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27 進路相談

「はあん、全然とれんよー」

 女子トイレの洗面所に向かい、鏡を睨みつけながら情けない声を上げる親友の池田綾香。ブルーのポップな長袖シャツと白いミニスカートという出で立ち。太ももまで覆いかぶさる赤と黒のストライプ柄のサイハイソックスを履いており、靴は白のスニーカーだ。長い茶色の髪を後頭部で一つに束ね、最近の必須アイテムである野球帽をかぶっている。そして、野球帽の下の顔には、昨夜彼女の恋人である井本真一につけられたというキスマークがところどころに点在していた。

「本当にひどいねそれ。顔中についてるじゃんか」

 鏡越しに綾香の顔を見つめ、矢上詩織は苦笑した。白のブラウスと黒い前開きの上着の重ね着にブルージーンズという地味なスタイルは相変わらず。ショートカットの片側の髪を耳の上に乗せており、そこに見える天使をかたどった大き目のイヤリングが最も女性らしさを強調している。

「おまけに『綾香ー、愛してる愛してるぞー』って、あんまり強く抱きしめるけん、なんか首まで痛いんよ」

 唇を尖らせながら、綾香は自分の頭を手で押さえつけ首をゴキと鳴らした。

「ふーん」

 目を丸める詩織。「あんたたちってなんだかんだ言って仲が良いんだねー」

 聞いた話によると、昨晩綾香が真一に何かプレゼントを渡したらしく、それが彼に火をつけたそうである。

「ううん」

 鏡に目を向けたまま綾香は首を振った。「昨日ほど冷え切った夜はなかったね」

「?」

 詩織は首を傾げた。

 


 仕事が休みだという親友の綾香に誘われ、久々に彼女と共に渋谷109へ遊びに来ていた。詩織のほうは学校があったのだが、相手は売れっ子アイドル。なかなか暇が合わないので、しかたなく学校を休んで綾香に付き合うこととした。

 それにしてもと彼女は思う。先日発売されたセカンドシングル『やっぱり博多が好きやけん』は未だにヒットチャートに残っているようだし、最近はバラエティ番組にも引っ張りだこで、毎日のようにテレビへ顔を出している。通常なら雲の上の存在になっていてもおかしくない綾香が、こうして思い出したように自分を遊びに誘ってくれたことについて、詩織にとって正直悪い気はしなかった。

 階段横のトイレを出た二人は、どちらからともなくトイレ最寄りのショップに足を踏み入れた。店の中には現在従業員しかいないようである。平日でも多くの客で賑わっているイメージの109にこんな場所があったのかと感慨深げに店内を見回す詩織をよそに、極限まで深々と帽子のつばを下げた綾香は早速商品を物色し始めた。

「ここはねー」

 棚に畳んで置かれた赤いシャツを手に取りながら、綾香は詩織に顔を向けた。「トップス専門でブランド物は少ないけど、割と可愛い服が安価で買える知る人ぞ知る店なんばい」

「ふーん」

 ファッションにさほど興味を持てない詩織。ナビゲートは常に綾香の役目である。綾香が手に取ったシャツを広げる。胸もとが大きく開いたシースルーのシャツであった。

「どれどれ」

 姿見に向かって自分の上半身にシャツを重ねる綾香。うーんと首を捻った後、今度は詩織の身体の前にシャツを持ってくる。「ちょっとオバサン臭いかなー」

「私が? それとも綾香が?」

 詩織がトゲのある口調でそう尋ねるのを無視し、シャツを元の場所に直してからハンガーにかけられた少し厚手の服に持ち替える綾香。ゆったりとした黒い前開きシャツである。

「これはないな……」

 すぐさま戻す。その様子を冷たい視線で見つめる詩織が一言。

「ケンカ売ってるでしょ」

 ただいま綾香に失格の烙印を押されたシャツは、詩織が現在着ている上着とよく似たタイプであった。

「そ、そうゆうつもりやないんよ」

 ぶるぶると首を振る綾香。「ただ、詩織に似合うもっと可愛いヤツを選んであげたいんよ。詩織って美人なのにいっつも福袋で叩き売りされるような地味な服ばっか着とるやん。多分、今109にいる人の中で詩織が一番地味っちゃないかな」

 キョロキョロと辺りを見回す詩織。少なくとも視界に入る客の中に自分より地味な服を着ている者はいない。思わず頬を赤らめる。

「別にいいもん」

 詩織はプイと顔を背けた。「田之上くんにもよく地味って言われるけどさ。私は好きでサッパリとした服を着てるんだからほっといてよ」

「あ、これはどう?」

 ヘソ出し必至の丈の短い白いシャツを広げる綾香。詩織は「着るか!」と声を荒げた。

 このように綾香が毒舌を交えながら次々と詩織をコーディネートしては、詩織がそれらをことごとく却下するのが、二人でアパレルショップを訪れた際の彼女たちのスタイルである。不機嫌を装っている詩織だが、実は心の中ではそれなりに楽しんでおり、学校を休んでまで綾香と遊びに来てよかったと薄ら実感していた。



 場所を移し、綾香お気に入りの店として毎度109を訪れた際には必ず足を運ぶウェアショップへ。先ほどの店とは違って大賑わいで、店に入った瞬間からビル内を絶え間なく流れていたBGMが聞こえなくなってしまった。

「詩織は就職どうするん?」

 二人で店内を眺めている時、ふと綾香が尋ねた。詩織は吉祥寺ワンウェイコンピュータースクールを今年卒業する予定である。就職に代わる選択肢として、自ら希望してもう一年学校で勉強し直す『留年』ならぬ『延長』というシステムも存在し、そちらとやや迷ってはいるが、親を説得するのが面倒くさいので基本は就職を目指すこととなる。ただ、まだ就職活動らしきものは一切行っていない。

「広告デザイナーとかウェブデザイナーとか、本当はそっち系の仕事がいいんだけどね」

 詩織はふうと溜息を吐いた。「狭き門だから厳しいだろうな。最悪お父さんの会社で事務として働けそうだから心配はいらないと思う」

「ねえ、SDPに入ればいいやん」

 口の端を曲げる綾香。「私と亜佐美がブレイクしたけん、人手不足なんやって。あのガラの悪いオッサンに代わって私のマネージャーになってよー」

「あの人すごいやり手っぽいじゃん。私じゃ代わりになれないでしょ」

 詩織は以前秀英大学秀英祭で顔を合わせた綾香のマネージャー南吾郎のいかつい顔を思い浮かべた。「確かに綾香と一緒に仕事するのは楽しいだろうな。ただ……」

「楽しいよー!」

 詩織が興味を示したのを機に綾香の声色がうんと明るくなる。「マネージャーじゃなくて事務とかの仕事でもいいし、なんならタレントとしてでもいいっちゃない?」

 それなんだよなーと詩織は思う。

 秀英祭の日、南は『もしデビューしたくなったらいつでも声をかけてください』と詩織に言っていた。SDPに関わると、またそんな話を持ちかけられてしまうのではと詩織は心配していたのだ。今でも詩織の中にアイドルになろうという気などはさらさらない。

「うーん、考えとく」

 そう言ってニコリと微笑んでみせる。一年後も恋人の田之上裕作と交際を、そして時々ではあるがこうやって綾香とも親交が続いていれば、少なくともそれで充分だと彼女は思った。


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