16 悪どい手口
「いらっしゃいませえ」
『キャンユー』吉祥寺駅前店。商品であるトイレットペーパーの品出しを行いながら、すれ違う客に向かって、そう挨拶する店員、池田綾香の顔にいつもの覇気はない。
詩織、全然ノッてくれんかったな……。
『一週間やるから、なんとしてでも詩織ちゃんを説得しろ』
親友である矢上詩織をアイドルとしてデビューさせようと目論む、サニーダイヤモンドプロダクションのスカウト南吾郎にそう命じられてからというものの、綾香は詩織に対し、あの手この手でアイドルデビューの勧誘を行ってきたが、それを無視され続け、一週間あった期限は、いよいよ残りあと一日となってしまった。
もし、アレが失敗したら、詩織に直接会って土下座して頼むしか……。
手を止めて、そんなことを考えている時、客の一人が目の前の4R入りトイレットペーパーの山から、「ください」とその一つを手に取った。
「あ、ありがとうございます」
慌てて挨拶し、相手の顔を見るが。「う……」
顔から血の気が引いていく綾香。
「店員さん、『キャンユー』はいつも安くて便利だねえ」
そして客は微笑んだ。しかしその笑顔を見て、綾香が感じたのはただ恐怖のみだ。そう、その客は矢上詩織その人だったのである。
「し、詩織い……」
綾香は、何かを懇願するような眼差しを彼女に向けた。
「綾香、今日うちに届いてたものなんだけど」
なぜか優しげな口調でそう言うと、詩織はトイレットペーパーを置き、ハンドバッグの中から白い封筒を取りだした。その封筒に綾香は見覚えがある。「これはなにかな?」
またニッコリと笑顔。綾香はブルッ、と身を震わせた。
「そ、それは……。なんでしょう?」
彼女も笑ってみせるが、引きつった笑顔にしかならない。
「とぼけないで!」
態度を一変させ、怒鳴る詩織。笑顔も完全に消えている。「『エステ無料招待の案内』なんて書いてあるからさ、わくわくして開けてみたら……」
その時の再現といったふうに、詩織は封筒を開け、中の書類を取りだし、続ける。「『会員データを作りますので、印を押して送り返してください』だって。これ、思いっきり『サニーダイヤモンドプロダクション タレント契約書』って書いてあるじゃん!」
「……」
その通りだった。綾香が南に契約書を預かり、それを利用して作り上げたニセの案内である。ご丁寧に返送切手まで同封していた。「やっぱり……バレちゃった?」
ハハ、と笑ってごまかそうとする綾香。
「当たり前でしょ!」
キーンと耳鳴り。こんなに怒る矢上詩織も珍しい。「最初は可愛いいたずら程度のもんだったから黙ってたけど、こんな悪どい手口使うなんて……。電話しても出ないから、直接来てやったわよ! 綾香、もう絶交だからね!」
「ええ!?」
『絶交』の言葉に過敏に反応する綾香。詩織にすがりつく。「そんなあー。それだけは勘弁して! 私、詩織がおらんかったら生きていけんってー!」
しっかり者の詩織にはいつも助けられていた綾香であった。
「ダーメ、絶対に許さないからね。綾香が悪いんだよ」
プイ、と顔を背ける詩織。そして綾香に封筒を差しだす「じゃ、『エステ無料招待の案内』は返すからね。ほら!」
綾香はそれを黙って受け取り、しばらくぼー、っと封筒を見つめた。それからもう一度詩織の表情を窺おうと顔を上げるも、詩織はすでに彼女に背中を向け、その場から立ち去ろうとしていた。
うう、詩織い……。
親友が自分のもとから去っていく。その事実にショックを受け、綾香はガックリと肩を落とした。すると、床に置かれたままのトイレットペーパーを発見する。
し、詩織。トイレットペーパーいらんの?
心の中で元親友にそう問いかける綾香。
余談ではあるが、五分後に詩織がこっそりトイレットペーパーを買いに戻ってきたことに、綾香はまるで気がつかなかった。