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38 モデル使用料

 タンクトップのシャツとパンティという格好で綾香が浴室からリビングへと出た時、いつの間にか真一が帰宅してきており、ソファに寝そべってくつろいでいた。まもなく午後八時といった時間帯である。

「暑いねー」

 テーブルの上に置いた愛用の団扇を手に取る綾香。「今年こそはクーラー買うばい」

「そうだな」

 リモコンを使い、テレビのチャンネルを次々と切り替えていく真一。「さっき帰ってきた時、お前の汗の臭いがムーッと部屋中に漂ってるから、『綾香、もう帰ってるんだ』ってすぐに分かったぜ」

 綾香は団扇の端で真一の顔を殴った。「ぐは!」と手で顔を押さえ込む真一。

「ご飯食べてきたと?」

 真一の身体を無理やり起こし、綾香もソファに座る。それからパタパタと、まだ乾ききっていない髪の毛を中心に団扇で自らを扇いだ。「いや」と答える真一。「それなら、久しぶりに二人で外食しようよー」

「もう外なんか出たくねえよ」

 真一は立ち上がり、キッチンへと向かった。食品棚の一番上の引き出しを開ける。「こないだの長浜ラーメンが大量に残ってんじゃねえか。これで充分だろ」

「えー」

 つまらなそうに唇を尖らせる綾香。「私、朝も昼も長浜ラーメンやったとばい。なんでトップアイドルが三食ラーメンに甘んじないかんとよ」

「じゃあ出前だ出前」

 今度は二番目の引き出しを開ける真一。「ピザと寿司どっちがいい?」

「ピザ!」

 即答する綾香。真一は引き出しから、近所の宅配ピザ屋のカタログを取り出した。



「作詞?」

 三十分後。たった今配達されてきたばかりのピザ一切れを片手に、真一が眉をひそめた。彼も入浴を済ませ、インナーシャツとグレイのスウェットという姿に変わっている。「お前作詞なんかできんのか?」

 綾香の新曲の話題である。今作では綾香が作詞を担当するということを真一に告げてみたところだ。

「うーん」

 ピザの置かれたテーブルを挟み、真一と向かい合う綾香が首をひねった。彼女はずっとシャツとパンティというはしたない姿でいるらしい。「始めはわりと楽観視しとったっちゃけどね。いざやってみるとこれがけっこう難しいんよ」

「ふーん」

 むしゃむしゃとあっという間にピザ一切れを食べ終え、さっそく次のピースに手を伸ばす真一。「作詞なんて簡単そうに見えるけどな。まあ、お前みたいな知性のカケラもない女がやるとなると話は別かもしれないな」

「さあ、恋のまーほう唱えまーしょう、ヒュルリールルリラー」

 突然歌い出す綾香。真一はポカンとした顔でパチパチと二度まばたきをした。

「どうした?」

 心配そうに綾香の顔を覗き込む。「あまりの暑さに頭やられちまったか」

「だから、今のが新曲」

 綾香は思わず頬を赤らめた。「ピュアなラブソングを目指しとるけんさ。『恋の魔法』っていうフレーズを入れようと思ったと」

「ハハ」

 真一は鼻で笑った。もう三切れ目のピザを手にしている。「最後の『風の又三郎』(『北風小僧の寒太郎』と言いたいらしい)みたいなヤツは恋の呪文ってわけか」

「だって、そこのフレーズが思いつかんっちゃもん」

 はむっとピザを口にする綾香。「なんか良いフレーズあったら採用しちゃあばい」

「ピュアなラブソングねー」

 四切れ目のピザをくわえながら真一は眉間にしわを寄せた。「出身地詐称してたようなアイドルにピュアなラブソング歌われても説得力ねえよな。なんなら偽りのラブソングなんてどうだ? これならお前にピッタリじゃねえか。『イミテーションラブ』なんつって」

「ふん」

 ムッとする綾香。やはり真一に聞くのは間違いだったかと呆れかけた次の瞬間だ。「……イミテーションラブ……」

 ピタリと動きを止める。そして今度は彼女が眉をひそめた。

 偽りの愛か。いや、私の場合は博多出身のアイドルって顔が偽りだったわけで。いや、偽りって言葉は人聞きが悪すぎるから……。

「パフォーマンス……」

 そう呟きながら綾香は無意識のうちに立ち上がった。

「な、なんだ?」

 突然の綾香の行動にビクッと身を震わせる真一。残り二切れになったテーブルの上のピザを指差す。「ほら、ちゃんとお前の分も残してるって」

「いけるかもしんない」

 綾香は言った。「パフォーマンスに決めた!」



 残ったピザも真一に譲り、綾香はパソコンに向かってキーボードをカタカタと鳴らしていた。ポータブルMDプレイヤーにイヤホンを取り付け、スピーカーを耳に差し込んでいる。スピーカーが奏でるのは、もちろん先ほどトーマス岸辺にもらった新曲のデモである。

 詞の根底に居つくテーマは、やはりピュアなラブソングである。出身地を詐称したり年齢を詐称したりキャラクターを作り上げたりと、綾香曰く『パフォーマンス』を連発するアイドルが、好きな相手の前ではつい素の自分に戻ってしまう。そんなラブソングにしてみてはどうかと綾香は考えた。

「パフォーマンス、パフォーマンスイエーイ……。なんか合ってないな。イッツパフォーマンス、イッツパフォーマンス、これだ!」

 作詞は驚くほど順調に進んだ。歌われるアイドルのモデルを、自分ではなく松尾和葉に設定したのがその一因となっているのかもしれない。和葉もかなりパフォーマンスを行っているような気がするし、何よりピュアなラブソングの主人公は自分よりも彼女のほうが適任だと判断したためだ。

 そうだ。

 ふと思い出し、綾香はキョロキョロと辺りを見回して携帯を探した。すぐに、まだハンドバッグの中だということに気がつく。耳からイヤホンを抜き、彼女は立ち上がった。食事を済ませ、ソファで眠りこける真一を横目に、そばに転がったハンドバッグの中から携帯を取り出した。

 あ、届いとる。

 メールを一件受信しており、その送り主は予想どおり藤岡茂であった。綾香が事前に送ったメールに対してのレスポンスである。綾香はメールを開いた。

 『別にいいけどよ、お前もちゃんと俺にお礼しろよな』という文章の後に橘川夢多という名前と彼の電話番号と思われる数字の羅列が表記されていた。

 和葉ちゃん、たしか夢多って言っとったよね。じゃあ、やっぱりこの人で決まりやん。

 実は公園での和葉との通話の後、藤岡に次のようなメールを送ったのであった。『ちえ美ちゃんがパートナーの人にちゃんとお礼を言ってなかったらしいけん、もし知っとったらあの人の電話番号私に教えとってよ』。もちろん、今回の件について内藤ちえ美は一切関知していないが、彼女の名前を出すのが最も自然だと綾香は思った。

 私も本当にお人好しやね。まあ、歌詞のモデルに和葉ちゃんを使わせてもらうっちゃけん、これでおあいこってことにするか。

 そう、全ては和葉のために橘川夢多の電話番号を聞き出すためのパフォーマンスであった。

 

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