19 コネクション
「美穂ー!」
満面の笑みを浮かべながら、河内那美が両腕を広げた。それに応え、羽山美穂も「那美ー!」と腕を広げる。セーラー服姿の少女二人はガッシリと抱きしめ合った。互いの背中をポンポンと叩き合い、ゆっくりと離れる。そして、どちらからともなく「プッ」とふき出したかと思えば、今度は二人で大きな声を上げ笑い合うのであった。
二人の通う学校。放課後の正門の前だ。新しい級友との付き合いやタイミングのすれ違いなどで、ここ二週間ほど二人は直接顔を合わせていなかったのだ。冗談ではあれど、先ほどの抱擁は感動の再会を祝い合うという意味も込められていた。
「いやー、やっぱり美穂の顔を見ると安心するなー」
はあと溜息を吐きながら、那美はしみじみと言った。「まあ、いつもテレビで観てるけどね」
「私も」
うんうんと頷き、美穂も同調する。「やっぱり私たちってほら、親友なんだよ。唯一無二の」
二人はまた抱き合って笑い合った。周りを行く生徒たちの冷たい視線に気がつき、先に頬を赤らめながら抱擁を解いたのは美穂であった。
「ところでさ。えーっと……」
少々歯切れの悪い口ぶりで彼女は言う。「最近は長岡くんとどう?」
「ああ、うん……」
那美も顔をややうつぶせてしまう。「まあ、今のところはなんとか、知り合い以上友達未満って感じで……」
先日、長岡聡の家に美穂が遊びに行ったその翌日の休み時間に、美穂は那美に長岡を紹介した。始めはルックスの良さも手伝い、那美も長岡を気に入っていたようだったが、日を重ねるにつれ、那美からのメールに長岡の名が出てくることが少なくなっていった。一週間ほど前に長岡の家に遊びに行くというメールをもらった後は、一度たりとも登場していない。
「長岡くんは順調に愛を育んでるって言ってたけど」
美穂は深い溜息を吐いた。「やっぱり一人よがりな愛だったか」
「私が悪いんだよ」
那美は慌てた様子で首を振った。「長岡くんのあの部屋に入って、本当は十秒ぐらいで吐きそうになっちゃったけど、それを隠してずっと楽しそうなフリばっかしてたし」
美穂が長岡の家に遊びに行ったということは那美も知っている。那美の言葉を聞き、美穂は複雑な思いに駆られた。つまり、悪いのは自分だということなのだ。先ほどの抱擁には実はもう一つの意味が込められていたのである。
学校を出て、駅に向かう二人。本日は美穂も仕事があり、那美もバイトがある。ただ、それまでに少し時間があるため、駅前の例の書店で暇を潰すことにしたのだ。
ここを二人で訪れた時(美穂一人でもだが)、二人はまず人もまばらな参考書コーナーへと向かう。そして、二人してコソコソと客の顔を確認していくのだ。もちろん、橘川夢多の姿を探している。那美の場合、橘川の顔を知らないので、若い青年を見つけてから美穂に確認させるという形をとる。
「今日は若い人いないね」
参考書コーナー周辺を見渡しながら那美は言う。美穂は特に落胆した様子もなく「うん」と返事をした。あの日以来何度ここで橘川を探したことか。もう落胆するのには飽きてしまった。
「まあ、でも良かったよね」
那美はニコリと微笑んだ。「新しく秀英大学とのコネクションができたんだから」
そう、それこそが正門前での抱擁のもう一つの意味であり、那美が長岡を突き放してしまわない理由でもある。秀英大学とのコネクションとは、那美に長岡を紹介するという代償をもって得た、長岡の姉、長岡貴美との付き合いのことである。
「なんていうか、本当にゴメン」
「え?」
恐縮したように謝る美穂を見て、那美は不思議そうに目を丸めた。「なんで? 別に謝らなくたっていいのに」
「だって」
うつむいたまま美穂は言った。「私と貴美さんとのことを考えて、長岡と仲良くしてくれてるんでしょ? あいつのことだから、もし那美に嫌われたら癇癪を起こして、私と貴美さんの間を引き裂こうとしそうじゃない?」
「あはは」
那美は無邪気に笑った。「いくらなんでもそこまで心が狭くはないでしょ。それに、長岡くん、確かにおかしなところはあるけど、けっこうカッコ良いし。私の意志で仲良くしてるんだよ」
それは本心からではなく友情からくる言葉だとしか美穂には思えなかった。それなら、なぜメールから長岡の二文字が消えてしまうのか。
二人は少女コミックコーナーに移動していた。本当は女性誌コーナーで立ち読みをしたいところであったが、そちらは人も多いし、今月は幾つかの女性誌の表紙を松尾和葉が飾っている。そんな中に飛び込んでいくのは命取りだと思えた。
「ところでさ」
好きな作品の新刊をチェックしていた時、ふと那美が話しかけてきたので、美穂はそちらに顔を向けた。那美はなんとなく悪戯っぽい表情を浮かべていた。「長岡くんのお姉さんとは仲良くなったの? 橘川さんのこと、言った?」
「まさか」
美穂は笑った。「貴美さんもあの弟に似てか、優しいけどちょっとついていけないところがあってさ。なんていうか達観しちゃってるって感じ? メールでの話題も勉強とか小説とかばかりでさ。さすがに恋愛相談できる雰囲気じゃないよ」
「ふーん」
棚からコミックを抜き出す那美。表裏の表紙を眺めた後、すぐに棚に返す。「それじゃあ貴美さんも不思議がってるんじゃない? 『なんでこの子は自分と仲良くなりたがるんだろう』って」
「高校卒業後は秀大に進学希望ってことにしてる」
美穂がそう言うと、那美は顔をキョトンとさせ、美穂を見つめた。
「裏口入学?」
「設定だってば!」
秀英大学など高嶺の花だということは、美穂にも当然分かっている。
「冗談冗談」
エヘヘと笑う那美。「なるほどね。でも、それじゃあ貴美さんも勉強の話しかしてくれないよ。入学体験させてくださいって頼むの?」
「それも考えたけど……」
昼間は高校があり、夕方からは仕事。休日は昼間も仕事だし、そもそも大学だって休みであろう。少し難しいかなと思う。
「じゃあ、ちゃんと打ち明けるしかないね」
那美は美穂の肩に手を置いた。「『すみません。秀英大学に入学したいなんて嘘でした。実は秀英大学に好きな男の人がいるんです。その人は橘川夢多という名前で、貧相な顔をしています。その人を見つけ出して、私に紹介してください』」
「どの口からそんなあつかましいお願いができるのよ」
美穂は苦笑しながら言った。「何か交換条件でもないと無理でしょ」
「あるじゃん」
自らを指差しながら微笑む那美。「弟の恋のキューピットになら、ちょっとぐらいは面倒みてあげたくもなるんじゃない?」
一瞬、それだ、と同調しかけたが、すぐに美穂はダメだと思い直した。それじゃあ那美が自分のために無理をして長岡と付き合うことになってしまう。
「他にも……」
今度は美穂を指差す那美。「美穂は超人気アイドルなんだから。美穂にしかできない交換条件だってあるんじゃないの?」
その言葉を聞いた瞬間美穂の脳裏に、貴美と初めて会った日の彼女の言葉が思い浮かんだ。
『私の友達にもあなたのファンがいるよ』
美穂は改めて「それだ!」と同調したのであった。