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45 逃げ腰な恋

 エレベーターの心地よい震動に身を委ねている間、二人きりの羽山美穂と河内那美はなぜかピタリと会話をやめてしまった。エレベーターに乗るといつもこうだ。那美がどんなつもりなのか分からないが、美穂の場合は静か過ぎるのが原因だ。親友の那美とのプライベートな会話に、エコーがかかってしまうのは勘弁してほしい。

 エレベーターが五階に到着する。エレベーターを出ると同時に、那美が背伸びをしながら「なんか懐かしいなー」としみじみ言った。そういえばそうだと美穂は気づく。那美が最後に美穂のマンションを訪れたのは、まだ二年の時だった。

 美穂は「ただいま」と中に声をかけながら、自宅の玄関ドアを開けた。母からの返事はないが、外には出ていないはずだ。

 部屋に上がりながら促すと、那美も「おじゃまします」と挨拶をしながら靴を脱いだ。

 リビングや洗面所などを覗き込み、母を探す美穂。あれ、鍵もかけずにどこへ行ったのかなと不思議に思いかけた途端、美穂の部屋から出てくる母とバッタリ目が合った。

「ちょっと」

 美穂は母を睨みつけた。「私がいない時に勝手に部屋に入らないでって言ってるでしょ」

「ごめんごめん」

 ドアを閉めながら苦笑する母。アイドルの娘を持っているとは思えない素朴な女性で、家にいる間は常にエプロンを身体に巻きつけている。「美穂ちゃんがちゃんと掃除してるか心配になっちゃって。でも、大丈夫みたいね」

「大丈夫だよ」

 ツンと母から顔を背ける美穂。そこでようやく那美が母にお辞儀をする。

「お久しぶりです。お邪魔してます」

「那美ちゃん?」

 母は目尻にしわを寄せた。「久しぶり。髪型変えた?」

「はい、少し……。おっと」

 美穂に手を引かれ、那美はバランスを崩した。

 母が道を開け、那美の手を引きながらそこを突っ切って歩く美穂。そして、部屋に入ろうとする彼女の背中に悪魔のような母の言葉が。

「通知表は?」

 ドアノブを握りしめたまま、ピタッと固まる美穂。

「今日は那美が来てるんだから」

 彼女は振り返った。「そんなの後でいいでしょ!」

「じゃあ、楽しみにしてるからね」

 母は白々しく笑った。美穂は那美を部屋に押し入れてから自分も中に入り、母を一瞥した後バタンとドアを閉めた。

 午後十二時半。先ほど、学校で一学期の終業式を終えたところであった。



 ペタンとベッドの端に座り込む那美。美穂の部屋を訪れた時、彼女はいつも同じ場所に座る。一方の美穂は勉強机の椅子に座るのが決まりだ。一人でいる時はほとんど近寄らない場所である(それは忌々しき事態だ)。

「今日は仕事?」

 那美が尋ねた。片方の足を曲げてベッドの上にかけており、制服のスカートの合間から白いパンティを覗かせているが、そこは親友同士、まるで気にしない。

「仕事だよお」

 机に頬づえをつき、美穂はかったるそうに答えた。「せっかく学校から開放されたのに、今度は仕事のオンパレード。『アイドルに夏休みなんかないからね』。うちのマネージャー、容赦ないからなあ」

「大変だなあ」

 那美は苦笑した。「まあ、私もバイトの日数増やしたけど、もうぼちぼち辞めなきゃいけないから、最後の思い出作りって感じかな」

「そっか」

 納得したように頷く美穂。「那美は大学に進むんだっけね。じゃあ、夏休み過ぎたらあんまり一緒に遊んだりとかできないな」

「どうかな」

 そして二人は黙り込んだ。どうにも気まずい沈黙である。受験が終わると次は卒業。卒業したらいよいよ二人は離れ離れになってしまう。その事実をどちらも認めながらどちらも口には出せないという、そういった点からくる気まずさだ。ただ、美穂はそんな感傷的な気持ちに浸りながらも、心の奥底ではもう一つ見逃せない感情を抱き続けていた。ひょっとしたら、放課のチャイムを聞いた瞬間からずっとかもしれない。

 それは緊張だ。

 美穂はペンギン型の壁かけ時計を見た。時刻はまもなく十二時四十五分。ものすごく中途半端な時間だなと思う。十二時四十五分。十二時四十五分といえば、橘川夢多はどのようにして過ごしている時間だろう。昼食の最中だろうか。それとも昼食を終えたところだろうか。それとも。

 続いてチラッと那美を一瞥する。すると二人は目が合い、どちらからともなく苦笑した。

「で? 早く電話しようよ」

 唐突な那美の言葉に、美穂は「え?」とたじろいでしまう。やはり那美も忘れてはいなかったか。

「そ、そうだね」

 スカートのポケットから携帯を取り出す美穂。携帯を開き、ふうと深呼吸をした。

 期末考査も終わり、もう言い訳はできない。那美の立ち会いのもと、橘川に電話をする時がついにやってきた。



「大学ってもう夏休みなのかな」

 携帯を見つめたまま、美穂は那美に尋ねた。「知らない」という返事が返ってくる。「もし夏休みだとしたら、バイト中だったりするのかな」

 やはり「知らない」。

「美穂」

 ややトゲのある口調で那美は親友の名を呼んだ。「またなんだかんだ理由をつけて、先延ばしにするつもりでしょ」

「そ、そうゆうわけじゃないけどさ」 

 慌てて否定する美穂。「もしお昼ご飯の途中だったりしたら迷惑がられるんじゃない? 『なんだよ。邪魔すんなよ』って」

「迷惑がられない」

 キッパリと断言する那美。「お昼休みは一日の中でも、一、二を争うほど迷惑じゃない時間帯だと思う」

「そうかなあ」

 そう言って前髪をいじり始めた美穂を見て、那美は「もう!」としびれを切らしたように立ち上がった。目を丸める美穂のもとへずかずかと歩く。

「貸して」

 そして美穂から携帯を奪い取ってしまった。「あっ!」と声を上げ、携帯を取り戻そうとする美穂だったが、那美は携帯を持つ手を高く伸ばし、それを阻止する。彼女のほうが若干背が高いのである。

「那美ってば、お願いだから返してよ」

 美穂の左右の手を器用にかわしながら、那美は携帯を操作した。やがて、追うのをあきらめ立ち尽くす美穂に「ほい」と携帯を差し出す。

「うそお……」

 携帯の画面を確認し、へなへなとその場にうずくまる美穂。那美により、すでに橘川の番号へコールしている状態となってしまっていたのだ。キッと那美を睨みつけるが、彼女はニコニコと笑みを浮かべ、悪びれる様子はない。

「ほらほら出ちゃうよ。耳に当てときなさい」

 言われたとおり、携帯を耳に当てる美穂。もう、そうするしかないではないか。

 しかし、どれだけコール音が鳴っても一向に電話が繋がる気配はなく、しばらくすると留守番電話サービスに転送するといった旨のアナウンスが聞こえてきたため、彼女はコールを中止させた。

「ほら」

 改めて那美に非難のまなざしを向ける。「やっぱり忙しかったんだ。なんとなくそんな気がしたもん」

「おかしいなあ」

 眉をひそめる那美。「こんな時間に忙しいなんて、橘川さん、どんな状態なんだろう」

 時計は十二時五十五分を示している。

「とにかく」

 美穂は携帯をパタンと閉じた。「今日はもう無理だから明日だね」

「ダメ。後でかけ直してみよう」

 那美がそう言うと、美穂は「ええー……」と溜息混じりの情けない声を発した。


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