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22 追っ手

 テレビ収録の仕事が終わり、マネージャー南吾郎に彼のマイカーである黄色の軽自動車で家まで送ってもらっていた午後十一時過ぎのことだ。

「チッ」

 いつもどおり吉祥寺駅南口付近の大通りで車を停めた南は、背後をチラッと一瞥しなぜか舌打ちをした。助手席の池田綾香はそんな彼の横顔を不思議そうに覗いた。「結局撒けなかったか」

「え?」

 綾香は眉をひそめた。身体にピッチリフィットしたポップな柄の長袖シャツと、デニムのミニスカートというスタイル。頭にハンチング帽、足に革のブーツを着用している。「負けなかった? 誰と勝負しとったとよ」

「撒けなかった」

 めんどくさそうに言い直す南。「後ろに白い車が停まっただろ。あの車、俺たちがラジオ局を出た時からずーっと後を尾けてんだよ」

「え!?」

 綾香の首筋にぞっと悪寒が走った。「ってことはつまり……」

「どっかの雑誌の記者か、ファンなのか知らねえが」

 シュボっとジッポライターで煙草に火をつける南。ふうと煙を吐き出してから続ける。「家を知られたくなけりゃ、こっからお前一人の力で撒くんだな」



 ハンドバッグ片手に車を飛び出た綾香は、全力疾走で駅へと向かった。間もなく日も変わろうとしているが、駅周辺はまだまだ人通りが絶えない。それぞれのペースでのんびりと歩くシングル。立ち止まって笑い合うチーム。彼らを尻目に、綾香はひたすら走り続けた。南口から駅構内に入り、北口から抜ける。ロータリーを行き、いつもは通ることのない細い路地に折れたところで、綾香はようやく足を止め、ひざに手をつきながら「ぜえぜえ」と必死に息を整えるのであった。

 こ、ここまで来れば大丈夫やろ。

 そっと後ろを振り返る。誰かが後を尾けてくる気配はない。綾香はホッとひと安心し、脇に挟んでいたバッグを肩にかけ直してから、今度は小走りで再び歩を進め始めた。

 井本真一という同棲相手がいるということは、未だマネージャー南にも秘密にしている。そのため、南に車で送ってもらう時は常に吉祥寺駅付近で降ろしてもらっており、それが功を奏することもあるのだと綾香は実感した。もし自宅まで送ってもらい、しかも南が後を尾ける車の存在に気がついてなければ、そのまま自宅の場所がバレてしまうではないか。

 明日から怪しい怪しくないは関わらず、車から降りたら毎日全力疾走やね。

 はあと溜息を吐き、綾香は帽子のつばを少しだけ下げた。



 ようやく自宅アパート前に到着する。ベランダ側から自分の部屋を確認すると、薄らと灯りが点いていることが確認できる。その部屋は寝室なので、おそらくリビングの灯りが届いているのであろう。これはまずいなと綾香は思う。もし誰か、自分を綾川チロリだと知る誰かに部屋に入るところを目撃されてしまったら、一発で同居人の存在がバレてしまうではないか。

 私が帰る時間になったら真一に電話して灯りを消すように言って……。いや、そもそも自宅がバレて張り込まれたらどっちにしてもアウトやし……。

 そこまで考えたところで、綾香ははあと溜息を吐いた。

 人気アイドルは大変やねー。

 心の中で皮肉めいた台詞を呟きながら、エントランスホールに入る。自分の部屋の郵便受けから郵便物を取り出し、もし家がバレてしまったらここも物色されるだろうななどと思う。郵便受けには鍵がないため、それはもう不可抗力に近い。

 階段を上がり、二階の廊下に出る。横に三つ並んだ扉の一番手前、すなわち自宅の玄関扉のドアノブを気持ち焦り気味でサッと回そうとするが、鍵がかかっており回らない。

 なんで鍵がかかっとうとよ。

 綾香が唇を尖らせながら、合い鍵を取り出そうとハンドバッグのジッパーを開けた時であった。隣の部屋の玄関扉がドンと音を立てたのだ。ビクッと綾香の髪の毛が逆立つと同時に、隣の部屋からゴミ袋を持った老人男性が姿を現した。

「あ、池田さん。こんばんは」

 ニコリと笑う男性。後頭部のみに残った髪も、あごに蓄えたヒゲも完全な白髪である。「毎日遅くまでお仕事大変ですねえ」

 「い、いえ、それほどでも」と綾香は苦笑した。男性の名前は松岡といって、綾香がアパートに入居する以前からの住民である。妻に先立たれ、独り暮らしをしているという話だ。彼は綾香がタレントになったということを知らないはずである。綾香は男性に顔を向けずに鍵を開け、「そ、それではおやすみなさい」と会釈をして、するりと部屋に滑り込んだ。



 部屋に入り、しっかりと施錠をする。部屋に上がり、灯りの点いたリビングまで歩くと、ソファに座ってテレビを観ていた上下スウェット姿の真一が「よお」と片手を上げて迎えてくれた。

「今日は死ぬほど疲れたよー」

 ポンと帽子を投げ捨て、へなへなと床に座り込む綾香。「毎日同じこと言ってるじゃねえか」と悪態をつく真一をキッと睨みつける。「大変やったっちゃけん。局から車で尾けとるヤツがおってさー。全力疾走で撒いてきたっちゃけんね」

「ほー、それは頑張ったなー。よしよし」

 テレビに見入りながら綾香の頭を撫でる真一。まるで相手にしていない。

「なんで鍵かけとったとよ」

 ブスッとした表情で綾香は尋ねた。真一はようやく綾香に顔を向けた。

「前にお前が言ってたじゃねえか。これからはゴシップされねえように気をつけるって。お前が鍵使わないで部屋に入ったら俺と一緒に暮らしてるってバレるだろ」

「なるほど」

 意外にもきちんと考えての行動だったことに、綾香は思わず感心した。それなら電気も消せ、そもそも家がバレた時点で終わり、などいくつか言いたいことはあったがひとまず忘れることにする。彼に若干引け目を感じているというのもその理由かもしれない。

「『チロリンルーム』、何か変わったことあった?」

 綾香がそう尋ねると、真一は「そうそう」と思い出したように何度か頷いてみせた。

「掲示板でお前が佐世保出身だって言い張るヤツが現れてよ。まあ、正しいんだけどな。それバレたらけっこう痛いだろ。そいつの書き込み削除するの、大変だったぜ」

「ゲッ」

 顔をしかめる綾香。「前にも何度かおったっちゃん。ダメよー。削除とかせんで相手にせんどきゃいいやんかー。逆に怪しまれるばい。下手くそー」

「うるせえ」

 テレビに視線を戻す真一。「お前のファンサイト管理人なんてな、こっちは嫌々やってんだ。文句があるならさっさと約束の和葉ちゃんの裸エプロン写真を持ってこい」

「うっ……」

 痛いところを突かれる。そんな約束をした覚えはないのであるが、真一がしっかりと管理作業をやってくれているため綾香も無碍にもできない。

「も、持ってくるよ! もうちょい待っとき」

 専門学校時代の友達にアイコラ写真の作成でも依頼しようかなあなどと考える彼女であった。


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