13 契約成立?
「う、うーん」
自動ドアに頭から激突し、うめき声を発しながら、床に倒れこむ綾香。「お父さん、お母さん。綾香は精一杯生きました……」
思わず最期の言葉を口走る。だんだんと意識が遠くへ……。
「黒スーツさんじゃなくて、南だ」
すぐ近くで太い声。ブーメランのように意識が引き戻される。
綾香はうつろな目をしたまま、身体を起こした。
「わっ!」
自動ドアの向こうにいたはずの黒スーツ男が、すぐ近くで自分を見下ろしていることに気づいた。「黒スーツさん、じゃなくて南さん。向こうに行っちゃったはずじゃ……」
そう言いながら、たった今自分が激突した自動ドアを見てみる。ドアは左右にしっかりと開いている。
「エレベーターホールからは、カードなしで普通に開くんだよ」
チッと舌打ちをする南。「お前がぶつかって、倒れこんでたからしかたなく戻ってきたんだ。……ったく、せわしない女だな」
「ご、ごめんなさい……」
パッパッ、と手で服についたチリをはらい、綾香は立ち上がった。
「それで?」
腕を組む南。「『話がある』って言ってたよな。なんの話だ?」
「あっ」
再び身体をもじもじさせる綾香。「実はその……」
「なるほどね」
二人はエレベーターホールへと移動していた。話を聞き終えた南は、不適な笑みを浮かべ、ニ、三度頷く。「そういえばお前、AV女優としてデビューするんじゃなかったっけ?」
「うっ……!」
やはり彼はアースロマン企画のことを知っていたのだ。綾香はふん、と鼻を鳴らす。「ち、ちょっと契約面で不都合があったので、デビューは辞退しました」
「ふん、どうせ普通の芸能事務所と勘違いしてたってオチだろ」
「……」
まさにその通りで、何も言い返せない綾香。そんな彼女の反応に満足したのか、南はまた、うんうん、とニ、三度頷いてみせた。しかし、次の瞬間には綾香の肩に、ポン、と優しく手を置くのであった。
「え?」
「まあ、これも何かの縁だ。来月から、うちで雑用として働いてもらおうじゃないか」
「ほ、本当に!?」
目を輝かせる綾香。
「ただし、だ」
そう言って南は人差し指を立てる。「一週間だ。一週間やるから、なんとしてでも詩織ちゃんを説得しろ」
「ええ!?」
目の輝きが消えていく。「そんなの無理ですよ。詩織、何度言っても『芸能界なんか興味ない』の一点張りですよ」
「この話はなかったことにしようじゃないか」
「やります」
あっさりと決意を固める綾香。
「オーケー」
南は身をひるがえし、エレベーターに向かった。そしてエレベーター横のパネルの四階のボタンを押す。「そんじゃ、頑張れよ」
「ああ、ちょっと待ってください」
扉が開き、エレベーターに乗り込もうとする南を、綾香は慌てて引き止めた。訝しげに彼女を見る南。「もう少しだけ時間をくれませんか? 一週間じゃ短すぎです」
「ダメだ」
南はキッパリと言った。「極秘プロジェクトの締め切りに間に合わない」
扉が閉まり、エレベーターが上昇していく機械音。その機械音を聞きながら、綾香は一人思うのであった。
締め切りなんかあるんかい……。
どうでもいい話だが、この後綾香は男にもらった交通費の千円で、のんびりと午後のすいーつを楽しんだが、バイトには十五分遅刻してしまったという。