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16 吉祥寺プッシュ

 矢上詩織とその恋人田之上裕作は、吉祥寺駅前のアパレルショップ『フラワーズ』にいた。五月上旬の詩織の誕生日に備えたプレゼント選びという名目がついたデートである。

 休日の昼間とだけあって、十坪ほどの広さの店内はたくさんの客で混み合っていた。せっかくのピアノの爽やかなBGMも、喧騒であまりよくは聞こえない。

「これなんてどう?」

 ひまわり柄のノースリーブシャツをハンガーごと手に取る田之上。厚手の白いトレーナーにブルージーンズというさっぱりとした出で立ちをしている。「これからの時期を考えれば長く着れるんじゃない?」

「そうだねー」

 一方ベージュ色のブラウスと黒のジーンズという相変わらず地味なスタイルの詩織。田之上の持つシャツをまじまじと見つめる。「私、黒とか白とかしか着ないから、こんなの着ても似合うかどうか分からないよ」

「絶対似合うよ」

 田之上は大きく頷いた。「詩織ちゃんってあんまり肩も出さないタイプでしょ? たまにはパッと弾けなきゃ」

「この人みたいに?」

 近くの壁に目を向けながら、詩織は言った。田之上も同じ場所を見て「うん、この人みたいに」と詩織の言葉をなぞった。

 そこに大きなポスターが貼ってあったのだ。ポスターの下方に、奥から迫ってくるようなフォントで『綾川チロリ セカンドシングル やっぱり博多が好きやけん 4月29日リリース』と書かれ、上にはその文字を足蹴にする綾川チロリこと池田綾香の写真。胸にさらしを巻き、上から青いはっぴを羽織っている。下半身はももひき、足には足袋とセッタだ。博多祇園山笠をモチーフとした衣装なのであろうが、さすがにふんどしはNGらしい。

「この店、綾香ちゃんの行きつけの店なんだよね」

 シャツを元の場所に戻す田之上。「お店の人に頼み込んで貼ってもらったのかな」

「どうだろう」

 詩織はせかせかと作業する従業員の女性をチラッと見た。「あの子なら勝手に貼った可能性もあるかも……」

「発売日、今日だね」

 詩織の横顔を見つめる田之上。「こないだ歌番組で歌ってたよ。今回は綾香ちゃんらしいはっちゃけた曲だよね。後で買いに行こうかなって思ってるんだけど、詩織ちゃんも買うんでしょ?」

「まあ、一応……。一枚だけね」

 詩織は昨晩綾香から届いたメールを思い出した。『明日セカンドシングル発売日やけんねー。親友なら最低でも三枚は買ってくれるよね。もし三枚買ってくれたら詩織だけのためにカラオケで生ライブ披露しちゃるばい』。



 約一時間ほどの滞在の後、二人は『フラワーズ』を出た。詩織の誕生日プレゼント選びというのはあくまで名目なので、さほど重要なことではなかった。結局は田之上のセンスに任せ、詩織は当日まで楽しみに待つという方向で決着がついた。

 次に二人が向かったのは吉祥寺駅内の『センチュリーレコード』である。親友綾香のセカンドシングル購入という、詩織にとって本日唯一のノルマを先に済ませておきたかった。

「わ、すごい」

 店に入るなり田之上が感嘆の声を上げた。詩織も思わず目を丸めてしまう。なんと、店の入り口の真正面、最も目立つ位置に綾川チロリの特設コーナーが組まれていたのだ。山のように置かれたマキシシングルCDの中心に、先ほど『フラワーズ』で見たポスターと同じ格好をした綾香の実寸大パネルが飾られていた。

「えー」

 店の特大プッシュぶりを見て、なぜか不安になってしまう詩織。その理由は……。「この店、綾香に弱みでも握られてるんじゃないの?」

「そんな」

 『やっぱり博多が好きやけん』のCDを一枚手に取りながら、田之上は苦笑した。「実際話題にもなってるみたいだよ。どっかの旅行会社のCMにも使われてたし」

 博多行き以外は使えないじゃないかと詩織は思う。

「どれどれ」

 詩織もCDを手にとり、ジャケットを眺めてみた。ジャケットはやはりポスターのソレである。帯には『博多出身人気アイドル故郷への愛を歌う』という煽り文句があり、旅行会社のCMソングと、深夜の聞いたこともないバラエティ番組のエンディングという二つのタイアップ情報が明記されていた。

 続いて裏面に返してみる。裏ジェケットは、夕陽をバックに綾香らしき人物のシルエットがたたずんでいるという構図の写真のみであった。「ふーん」と値踏みするように、ひととおりその写真を見つめてから、再び表側に返そうとした時、耳元で突然女性の騒がしい声がした。

「あー、これ、こないだ『歌スタ』で歌ってたヤツだ」

 そちらに目を向ける詩織。どうやら少女二人組のうちの一人のようだ。二人とも大人びてはいるがどことなく幼い雰囲気をかもし出しており、高校生か、もしくは中学生だと予想できた。

「この曲めっちゃウケルよねー」

 もう一人のほうの少女がCDを手に取る。「振り付け知ってる? こうやってこうやんの」

 両手を頭の側面につけピョンピョンと跳ねる。始めに発言した少女が「知ってる知ってるー」と何度も頷く。数分後、多少は迷ったようではあるが、二人は他の何枚かのCDと一緒に『やっぱり博多が好きやけん』をキャッシャーへと運んでしまった。

 その様子をポカンとした顔で観察しながら、詩織は思った。

 綾香が雇ったサクラ、じゃないよなあ……。



 午後三時を過ぎ、二人は駅前の喫茶店『吉田ドーナツ』の二人がけテーブルにて向かい合い、午後のティータイムを楽しんでいた。落ち着いた店の雰囲気とは裏腹に、やはり店内は満員御礼であった。

「本当にすごいよね」

 コーヒーに一口口をつけてから、田之上は言った。「僕らが店内にいた三十分程度の間に五枚ぐらい売れてたよ。来週のヒットチャートが楽しみだな」

 話題はもちろん綾川チロリである。

「なんだか複雑だなー。もし一位とか取っちゃったらどうする? もうあの子完璧にスターの仲間入りじゃん」

 詩織もコーヒーを啜る。「もう一緒に買い物したりご飯食べたりすることもなくなるのかな」

「そんなことないって」

 ハハッと鼻で笑う田之上。「去年に比べたら綾香ちゃんずっと有名になったけど、彼女自体は今もたいして変わってないじゃん」

 詩織は、野球帽だけに留まらず最近はサングラスまでかけ始めた綾香の姿を思い浮かべた。確かに外見はスターを気取ってはいるが、中身は詩織の知っている綾香のままだ。

「セカンドシングルは初回限定で振り付け講座付きのミニポスターが同封されてるんだってさ」

 田之上は、ひざの上に置いた『センチュリーレコード』のポリ袋を一瞥した。その中に先ほど彼が購入した『やっぱり博多が好きやけん』が入っているはずだ。「デビュー曲の時には初回限定版なんてなかったからね。相当力を入れて売り込んでるみたい」

「そ、そうだね」

 詩織はまたコーヒーに口をつけた。心の中にもやもやとしたものを感じる。

 田之上には黙っていたが、彼女は『やっぱり博多が好きやけん』を購入しないままセンチュリーレコードを出たのであった。金銭的な理由もそうだが、一番の理由は綾香のCDの売り上げに貢献したくなかったからだ。綾香をスターにしたくはなかった。


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