22 初めてのアキバ
家電量販店のカラフルなビルが幾つも立ち並び、世界有数の電気街として知られる町、秋葉原。近年ではアニメ、ゲーム、そしてアイドル、と様々なサブカルチャー分野のオタクたちが集う、オタクの聖地としてもお馴染みである。
「アニメフレンズで『スペースオクトパス』の原画を入手してきましたよ」
「マジですか? 俺も今から行こうかな」
少女のイラストがプリントされた紙袋を手に持つ二人の青年が、何やら話をしている。そしてその様子をじろじろと観察する、ノースリーブのグリーンのシャツを着た少女。そう、池田綾香だ。
続いて彼女は逆の方向を見る。
「今日あのイベント何時からだっけ」
「三時だよ」
「うそ? 玉置さんのサイン会とかぶってんじゃん」
こちらは女性だ。そのうちの一人はフリルのついたカチューシャを頭につけ、同じくフリルのついたエプロンドレスを身にまとっていた。いわゆるメイドファッションというものであろう。
「おい。何をぼう、と突っ立ってんだ」
南吾郎が腰に手をあて、呆れたような口調で綾香に言う。彼は相変わらずの黒スーツ姿である。「しっかりついて来ないと迷子になるぞ」
そして彼は身をひるがえし歩き始めた。
口をとがらせながらも、渋々と彼の後を追う綾香。
JR秋葉原駅前。二人は、たった今電車から降り立ったばかりである。
「アキバってやっぱ凄いね。右を見ても左を見てもオタクばっかり」
南に追いついたところでそう言いながら、実際に右を見て、左を見る綾香。好奇心溢れる目つきである。
なにしろ、彼女にとって今回が初のアキバ来訪であった。
「あんまりじろじろ物珍しそうに見るなよ」
前を向いたまま南は言う。「お得意さまだ。失礼な態度は控えとけ」
「お得意さま?」
首をかしげる綾香。
「今やアイドルの人気でさえも、ここアキバから火がつくっていうパターンが増えてきたからな。お前がアキバ系たちに受け入れられれば、ブレイクできる可能性もうんと跳ね上がるだろう」
「ふーん」
そして綾香はまた周囲を見回した。「今日のお客さんって、オッサンばかりなんよね?」
南は「うーむ」と唸る。
「今日は昭和のアイドルを語るって企画だからな。若干ご年配の方が多いかもしれんが……。まあ、オタクなんてどれもそう大して変わらんだろう」
その言葉を聞き、あんたのほうが失礼やん、と綾香は思うのであった。
八月一日は猛暑日となった。おまけに午後二時前。太陽が、最もはりきって、町に熱をまき散らす時間帯である。十分ほど歩いたところで、綾香は「み、南さん。ちょっとタンマ」と前を行く南を呼び止めた。
「はあ、はあ……」
肩で息をする綾香。「もう暑くて暑くて……」
「ったく……。仕方ねえな」
呆れたように溜息を吐く南。「あんまり汗かくなよ。向こうにシャワーはないぞ」
そう言う彼も、水に濡らしたタオルで、スキンヘッドの頭を伝う汗をせっせと拭っている。
「そんなこといっても……、っと」
軽い衝撃。どうやら通行人にぶつかってしまったようだ。「ご、ごめんなさい……。あ!」
綾香が頭を下げたその相手は、外国人の若い男であった。彼も少女が描かれた紙袋を、両手に持っている。
「ソーリー」
「オ、オウ、ファインテンキュー! スチューデンツ」
うろたえながら適当な英語で応対する綾香。そんな彼女を無視して、そそくさと歩き去ってしまう男。
やがて、彼の姿が見えなくなるのを待ってから、綾香は言った。
「さっきからやけに外国人見るなあ」
「世界規模でいえば、渋谷より有名な町かもしれんしな。そんなことより……」
そこまで言って、しげしげと綾香の姿を見つめる南。「今日は顔見せ程度の出演だから、私服で充分だと思っていたが……。衣装を用意しなければならんようだな」
「……」
綾香が着ていたシャツは、汗でびしょ濡れになってしまっていた。