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42 テレビの中では

 レコーディングからほどない期間を経て七月の半ばにリリースされた綾川チロリのサードシングル『イッツ・パフォーマンス』は、事前にろくなプロモーションを行えていないながらも、例の出身地詐称騒動などで話題性もあったのか、発売初日のデイリーチャートで三位を記録するなど好スタートを切った。そして、週末の歌番組においてチロリが同曲の歌唱をテレビで初披露した翌日のデイリーチャートでは見事一位に輝いた。

 結局ウィークリーチャートでは前作を上回る五位という結果であった。

 翌週はプロモーションも本格化した。ゴールデンタイムのバラエティ番組のエンディングに加え、多数のテレビ番組にスポンサー提供している飲料会社のCMソング。後者の影響は特に大きかった。もともと耳に残るメロディでありながら、お茶の間に何度も何度も繰り返し流されるのだ。綾川チロリの名を、また名は知っているが綾川チロリが歌っているとは知らずとも『イッツ・パフォーマンス』のメロディは知っているという者も少なからず増えていった。

 彼らがCMで聞いた馴染み深いメロディと再会しようと試みるのだ。そんな彼らの行動を全国のCDショップの『イッツ・パフォーマンス』特設コーナーが後押しをする。歌詞の中で何度も『イッツ・パフォーマンス』という単語が出てくるため、彼らは綾川チロリの歌う同曲の存在を知ると同時に『これだ』と心の中で叫ぶ。

 前作と同じように、売り上げは発売二週目になっても全く衰えず、今回はむしろ増していったのである。



 チロリが『生で音楽SHOW』、通称『生音』に出演していた。前作、前々作のリリース時に続き三度目だ。前作までのように、素人が何かの間違いでプロの中に紛れ込んだというたたずまいではない。いやむしろ、他のアーティストに大物がいなかったことも影響しているであろうが、今夜の『生音』はまるでチロリのために放送されているといったふうに感じられた。

 実際、前作までの時は新聞の欄にチロリの名前など書かれていなかったのに、今日は一番始めに書かれており、『話題の新曲を熱唱』という煽り文句まで書かれていた。少なくとも本日の放送では、チロリが話題の新曲を熱唱するということが、最も視聴者に関心を与えられると判断されたのであろう。

《では続いては綾川チロリちゃんでーす》

 スーツを着た司会者、岩田幸三がチロリを紹介すると、観客が本日一番の拍手と歓声でチロリを迎えた。前列中心の席に座り《どうもー、どうもー》と頭を下げるチロリ。トレードマークの白いハットにノースリーブの白いシャツ、デニムのホットパンツといった動きやすそうな出で立ちをしている。それは衣装といった感じではなく、チロリの私服にしか見えなかった。実際、普段から彼女はこのような格好でいることが多い。『パフォーマンス』と謳いながらも、今作はありのままの自分で勝負するということか。

《新曲の『イッツ・パフォーマンス』ですが》

 岩田が言った。《二週目にして遂に、チロリちゃんにとっては初の週間チャート一位に輝きました》

 彼が拍手すると同時に、観客、共演者たちからも拍手を受ける。チロリは恐縮した様子で手をひざの上に置き、はにかんだような笑みを浮かべた。

《いやー、これも皆さんのおかげですばい》

 マイク片手にお決まりの文句を話す。《プロデューサーのトーマス岸部さんに、レコード会社の人たち。事務所の人たちもそうだし、もちろん応援してくれたファンの皆さん)

《おいおい、俺は?》

 自分を指差す岩田。

《そうそう、そうでした》

 チロリはうんうんと頷いた。置いてけぼりにされた観客たちに、曲中の『ワン、ツー、スリー』のフレーズは岩田からヒントをもらって生まれたものだと説明する。ほう、と納得した様子の観客たち。

 それから、作詞のエピソードやレコーディングのエピソードなど、次々と岩田が質問をぶつけていき、チロリはそれらを無難に答えていった。トークだけでもかなりの長い尺である。前回出演時の三倍から五倍ほどあるだろう。

 やがて、満を持して『イッツ・パフォーマンス』の演奏が始まる。

 コーラスやブラスを含む大勢のバックバンドを従えたチロリが、派手な照明に彩られたステージを縦横無尽に駆け回る。前作のような振り付けは存在せず、曲のテンションに合わせてチロリが自由に観客を煽るといったスタンスだ。ただ、曲がある部分に差しかかった時だけチロリは毎回同じ動きを見せる。そう、サビの終わりの部分だ。

《ワン、ツー、スリー》

 観客に向かって指で声でカウントを取る。そして、マイクを持った左手を腰に当て、右手をチョキにして額へ当てる。

《イエーイ!》

 チロリはマイクを口に当てていないので、その声は観客によって発せられる。よく見ると観客たちもチロリンポーズを決めており、一瞬画面が他の出演者たちの席に切り替わった時、一人の若い女性アーティストが悪戯な笑みを浮かべ、同ポーズを真似していた。

 今この番組を見ている人はデビュー当時からチロリがしつこくこのポーズを人前で披露し続けていることを知っているのだろうか、と思う。この曲のために生み出されたものだと勘違いしている者も中にはいるだろう。それほど『イッツ・パフォーマンス』は世間に大きなインパクトを与えた。

 初めて綾香がチロリンポーズを披露してみせた時のことを思い出す。あれは確か、彼女がアイドルとしてデビューするということを初めて聞いた日だった。あの時は本当にくだらないと思った。人気が出るのは一部のアイドルオタク層たちにのみで、あっという間に事務所を解雇されてしまうのがオチだろうと高をくくっていた。

 ところがどうだ。あれから一年と経たぬ間に、チロリは完全にトップアイドルの座へ登りつめてしまったではないか。

 なんだか悔しかった。自分以外に愛される綾香を見ていたくはなかった。だから、テレビに映る池田綾香は綾香ではないと自分に言い聞かせることにした。綾香ではなく綾川チロリなのだと。

 いつ頃だったか、綾香がこんなことを言い出した。

『真一。どこにも行かんどいてよ』

 どういった状況であったかよく覚えていない。ひょっとしたら夢の中でのことだったかもしれない。しかし。

 どこにも行くな? そりゃ、お前のことだろう。

 井本真一はそう心の中で呟き、いつの間にかチロリのライブを終えCMに突入していたテレビの電源を消した。今夜、チロリではなく綾香がちゃんと家に帰ってくるということを信じて。


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