20 一週間で彼女は
ピッと何かの電子音。続いてカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。
な、なんだ……?
深い眠りから覚めた井本真一は、片手で目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。かすみがかった視界の奥に、パソコンに向かう女性の後ろ姿がぼんやりと見える。
「あ、綾香か?」
返事はない。しかし、視界が鮮明になっていくにつれ、彼は確信する。その後ろ姿は紛れもなく、恋人池田綾香のものだ。「なんだってんだよ……。おっと」
立ち上がったところで眩暈に襲われる。そこで、ようやく綾香がこちらに目を向けるのだった。
「おはよ」
それだけ言って、再びパソコンのディスプレイに視線を戻す彼女。「おはよっつっても、もう夜やけどね」
時刻は午後十一時。松庵の、真一の1DKのアパートである。
「お前なあ」
金色の自分の髪をグシャグシャにかき乱しながら、真一は綾香に近づいた。「ここ一週間なにやってたんだよ。メールも電話も無視しやがって」
二人が顔を合わせるのは、先週、真一がデートをすっぽかした日以来である。
「ちょっと、いろいろあったんよ」
マウスを動かしながら、冷めた口調で綾香は言う。
「ん? サニーダイヤモンドプロダクション公式サイト?」
真一は彼女の後ろからディスプレイを覗き込んでいた。「なんだよ、お前やっぱりアイドルに未練があるのか?」
「やっぱり私がスカウトされたって信じてなかったんやね」
相変わらず前を向いたまま、そんなことを言う彼女。真一ははあ、と深く溜息を吐いた。
「当たり前だろ」
そして彼は、また頭をかく。「お前がアイドルなんて夢のまたゆ……」
「この子知ってる?」
彼の言葉を遮って、綾香が尋ねる。『この子』とはパソコンのディスプレイに映っている少女を指しているらしい。
「ん?」
ディスプレイに顔を近づける真一。どうやらサニーダイヤモンドプロダクションのタレントリストらしい。無垢な笑顔を浮かべる、見慣れた少女の写真の右横に、『内藤ちえ美』という名前が書かれてあり、その下に生年月日など、詳細プロフィールが並んでいる。「なんだ。内藤ちえ美ちゃんじゃねえか。サニーダイヤの看板タレントだよ。最近写真集出して、売り上げトップテンに入ったりして人気急上昇中だな。真一ランキングでは12位だ」
一週間前より若干ランクアップしていた。
「ふーん」
自分から聞いておいて、彼の話に興味がなさそうな綾香。「あんたのランキングで12位ってことは、そこそこ有名なアイドルっちゃね」
「まあな。サニーダイヤの期待の星、といっても過言じゃあないだろう」
「ふーん」
そのまま綾香は黙りこみ、ぼんやりとした目つきで、ディスプレイを睨み続ける。そんな彼女の横顔を見ながら、真一は心底困惑していた。
いきなりなんだ? 急に内藤ちえ美ちゃんのプロフィールなんて……。
「ねえ、サニーダイヤプロダクションにもう一人期待の新星が現れた、って知っとる?」
「は?」
突然の彼女の言葉に、目を丸くする真一。「もう一人? いや……?」
彼の困惑は更に深まり、だんだんと険しい顔になっていく。するとその時、綾香が勢いよくイスから立ち上がった。
「わ! な、なんだ!?」
驚いて飛びのく真一。彼の正面に立ち、綾香はポーズを決める。
左手を腰。右手をチョキにして額へ。
「来月から、サニーダイヤモンドプロダクションよりデビューすることになりました! 新人アイドルの綾川チロリです! チロリンって呼んでね!」
「……」
彼女を凝視したまま固まる真一。そんな彼にウインクを決める綾香。
そして静寂、静寂、静寂……。
数秒後、ぱちぱち、という乾いた音で、ようやくその静寂は破られる。
真一はとりあえず拍手をしていた。そして彼は思う。
こ、この一週間で、綾香の身にいったい何が……。