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エピローグ

「さっさと考えろよ」

 南はホールの方向をあごで示した。「あんまり遅くなると、ファンのコールが罵倒に変わるぞ」

 詩織は耳を澄ました。かすかに「アンコール」を連呼する声が壁越しに聞こえてくる。

「でも」

 綾香が納得のいかないといった表情を南に向ける。「どうせ機材が故障しとうっちゃけん、代わりの重大発表を思いついても、すぐにはコンサートを再開することはできんかろうもん」

「そんなもん、気にすんな」

 足もとを揺すりながら南は言う。「機材はいつだって直る。そもそも故障なんてしてないからな」

 綾香も、真一も、田之上も、もちろん詩織だって、その言葉の意味が一瞬分からなかった。誰が初めに気がついたのかは分からない。ただし、誰よりも先に反応を示したのは綾香だった。

「あんた、まさか……」

 わなわなと肩を震わせる。「コンサートを失敗させるために、そんな嘘吐いたっちゃないやろうね」

「何もかも無駄だったな」

 平然と南は言ってのけた。「わざわざ機材が故障したことにして、滑りやすい靴ばかり用意して、マイクにも細工して、コードにも細工したのに、別にそんなことしなくても充分にぐだぐだなコンサートだった」

「やりすぎ!」

「南さんも綾香に引退なんてして欲しくなかったんだよ」

 へそを曲げる綾香を、詩織はなだめにかかった。しかし、綾香は不機嫌そうに首を振って吐き出すように言った。

「そんなことしてファンの皆に悪いとは思わんとかいな。せっかくコンサート楽しみにしてくれてたとに」

「そう思うんなら、簡単に引退なんて口にしないことだな」

 鋭くなった南の口調に、綾香はやや顔を強張らせた。「お前は今までファンに育てられてきた身分だ。お前が納得し、ファンが納得してから初めて、引退という選択肢が生まれてくる」

 皆が綾香に視線を注いだ。彼女は気を落としたようにうつむきながら「すんません」と呟いた。

「分かったならいい」

 南は頷いた。「そんじゃ、さっさと顔を出し、ファンを安心させてこい。もう重大発表なんてなんでもいい。それから、明日も朝から仕事だから打ち上げはほどほどにだ」

「はあ!?」

 そこに突如怪物でも現れたかのように、綾香はものすごい勢いで彼に顔を向けた。「あ、あ、あ、明日からの仕事、キャ、キャ、キャンセルしたって言ったやん」

 南は何も答えず、ただ口もとにニヤリと不気味な笑みを浮かべた。それを見て綾香はへなへなと座り込んでしまった。



「一つ聞きたいんですけど」

 綾香がスタンバイのため、トボトボと部屋を出て行った後、真一が南に声をかけた。南はそちらを見やることもなく、軽く頷いて言葉を促した。「俺と綾香がこの先、付き合いを続けていったら、やっぱり綾香の人気も落ちちゃいますかね」

「真一さん」

 また身を引こうなどと考えているのではないかと心配し、詩織は真一をたしなめようとした。しかし、真一は彼女を手で制した。

「男がいながらトップアイドルに君臨し続けるヤツっていうのはごくわずかだ」

 南のその言葉はなんとなく達観したように聞こえた。それとは見合わず、喫煙できないことによるストレスなのか、足の動きは激しくなっている。

 「ただ……」と彼は続けた。

「アイツはそのごくわずかなアイドルだと思っている。だからこそ、俺はアイツの引退を止めた。お前はどう思う」

「はい」

 真一は自信に満ちた表情で頷いた。「俺もそう思います」

「じゃあ、お前らもさっさとホールへ行け」

 南はホールへ続く通路を指差した。「アイドル、綾川チロリの再出発を見届けてこい」

 


《なんとお……》

 スポットライトに浮かび上がった綾香がマイクを片手にもったいぶった。まるで観客の息を呑む音が聞こえてきそうだった。充分すぎるほどのタメを作ってから、ついに重大発表がなされた――。《彼氏とヨリを戻しちゃいましたー》

 やはり《テヘッ》と笑う。今度は観客がドテッとずっこける音が響いてきそうだった。

「バカヤロー! 心配しちまったじゃねえかー!」

「チロリちゃーん、幸せになってねー!」

「そんなもん、いちいち発表すんじゃねえ!」

 それらの野次を聞いていると、先ほどの南の言葉の意味が痛いほどによく分かった。

 綾香、やっぱあんたはアイドルだよ。

 詩織はステージに立つ親友を誇らしげに眺めた。

《えーっと》

 ポリポリと頬をかく綾香。《今日はみっともないステージを見せちゃってゴメン。でも、トラブルは全部スタッフによる陰謀やったけん》

「人のせいにするなー!」

 物騒なファンが手をイヤホンにして叫んだ。《コホン》と咳払いをする綾香。

《で、でも、もう大丈夫。悪いスタッフがチロリンがやっつけたけん。最後はノリノリでアワアワに締めるけん、皆、付いてきーよ!》

 「おー!」と観客に混じり、詩織と田之上も右腕を上げた。顔を見合わせてフッと微笑む。《最後はまたまたこの曲。準備はいいかい? ――イィッツゥ・パフォーマァンスゥ!》

 ドンドドドンとドラムのフレーズから、本日二度目のキャノン砲と共に、本日二度目の『イッツ・パフォーマンス』が始まった。綾香のみを捉えていたスポットライトがビックバンのように広がり、ホール全体を包み込んだ。ひたすらにキャッチーな、イントロのリズムに合わせて、先ほどとは打って変わり、ステージを転げまわる勢いで駆ける綾香。どうやら滑らない靴を用意してもらったらしい。

《さあ、踊りまーしょ♪》

 サビではモニターに足を乗せる。最前列の観客の手が触れてしまいそうだった。《イッツパフォーマンス、イッツパフォーマンス》

 「イエーイ!」とファン全体がジャンプする。

《テレビのなーかーでは♪ 私はアーイドルだものおー》

 腰をフリフリかわいこぶりっ子。くるりとバレリーナのように一回転し、こちらに向き返る。《ワーン、ツー、スリィー》

「イエーイ!」

 曲が終わりに近づくにつれ、ファンの熱狂は加速していくようだった。ひょっとしたら最後になったかもしれないライブを肌いっぱいに堪能しつつ、詩織はしみじみと思った。

 うーん……アイドルも捨てたもんじゃないな。

《ラストおお!》

 綾香の呼びかけに詩織と田之上が、そして会場のファン全員が右手をかまえた。《ワーン、ツゥー、スリィー》


『イエーイ!』




ご愛読ありがとうございました。



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