30 仕事は仕事
都内の屋内プールサイド。赤い紐ビキニ姿の羽山美穂を二つのカメラが捉えていた。一つは静止画用のスチールカメラ。もう一つは動画用のビデオカメラである。夏に同時発売予定の新作写真集とDVDの撮影を同時に行っているのだ。DVDは写真集のメイキングであるが故、ビデオカメラは写真集のカメラマンやスタッフたちを意図的に見切れさせて撮影している。
「もうちょっとあご下げてー」
四つんばいでやや上半身を低くした、いわゆる女豹のポーズでカメラマンの支持に従う美穂。フラッシュをたかれるたびに、わずかながら表情を変えたり体勢を変えたりと自ら撮影が悠長に進むよう協力する。松尾和葉の性格上、表情は基本的に屈託のないスマイルであるが、時には恥じらいの色を見せたり、憂鬱の色を見せたりもしたほうがカメラマンやファンが喜ぶということを彼女はよく知っている。
「いいよー」
ヒゲ面のカメラマンがレンズを覗き込みながら、いやらしい笑みを浮かべる。「その顔いいねー」
ふとビデオカメラのほうが自分の後方に回ったということに美穂は気がついた。そちらも意識して自慢のヒップを更に突き出してみせる。それから顔だけを後ろに向け、ビデオカメラにニコッと笑顔でご挨拶をする。
「和葉ちゃーん」
そう言って顔の前からカメラをどける写真集のほうのカメラマン。「こっちの撮影中はそっちのカメラは無視しなきゃダメって言ったでしょー」
「あ」
ハッとした顔を見せる美穂。「エヘヘ」と笑い、舌を出す。「やっちゃいましたー」
天然ドジキャラもアピールできたところで、水着チェンジのため撮影は一時中断となった。
用意された白いビキニを手に女子更衣室に入った美穂は、入り口の近くにあった木製の四角い椅子にどんと腰を下ろした。はあと溜息を吐き、ビキニを目の前に掲げてひらひらと揺らしてみせる。撮影中における松尾和葉の明るいキャラクターとは裏腹に、実際の、ただの女子高生としての彼女の現在の心情は。
いったい、どうすればいいんだろう……。
そう、ひどく思い悩んでいた。
ここ数日、長岡貴美との連絡が完全に途絶えてしまったのだ。
貴美からメールの返事が来ないということを悟った時、美穂の脳裏に最も先に思い浮かんだフレーズは『やっぱりか』であった。なぜなら、以前より少しずつその兆候が見え隠れしていたからだ。ケーキ屋で彼女と二度目に顔を合わせた頃、そう、橘川夢多のことを彼女に話し、協力を約束してもらったあの頃からだと思う。メールでその後何か進展はあったかと尋ねてみても、どうにも歯切れの悪い返事しか返ってこなかった。去年橘川と出会った日のことを長々とメールに書き綴った時は、そのメールに対してのコメントは一言のみで、すぐに別の話題にすり替えようとしていた。
貴美は橘川のことを知っている。美穂はすぐにそう直感した。先日のケーキ屋で貴美が橘川の名前を聞いた時、微妙に彼女の様子が変化したような気がした。あれはやはり間違いではなかったのだ。しかし……。
貴美はなぜ自分が橘川を知っているということを隠そうとするのか。それについて明確な答えはまだ出せない。貴美の友達が橘川に片想いをしている。または貴美自身が橘川に片想いをしている。だから橘川を紹介することはできない。その辺が妥当なところであろうか。
もちろん、貴美は本当に橘川を知らないという可能性だってあることにはある。あの裸エプロン写真を不気味に思い、美穂を避けているというのはどうだ。または、ただ単に忙しいため、メールを打つのが億劫となったか。
少なくとももう一つ有力な可能性は本日学校で自ら消しておいた。
午前中の休み時間のことだ。いつものように机に向かって読書をする長岡聡に美穂は話しかけた。
『久しぶりじゃないか』
本を開いたまま顔を上げる長岡。口を真一文字に結び、美穂は彼を見下ろしていた。『どうしたんだ? その顔はとてもじゃないけどアイドルの顔には見えないな』
『那美とは上手くいってる?』
表情を変えずに美穂はそう尋ねた。
『河内さんと?』
長岡は目をわずかに見開かせた。『上手くいってるとは言い難いかもしれないね。でも一つ学んだことはあるんだ。彼女はあまり本が好きじゃないらしい。彼女と一緒にいる時はなるべく本の話題を出さないようにしているよ』
『え?』
顔つきを若干緩める美穂。『一緒にいる時って……。二人で会ったりしてるわけ? それって普通に上手くいってるじゃん』
『いや、まだだ』
ゆっくりと首を振る長岡。『いずれは河内さんも本の魅力に気づいてほしいと思っている。近い将来には一冊の本を二人で同時にめくる……、そんな仲になりたいと僕は思ってるんだ』
『そ、そう……』
美穂は眼鏡のブリッジを指で押し上げた。『てっきり那美にフられちゃったのかと思った』
『なぜ?』
長岡は眉をひそめた。視線を左右に泳がせ、気まずさからか髪の毛を指先でいじる美穂。
河内那美にフられた腹いせに、長岡が自分と貴美との仲を引き裂いたんじゃないかと思っていたとはさすがに言えない。
『ち、ちょっとね』
ごまかしたように美穂は笑った。『それじゃあ、引き続き頑張りなよ』
怪訝そうにこちらを見つめる長岡の視線を背に浴びながら、美穂は自分の席へと戻った。
「いったい、どうすれば……」
那美以外の誰かにも相談してみようかな。
例えば長岡はどうだ。いや、彼がまともに取り合ってくれるとは思えない。芸能関係者ではどうか。マネージャーの仲田は? いや、いくら親しいとはいえ事務所の人間に男の相談を持ちかけることはできない。アイドル仲間であり、特に仲の良い菊田つばきあたりが最も現実的か。
あっ!
髪の毛をいじりながら思わず考え込んでしまっていた。大勢のスタッフが自分の着替えを待っているのだ。美穂は慌てて着ていた紐ビキニを脱ぎ去り、白のビキニパンティに足を通した。そのまま更衣室を出ようとするが、トップレス状態だということに気がつき、青い顔で引き返す。
仕事は仕事。プライベートを持ち込まないようにしなきゃ。
ビキニトップスを装着しながら、自らを落ち着かせるようにふうと長い息を吐いた。