17 これが芸能界
「あんたのせいで親友を失くしました」
翌日の正午過ぎ、サニーダイヤモンドプロダクションが事務所を構える、大谷ビルから五分ほど歩いたところにある喫茶店。その一番奥の席に、池田綾香は南吾郎と向かい合わせで座っていた。
店内はカウンターを含め、十畳ほどの広さである。昼時だというのに、彼女たち以外に客はいなかった。
「そりゃあ、まあ」
スキンヘッドの頭をポリポリと掻きながら南が言う。「お前が悪い」
「……!」
キッ、と南を睨みつける綾香。
「おいおい」
南は両手を軽く上げ、困惑したように笑った。「俺は詩織ちゃんを説得しろ、とは言ったけど、騙せとは言ってないぜ」
「でも」
ドン、と綾香がテーブルに勢いよく手をついたせいで、上に乗ったコップが揺れ、中にはいっていたアイスコーヒーが少しこぼれてしまう。「そうでもせんと、詩織、全然その気になってくれんっちゃもん!」
「ったく」
ライターで煙草に火をつける南。そのまま気持ち良さそうに煙草を吸い、ふぅ、と紫煙を吐く。「そんな詐欺みたいなことしてりゃあ、説得できるもんもできねえだろうが。もう期限は今日までだ。どう考えても無理だな」
「う……」
綾香は口ごもり、それからうつむいた。「ご、ごめんなさい……」
そう謝りながら彼女は『この男に謝るの、何回目だろう』とぼんやり考えていた。
「前から思っていたんだが」
灰皿に煙草の灰を落としながら、南が言う。「お前のその喋り方って。福岡か?」
「その隣の隣です」
目を落としたまま綾香は答える。
「ふーん、岡山か……」
なんで関門海峡渡っちゃうんよ!
「い、いや」
コホン、と一つ咳払いをする綾香。「長崎です」
「ふーん、なるほどね。長崎か……」
南はそれだけ言うと、また煙草を口に近づけるのであった。
なんなん? 長崎で悪い?
思わせぶりな彼の態度に戸惑う綾香。その時、どこからともなく突然プルル、と無機質な電子音が鳴った。
「おっと、失礼」
南が上着のポケットから携帯電話を取りだす。電子音の正体は携帯の着信音であった。メロディも歌もない、オーソドックスな昔ながらの着信音だ。やがて彼は携帯を耳にあて、何者かと電話で話を始めた。「おー、どうしたのー? ちえ美ちゃん」
やたらと軽い声。いつもの野太い声はどこへいったんだ、と綾香は思った。更に彼の言葉に耳を尖らせてみる。
「今、こっち? あー、そう? うーん、ちえ美ちゃんには参っちゃうなー」
「おえ……」
不気味な口調に、思わずえずいてしまう綾香。そんな彼女を気にもとめず、南は会話を続ける。
「えー? もー仕方ないなあ。ちょっとだけだよー。今『ビリーブ』にいるから」
「『ビリーブ』……」
確か、今二人がいる喫茶店の名前である。
「そんじゃ、待ってるよー。ほいー」
最後まで気色の悪い口調のまま、南は通話を終え、携帯電話をポケットにしまった。
「……」
じーっ、と彼を見つめる綾香。
「まあ、お前の言いたいことは分かるが」
南は照れを隠すかのように、サングラスのブリッジを中指で持ち上げた。「うちの看板タレントだからな。機嫌を損ねるわけにはいかねえ」
「はあ……」
綾香は思った。これが芸能界か……、と。