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47 夢心地

「な、那美」

 電話のマイクの部分を手の平で覆い隠し、美穂はそばに立つ那美に小声で助けを求めた。「橘川さん、私と貴美さんが知り合いだってこと知ってるみたいなんだけど、なんて言えばいい?」

「ちょっと待ってね」

 狼狽の色を隠そうとしない美穂に対し、至極冷静な様子の那美。腕を組み、真面目な表情で考え込む。あっという間に解決策を思いついたらしく、美穂に耳打ちをする。「じゃあ、こうしよう。美穂と貴美さんが知り合いだってことは認めた上で、貴美さんにも勉強を教えてもらったけど、ちょっと独特過ぎて分かりにくかった。だから、橘川さんのことを思いついた」

 美穂はコクリと頷き、慌てて電話を口に当てた。

「あ、すみませんでした。ちょっとガスコンロ付けっ放しにしてて」

 《気をつけなきゃ》と笑う橘川。良かった。どうやらこちらの動揺を悟られてはいないらしい。「え、えーとですね。貴美さんとは確かに知り合いなんですけど……」

 那美に言われたとおりに話す。橘川は《あー》と納得したように唸り声を上げた。

《そうかもしれない。貴美ちゃん、良い子なんだけど、ちょっと変わってるところがあるもんね》

「はい、良い人なんですよねえ」

 そう返事をしながら美穂は思った。やはり、貴美は橘川のことを知っていたのだ。しかも、橘川のほうも貴美のことを知っているではないか。貴美が自分に橘川を紹介しようとしなかった理由をもう一度考えてみる。有力なのは、どう考えても同じ色恋沙汰の問題だ。貴美が橘川に片想い。貴美の友達が片想い。貴美と橘川が実は付き合っている……。

《確かに、貴美ちゃんは理系でかなり頭も良いみたいだし、俺のほうが高校生のレベルに合ってるだろうな》

「そういう意味じゃないんですよ。ただ、橘川さんしか思いつかなくて」

 貴美と橘川が実は付き合っている?

 思わず身震いをしてしまう。馬鹿な。そんなはずはない。自分の彼女のことを『良い子なんだけど』などと形容するものなのか。いや、するかもしれない。

 ダメだ、と美穂はその想像を取っ払った。そんなことを考えていてはキリがない。考えているように見せかけて、それは逃げているのだ。橘川は目の前にいる。電話の向こうにいる。貴美のことは一旦忘れて、彼との電話に集中しよう。しかし。

《貴美ちゃんとはどこで知り合ったの?》

 向こうにその気はないらしい。美穂の頭にピッタリと自らの頭をくっつけて、電話を盗み聞きしていた那美が「正直に」と耳打ちをする。

「私の同級生のお姉さんなんです」

《そうなんだ》

 驚きの混じった声で橘川は言った。《世間は狭いもんだね。貴美ちゃんに弟がいたってのも知らなかった》

 その瞬間、「よし」と呟いて那美が美穂のもとから離れる。そして、勉強机の上に置いたスケッチブックを再び手に取った。

 い、いよいよか……。

 那美に顔を向け、美穂は神妙な面持ちで頷いた。



「私、貴美さんと近所なんですよ。橘川さんはどちらに住んでるんですか?」

 那美の持つスケッチブックにチラチラと目を向けながら、美穂はたどたどしい口調で言った。

《俺? ホラ、一年前駅前で会ったでしょ? その近くなんだけど》

 つばきの予想どおりだ。思わず左手でガッツポーズを決める。

「本当ですか!」

 大げさに驚いてみせる。「私もその近くなんですよ。じゃあ、橘川さんもご近所さんだったんですね。へー」

《そうなの!?》

 こちらは本当の驚きであろう。《じゃあ、貴美ちゃんも近くに住んでるってことか。うわー、全然知らなかった》

 那美のスケッチブックを見て、ゴクリと息を呑む。さあ、ここからが大仕事だ。

「じ、じゃあ……」

 そこまで言って一度深呼吸をする。高鳴る胸の鼓動が電話越しに響いてしまっていないか不安だ。「お近づきのしるしに一緒にお茶でもどうですか? 秀大の雰囲気とか色々聞いてみたいんです」

《え?》

 その声にかすかな動揺が感じられた。まずい、端折りすぎたかと無意識のうちに唇を噛みしめる美穂であったが。《うん、いいよ。そちらが良ければ》

 始めのうちは静かに、やがて、だんだんと胸の奥底から全身へと伝わる、朝陽のように煌びやかな感情を覚えた。それが脳天を突き抜けた時、美穂の表情はパッと明るく輝いた。

「やっ……!」

 やったあ!

 ついにやったのだ。とても長い道のりで、色々と遠回りしてしまったかもしれないけど、ついに自分はやってのけた。

 これで、橘川さんとまた会える!



 再会の具体的な日時などを決めた後、美穂は那美の指示で早々に電話を切り上げた。同時に部屋の中でピョンピョンと弾け回る二人の女子高生。

「やったー! やったぞー!」

「やったやった!」

 自分のことのように喜んでいる様子の那美。「カンペ作っといて本当に良かったね」

「うんうん」

 一回目の繋がらなかった電話の後、那美が中心となり、話すべきことをスケッチブックに書き込んでおいたのだ。あれがなかったら、美穂は頭がパニックになり、何一つ言葉にできなかったかもしれない。最初の電話が不通で本当に良かったと思う。

「ホント、ヒヤヒヤしたんだからね!」

 呆れたような口調で那美は言った。「間違って電話切っちゃうし、漢字読み間違えちゃうし」

「しかたないじゃん!」

 両手を胸もとに当て、ぶるぶると首を振る美穂。「本当に橘川さんが出たからビックリしちゃったんだよ! 漢字だって、ちゃんと読み仮名ふっといてくれなきゃ! 『その他諸々(もろもろ)』なんて読めないってば!」

「それぐらい読めなくて、秀大なんか入れるわけないでしょ!」

「別に入らないもん!」

 そして二人はアハハと笑い合った。

 嬉しくてしかたがなかった。もう過去のどんな辛いことも忘れられそうな気がする。どんなにひどいことをされても許せそうな気がする。美穂はまるで人間を超越したような気分になっていた。

 トントンとドアがノックされ、ドアの向こうから「下に響くから騒がないで」と母からお叱りを受けた。美穂は「はーい」と気の抜けた返事をし、また笑った。

「ねえ、美穂。私、お腹空いちゃったよー」

 ベッドに座り込み、那美がお腹を押さえながら言った。

「うん、私もー」

 彼女の隣に座り、美穂は頷く。「急にお腹空いちゃったな。今から二人でなんか食べに行こう!」

「うん!」

 今年の夏は暑くなりそうだ。

 美穂はどこかで聞いたような台詞を心の中で口走ってみた。




これ、コメディだったよなと今更ながらに思う。



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