24 悪霊退散
「誰か助けてー! 殺されるー!」
白いソフトハットをかぶった池田綾香は周囲の面々に涙目で助けを求めた。しかし、彼らはニヤニヤと笑みを浮かべながら、じっとその成り行きを見つめるばかりである。「ちょっとー! 岩田さーん!」
すぐ脇に銀色のスーツ姿の岩田幸三が立っていた。頼みの彼も綾香の訴えに耳を貸そうとしない。それどころか、呆れたような表情で「いい加減静かにしろよ」と綾香に苦言を呈すのであった。
綾香は立ったまま四角いボックスの中に閉じ込められていた。閉じ込められているのは首より下のみで、はたからはボックスの上にちょこんと綾香の首が乗っているように見える。手足に手錠をかけられており、身体の自由は利かない。そして、ボックスがどうなっているのかを見て取ることもできない。
綾香の目の前に光り輝く柱が立った。それは照明や綾香の顔すらも反射してしまうほど磨きぬかれた剣であった。剣を持つのは背の高い少女。人形のように整った顔立ちと、サラリと長く艶のあるロングヘアー。黒いタキシードとシルクハットがトレードマークのそう、マジシャンアイドル、プリンセス雅である。
「ギャー! なんでもするから許して!」
綾香のパニックに拍車がかかる。「雅ちゃん! ゴメンって、謝るからー!」
「黙れ」
綾香に流し目を送り、冷たい視線でそう言い放つ雅。それでも黙らない綾香の身体に剣を突きつけ、やがて真っ直ぐに刺し込んだ。「悪霊退散!」
「ぐえー!」
断末魔をあげる悪霊綾香。遠のく意識の中で聞いたのは、共演者または閲覧者たちの、悪魔のような笑い声と拍手の音であった。
「チロリちゃん。君は本当にギャーギャーとうるさいね」
パイプ椅子に腰かけ、シルクハットを指でくるくると回しながら雅は言った。「私はプロのマジシャン。串刺しマジックを失敗するわけがないだろう」
「そんなこと言われても怖いっちゃもん!」
雅の隣の椅子に座る綾香。ピンク色のキャミソールと白のホットパンツを着用している。「あんたもいっぺん刺される側やってみいよ」
「いつだってやってあげるさ」
雅は綾香を指差し「ただ……」と付け加えた。「刺す側が君だったらゴメンだね。君は不器用そうだから本気で失敗しかねない」
唇を尖らせ、綾香は「こいつ、本当に刺したい」と独り言のように呟いた。
本日はここ、渋谷の某撮影スタジオで、昼過ぎから特番の収録に臨んでいた。番組の内容は世界のビックリ人間たちのVTRをスタジオで観賞し、時折コメントを挟むといったシンプルなものであったが、番組の後半にサプライズゲストとして登場したプリンセス雅が串刺しマジックを披露することになり、そのアシスタントとして無理やり綾香が串刺しボックスの中へ入れられてしまうハメになったのだ。プリンセス雅の登場も、マジックのアシスタントになることも、綾香はまるで聞かされていなかった。
午後六時にようやく収録が終わり、現在はフロア隅の休憩スペースで数人のスタッフや共演者たちと世間話をしているところである。
「おい、チロリ」
テーブルに置かれた灰皿に煙草の灰をトントンと落としながら、司会であった岩田幸三が意地悪な笑みを浮かべた。「最後のありゃないわ。お前本当に気失いかけてただろ」
「だって怖いんですもーん」
甘えた声で岩田にすがりつく綾香。共演が多いということもあり、彼女は岩田を兄のように慕っていた。「こいつってば悪魔みたいな顔で私を睨みつけてきたんですよー」
綾香に指差された雅は「フン」と鼻を鳴らし立ち上がった。コーヒーメイカーの置かれた少し離れたテーブルに向け歩く。
「あんまりうるさかったから、一瞬本当に殺意が湧いてしまったんだ」
「だよなー」
岩田に同調されてしまい、綾香はあんぐりと口を開け彼の顔を見つめた。「俺も時々殺意湧いちまうんだよ」
短髪の頭を指でボリボリとかきながら、岩田はにこやかに笑った。
「そんなー!」
岩田の銀色のスーツの袖をつかむ綾香。
「チロリちゃん」
コーヒーの入った紙コップを手に、元のパイプ椅子へ座りながら雅が言った。「ん?」と綾香がそちらに顔を向ける。「この後は仕事?」
「銀河放送でラジオの収録」
岩田から離れ、そっけなく答える綾香。後方に立つマネージャー南吾郎に「七時半までに行けばいいとよね」と確認しようとするも、彼は女性スタッフと話しこんでおり、綾香など眼中にない。
「そう」
コーヒーに口をつける雅。「私はもう終わり。これから三階の楽屋へ松尾和葉ちゃんにでも会いに行こうかなと思ってるんだ」
「え!?」
綾香は目を丸めた。「松尾和葉、ここにおると? ていうかあんた知り合いなん?」
「一年ほど前に共演してからの付き合いなんだ。同い年で気が合ってさ。この後隣のスタジオで収録を行うはずだよ」
「ふーん」
恋人井本真一と約束した(しつこいようだがした覚えはない)松尾和葉の裸エプロン写真のことが、綾香の脳裏を過ぎった。しかしながら、今日松尾和葉を訪ねたところで、そんなものを入手できるはずもない。彼女はふふと自虐的な笑みを浮かべた。
『裸エプロン姿の写真を撮らせてください』なんて言ったら変態扱いされるな……。
しかも相手はあの松尾和葉である。昨年、エックステレビ局内で彼女と顔を合わせた時のことを思い出し、今度ははあと溜息を吐く綾香。そして彼女は思う。
まあ、どうせご飯食べないかんけん、どっちにしてもそんな時間ないか。
ん?
と、綾香の頭の中にもう一つ引っかかることが。ハッとプリンセス雅の横顔を凝視する。
「あ、あんた、松尾和葉と同い年ってことは……。高校生なん?」
「うん」
コーヒーを啜りながら、いとも簡単に頷く雅。「年は公表してなかったんだけど、先日写真週刊誌でバラされちゃってね。潔く認めることにしたんだ。チロリちゃんも気をつけなよ」
「年下なら敬語使いーよ!」
綾香は眉をひそめた。「私はあと何日かで二十歳っちゃけんね」
「芸歴は私のほうが上だったはずだよ」
雅は綾香を睨みつけた。「君こそ、先輩にはちゃんと敬語で話すべきだと思うな。チ・ロ・リ・ちゃん」
う……。
助けを求めるように岩田に視線を送る綾香。しかし、岩田は腕を組み「雅が正しい」と大きく頷くのであった。
「おい、チロリ」
背後から野太い声で名前を呼ばれる。綾香ははいはいと心の中で呟きながら後ろを振り返った。そこにはもちろん、サングラス越しの目でこちらを真っ直ぐに見すえるマネージャー南の姿があった。「弁当届くのがちょっと遅れるそうだ。時間にはまだ余裕があるが、食ってたら遅くなる。今日はラジオが終わるまでメシ抜きだぞ」
「えー……」
突然のメシ抜き宣言により、綾香はガックリとうな垂れた。数秒後、気を取り直し改めて松尾和葉について考える。
いつか裸エプロン写真を撮らせてもらうためにも、まずは仲良くならないかんけんね。
食事に時間を使えないことで、松尾和葉に会いに行く決意をする彼女であった。