17 待ち受けるもの
「いやー、皆さん。今日は遠慮しないでガンガン飲んでガンガン食べまくってくださいな」
白いサマーニット帽をかぶった池田綾香が晴れやかな笑顔で言った。「サニーダイヤモンドプロダクションの星、綾川チロリちゃんのセカンドシングルが見事、週間ヒットチャート第七位という快挙を成し遂げたお祝いなのですから」
右手に持ったビールのジョッキをグッと口にあてる。ゴクゴクゴクとジョッキの半分ほどまでビールを飲み干してから「プハァー!」と息を吐き、少し長めのシャツの袖で口もとを拭いた。
「いや! チロリさん、いい飲みっぷりです」
パチパチパチと拍手をするのは、綾香の向かいに座ったトーマス岸辺である。今日もビシッとビジネススタイルでキめている。
「サンキュー!」
綾香はトーマスに向かって親指を立てた。それから、自身の隣に座る内藤ちえ美の顔を覗き込む。「ちえ美ちゃんもどんどん食べなさい。今日はぜーんぶ南さんのオゴリやけんねー」
「うん」
ニコッと微笑むちえ美。胸もとが大きく開いた涼しげな白いブラウスを着用している。「南さん、いつもありがとうございます」
向かいに座るチロリのマネージャー南吾郎に会釈をする。いつもと同じ、黒スーツにサングラスという出で立ちの南は「お礼なんていらないよー」とちえ美ボイスでへりくだってみせるも、今度は綾香に顔を向け「調子に乗んなよ」と毒づいた。
「もうバレとるっちゃけん、ちえ美ボイスやめればいいとに」
そう憎まれ口を叩いてから、パクッと上カルビを口に入れる綾香。「あんたが、もぐもぐ、『もし十位以内に入ったら焼肉でもなんでもおごってやる』なんて、もぐもぐ、大口叩くけん悪いっちゃろうもん」
「そうです。そうです」
綾香に同調するトーマスであったが、南に睨まれすぐに縮こまってしまう。
五月上旬の午後九時。四人は渋谷駅近くの高級焼肉店にいた。南と二人で食事をしてもつまらないだろうとの綾香の思いから、関係者としてちえ美とトーマスをゲストに招いたのであった。
先月末に発売された綾川チロリのセカンドシングル『やっぱり博多が好きやけん』は、事務所やレコード会社による必死の売り込みの力もあり、綾香が言ったとおり、週間ヒットチャート第七位を記録した。これはサニーダイヤモンドプロダクションの所属タレントとしては最高記録である(それまではちえ美の十二位であった)。これにより、バラエティタレントとしても、アーティストとしても、綾川チロリの名は更に大きく広まっていった。よって、今までは普通の客に混じって食事を楽しんでいた綾香であったが、今回は個室スペースを予約してのプライベートタイムである。和室風の空間となっており、通路とは障子で隔たれている。
「ちえ美ちゃんももちろん買ってくれたっちゃろ?」
ちえ美の肩に手を回す綾香。アルコールも入ったため更に上機嫌である。「もし買ってなくてもまだ遅くはないばい。来週のヒットチャートではベスト3狙っとるっちゃけん」
「ちゃんと買ったよー」
ちえ美は苦笑しながら言った。「あの曲って耳に残るから、有線とかラジオで流され続ければこれからもどんどん売れていきそうだね」
「いやー、ホントやね。まったく良い曲作るよ。敏腕プロデューサーのトーマスさん」
「ととと、とんでもない」
ハンカチで荒れ果てた頭を拭うトーマス。「チロリさんの確かな歌唱力と表現力があってこそ、あの曲はヒットしたのです」
「笑わせるな」
ふんと南は鼻で笑った。「今回は事務所が大枚はたいてプッシュしたから売れただけだ。あんだけプッシュしたのに七位止まりだなんて、逆に情けねえぐらいだ」
「なんよー」
マネージャーに水を差され、ふて腐れる綾香。「十位以内にも入らんとか言っとったくせに」
「確かにお前としては七位は上出来といえる」
それから南はちえ美に顔を向ける。ちえ美は不思議そうに首を傾けた。「でも、もしちえ美ちゃんで同じぐらいプッシュしたら余裕でヒットチャート三位以内には入ってたよねー」
ちえ美ボイスに声変わりした南に対し、綾香は「もういいってば!」と投げやりにツッコんだ。
「ででで、でも、ちえ美さんが言ったとおり、これからも売れ続ける可能性はありますよ。それに……」
やや恐縮した様子でトーマスが話に入ってくる。しかし三人に注目され、赤面して黙り込んでしまう。南に「それに?」と先を促され、ようやく続きを話し始める。「つつつ、次の曲は今回以上に自信作です」
「次の曲、もうできたと?」
顔に期待の色を輝かせてトーマスを問い詰める綾香。トーマスが汗を拭いながら「ま、まあ……」と返事をする。「わー! 聞かせて聞かせて! もちろん次の曲もトーマスさんプロデュースでいくとよね」
綾香は南に目配せをした。ビールに口をつけた後「まあな」と返事をする南。
「一応今回の実績があるからこの男をクビにする理由もねえだろ。ただ、これからも引き続き『博多が好きやけん』のPRは行っていく。『博多』の売り上げがある程度落ち着いてから次の制作に入るって感じだな。それまでお前は世間から評価を地に下げてしまわないよう気を配っとけ」
「評価を地に……?」
キョトンとした顔でまぶたをパチパチと動かす綾香。「それってどうゆうこと?」
「たとえばそいつだ」
南が指差したのは綾香の目の前に置いてあるビールのジョッキであった。「さっきから普通にグビグビと酒を飲んでいるが、お前はまだ十九だろう。そんなところをゴシップカメラマンにでも激写されたら、一発でお前のアイドル人生は終わるぞ」
「そ、そんな硬いこと言わんでよ」
綾香は苦笑した。「あと一ヶ月もすれば二十歳になるとばい?」
彼女の誕生日は六月一日である。
「いや、トップアイドルを目指すなら徹底しとけ」
南のサングラスの奥の瞳が厳しく光る。「ちえ美ちゃんを見習うんだな。彼女はお前と同い年だが、ちゃんとウーロン茶を飲んでいるだろう」
ちえ美のジョッキを確認する綾香。確かにビールではなくウーロン茶が入っている。綾香はちえ美の首を絞めにかかった。
「あんた、また一人だけぶりっ子して! いつの間に注文したと?」
「ち、違うよー」
苦渋の表情を浮かべながらちえ美が弁解をする。「私、もともとお酒飲めないんだもん。最初からずっとウーロン茶だよ」
「今までと同じだと思うなよ」
南は綾香の飲みかけのジョッキをひょいと手に取り、それを飲み干した。「あっ」と綾香がちえ美の首から手を離す。「プライベートでも常に周りの目を意識しろ。お前の命日は明日すぐにでもやってくるかもしれんからな」