23 裸エプロン
羽山美穂が冷や汗をかきながら店内へ入った時、長岡貴美は窓際の二人がけテーブルに向かいショートケーキを食していた。なんとなく彼女の視界に入らないように背後からこっそりと近づく美穂。
「お、お待たせしましたー」
その第一声と同時に、ぎこちない笑みを浮かべながらピョンと貴美の視界に飛び込む。セーラー服姿で、いつもどおり眼鏡をかけ髪を下ろしている。貴美は顔を下に向けたまま目だけを上に向け、美穂の顔を確認してから改めて今度は顔も上げるのであった。
「おつかれさま」
右手に持っていたフォークを皿の上に置き、彼女もニコリと笑う。ベージュ色のブラウスとパープル色のロングスカートを着用し、首には淡いレモン色のスカーフを巻いている。「私もついさっき来たところだよ」
「そ、そうですかー」
美穂の笑みがぎこちなさを増す。皿の上のショートケーキが、残りひとかけら程度しか残っていなかったからである。
学校から歩いてわずか二分ほどの場所にあるケーキ屋『ロマンズ』。本日は学校終わりの午後四時に貴美とここで待ち合わせをしていたのだが、ホームルームが長びき、三十分も遅刻してしまったのであった。ホームルーム中は教師の目が光り、メールを打つこともできなかったため、ひょっとしたらもう貴美は怒って帰ってしまったのではないかと心配していたが、杞憂に終わり助かった。
「久しぶりだね」
貴美が言う。二人が顔を合わせるのは、以前長岡聡の家に遊びに行ったあの日以来二度目である。「昨日のクイズ番組観たよ。あれぐらいの問題は簡単に解けないとダメだよ」
「あはは……」
貴美の向かい側の席につく美穂。「テレビでは少し頭の弱い子を演じているので、敢えて間違えてるんですよ」
しかし、本当に分からない問題だって多い。
「そう」
貴美はショートケーキの最後の一口を口に入れ、ゆっくりとあごを動かした。
「すみませんでした」
今がチャンスとばかりに美穂は頭を下げた。「自分から誘っときながら遅刻して……。しかも、こんなに学校から近い場所なのに」
ちなみにこの店を待ち合わせ場所に指定したのは貴美である。
ふるふると首を振る貴美。ケーキを飲み込んでからようやく返事をする。
「こうゆうこともたまにはあるよ」
「すみません」
更に頭を下げる美穂。「男子生徒が授業をエスケープして、先生がホームルームで説教を始めちゃったんです。だからメールを打つこともできなくて……」
「とばっちりを受けちゃったんだね」
ふふと貴美は苦笑した。相変わらず上品で魅力的な笑顔である。「私の友達にもいるよ。とってもやんちゃな男の子」
私の友達にも……。
美穂は思った。その人が例の自分のファンだという友達なのかなと。
彼女は意を決し、ひざの上に置いた鞄の中を探り始めた。早速だが本題に入ることにしたのだ。
「これは?」
美穂から一枚の写真を受け取った貴美は、数秒間じっくりとその写真を見つめた後、視線を美穂に移し尋ねた。その間表情は全く変化しなかった。
「と、友達に撮ってもらいました」
顔を赤らめうつむいたまま美穂は答える。「後ろ姿は勘弁してください」
写真には、眼鏡を外し髪をアップにした松尾和葉としての美穂が写っていた。ただ、決してテレビでは見せることのない大胆な格好をしている。なんと、上半身に何も着ておらず、身につけているのはフリルのついた白いエプロンだけという裸エプロン姿であった。豊満なバストがエプロンの両サイドから半分はみ出してしまっており、バストトップはギリギリのところで隠れている。ちなみに、写ってはいないが下半身も何も履いていない。彼女の言うとおり、親友の河内那美に先日デジカメで撮影してもらったもので、バックに写った小奇麗な部屋とエプロンは那美のものである。
「い、いや……」
困惑したように髪の毛を指先でいじる貴美。「なんていうかすごくセクシーな写真だと思うけど、私に見せられても困るというか……。なんなのこれ?」
「これしか思いつかなかったんです」
美穂は上目づかいで貴美を見た。「実は貴美さんにあつかましいお願いごとがありまして、その交換条件として貴美さんにその写真をもらっていただこうと……」
「えー?」
貴美はまたまじまじと写真を見つめた。「別に私はこんな写真欲しくないよ」
「充分承知しております」
ひたすら恐縮する美穂。「でも、思いつかないんです。貴美さん、私のファンだっていう友達がいるんですよね。その人にあげてもいいし……、わ、分かりました! なんならネットオークションでお金に換えてもいいです!」
数秒の間を置いて貴美はそっと写真を裏に向け、美穂の目の前に差し出した。まぶたをパチパチと動かし、貴美の表情を窺う美穂。
「いらないよ」
貴美は相変わらず無表情のままであった。「確かに友達にこれをあげれば喜ぶだろうけど、美穂ちゃんだって大事な友達なんだから、これをあげるわけにはいかない。もちろん、インターネットオークションに出品するなんてもってのほかだね」
優しく微笑む彼女。美穂は思わずドキッとして彼女から目を背けた。「交換条件なんて出さない。どんなにあつかましくても、私にできることなら力になるから。言ってみなよ、お願いごと」
美穂の顔がパッと光り輝いた。そして心の中でガッツポーズを決める。実は貴美がそう言ってくれるのをほのかに期待していたのだ。写真はあくまで自分の熱意を伝えたいがために用意したものに過ぎない。
サッと裸エプロン写真をスカートのポケットにしまう彼女であった。
「好きな人か」
そう呟いて、追加注文したった今運ばれてきた紅茶を口に運ぶ貴美。
「嘘をついて本当にすみません」
また平謝りする美穂。彼女も紅茶を注文したが、未だ口をつけてはいない。「長岡くんに貴美さんが秀英大学に通ってるって聞いた時、もう頼れるのは貴美さんしかいないって思ったんです」
「謝らなくていいよ」
貴美はそう美穂を諭した。無表情ではあるが怒っている様子はない。「実はホッとしてるんだ。もし美穂ちゃんが秀大に落ちちゃったら私のせいになるんじゃないかって。勉強を教えようにもなかなか時間が合わないし。この後も渋谷でお仕事なんでしょ?」
秀英大学進学希望という建て前で貴美に近づいた美穂。「どっちかっていったらこっちのほうが気が楽だよ。ひょっとしたら美穂ちゃんが好きな人と知り合いかもしれないし。ねえ、その人の名前分かる?」
「はい」
美穂は頷いた。「橘川夢多さんです」
「橘川……」
橘川夢多という名前を聞いて貴美の表情がかすかに変化したのを美穂は読み取った。ひょっとして知り合いか、と彼女は淡い期待を抱いたが、貴美はしばらく考え込んだ後、残念そうに首を横に振った。「ごめん。やっぱり聞いたことない」
「そうですか」
美穂は落胆するも、それはほんの一瞬だけであった。「でも、貴美さんに本当のことを話せてよかった。なんだか、近いうちに橘川さんに会えそうな気がします」
立ち込めていた暗雲があっという間に消え去る、そんな爽快感を彼女は覚えていた。