイドルの子が出てくるとかなんとか。もう少し観ていきなって!」

 橘川は疑問に思った。この男はなぜ、こんなにも必死になって自分を引きとめようとするのだろう。

「いや、アイドルとか興味ないんで」

「そう言わずに! な? もう少しだけ」

 両手を合わせ頭を下げるヒゲ男。

「……」

 橘川は戸惑いながらも「そこまで言うなら」と、仕方なくその場に残ることとした。そして、嬉しそうに「そうこなくっちゃ」と笑う、男の顔をまじまじと見つめながら、彼は思う。

 イベントスタッフかなんかなんだろうな。



「お? そろそろお時間ですか?」

 イベント開始から一時間ほど経過したころ、ステージ上の野田が、突然松岡にそう尋ねた。いや、尋ねたというよりも、確認したというニュアンスに近い。

「おお! そんじゃあそろそろ行きますかー?」

 松岡が観客に向かってそう言った途端、会場が一気に湧き始めた。拍手も起こり始めたので、橘川も拍手をするフリだけはしておく。

 これから何が起こるのか、彼だって一応分かってはいるのだが、どうも熱が上がらない。いやむしろ、冷めていくばかりだった。 

 新人アイドルなんて……。どうせ何も面白いこと言えないんだろ。

 野田が舞台袖まで歩き、おそらくそこに控えている新人アイドルに向かって話しかけた。

「準備はオーケー? そろそろ……」

 そこでなぜかプッとふき出す彼。「おい! なんだよそれ」

「?」

 その様子を見て不思議に思い、顔をキョトンとさせる橘川。

 なんだ? どうしたんだ? 

「えー、それじゃあ気を取り直して紹介いたしましょう!」

 そう言ってから、野田は再びステージの中心に戻り、舞台袖を注目するよう、観客を手で促した。「今世紀最注目の新人アイドル、綾川チロリちゃんです!」

 その瞬間、会場内に一際大きな拍手の嵐。それに続いて、爆笑の嵐が巻き起こるのであった。


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