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14 交換条件

「本当のことを言うと、この部屋の本が読み放題になるってぐらいで君が河内さんを紹介したくなるとは思ってなかったんだ」

 長岡が二人のもとへ歩み寄ってくる。「まずは君を家に誘って、君と打ち解けることができれば、次第に君も僕の良さを理解して……」

「いやいやいや」

 なんとか起き上がることのできた美穂が長岡の言葉をさえぎって言う。「そんなことは後でいいから、先にこの人を紹介してよ」

 そして目の前に立つ若い女性を指差した。女性は相変わらず表情を変えぬまま、二人のやりとりを見つめていた。

「姉の貴美だよ」

 長岡はさらりと言った。それから今度は姉、貴美に向けて美穂を紹介する。「こちらは僕のクラスメイトの羽山美穂さんだ」

「弟がお世話になっています」

 そう丁寧に頭を下げる貴美を見て、美穂も「あ、いえ……」とペコリと会釈をした。

「姉さん」

 貴美を睨みつける長岡。「ひょっとして立ち聞きしてたわけじゃないだろうね。そんな趣味の悪いことをする姉を持った覚えはないよ」

「女の子の声がしたから」

 ふふっと貴美は口元に笑みを浮かべた。美穂は思わずドキッとする。笑うと貴美の魅力が格段に増したような気がしたからだ。「聡が女の子を家に連れてくるなんて珍しいね」

 美穂は部屋から外を覗き見た。二階には他に二つ部屋があり、そのうちの近いほう、この長岡の部屋の丁度隣にあたる部屋のドアが少し開いているということに気がついた。おそらくそこが貴美の部屋で、二人が上がってくる前からずっと貴美はそこにいたのだ。

「あれ……?」

 貴美のその言葉に反応し、美穂は視線を戻した。すると貴美は目を丸めて美穂の顔を見つめているではないか。「羽山さん、どこかでお会いしたことありましたっけ?」

「あ……」

 意味もなく姿勢を正し、今度は芸名で自己紹介しようとするが。

「アイドルの松尾和葉だよ」

 長岡に先を越される。美穂の冷たいまなざしにも気づかず、彼は続けた。「姉さんがアイドルなんか知ってるとは意外だったな。実は僕と同じ高校に通ってるんだ」

「そう」

 さほど驚く様子も見せずに貴美は言った。それからまた美穂に顔を向ける。「私の友達にもあなたのファンがいるよ。仕事と勉強の両立、大変でしょうね」

「そ、それほどでもないですけど」

 留年しかけたことは内緒である。 

「じゃあ」

 身をひるがえす貴美。「私は戻るから。二人とも、仲良くしなきゃダメだよ」



 長岡の部屋。勉強机の椅子に座る美穂と踏み台に座る長岡。貴美の登場により、二人はなぜか元の鞘に納まってしまった。とはいっても、先ほどの反省からか、長岡はやや手持ち無沙汰のようではあるものの、本に手をつけようとはしなかった。

「私と長岡くんが付き合ってて、そんで痴話ケンカしてたって思われてるよきっと」

 机に頬づえをつきながら美穂は言った。もちろん貴美のことである。

「やはり誤解を招いてしまったか」

 髪をかき上げる長岡。「まあいい。後で説明しておくさ」

 「よろしく」と答えながら、美穂は指で眼鏡の位置を整えた。それから数秒間の沈黙を経た後、また彼女が口を開いた。

「貴美さん、綺麗な人だね」

 先ほどの貴美の笑顔を思い出す。「身内にあんな人がいると、長岡くんもドキドキしちゃうでしょう」

「姉に発情することはないな」

 学生服についたチリを指でつまみ、掃除しながら長岡は答える。かなり手持ち無沙汰なようだ。「まあ、綺麗ってことは認めるよ。一度どこかの芸能プロダクションにアイドルとしてスカウトされたこともあるそうだし」

「えー」

 美穂は笑った。「アイドルって感じじゃないな。演技派の女優さんって感じ」

「僕の周りには超人気アイドルもいれば演技派の女優さんもいる。でも、僕が好きになったのはどう考えてもそのどちらにも見えない普通の女の子だ」

 突然真面目な口調でそう言ってから、長岡は立ち上がった。ハッと身構える美穂。「僕は本気なんだ。河内さんに僕を紹介してほしい」

「……」

 うーん。

 頬づえをついたまま美穂は心の中で唸り声を上げた。

 こんな変な男を那美に紹介していいのかな。でも、長岡くんが本当にダメな男なら那美だって相手にしないだろうし。でも……。

 頬づえをつく手を右から左に替え、今度は口に出して「んー」と唸り声を上げるのであった。



「お姉さん、大学生?」

 五度ほどの唸り声の後、美穂はようやく話を変えるという術を思い立った。美穂の質問を聞いた長岡はブスッとした表情を浮かべつつも渋々とそれに答えてくれた。

「そうだよ」

 ドスンと踏み台に腰を下ろし、腕を組んで足も組む。「サークル活動とかは何もしてないし彼氏もいないみたいだから、これぐらいの時間帯に家にいることは多いな」

「そうなんだ」

 西側の本棚、すなわち貴美の部屋の方角に目を向ける美穂。「部屋にこもって何してるんだろうね」

「本を読んでるんだと思うよ」

 今度は両手を頭の上で組み、背伸びをする長岡。「姉も読者が好きだからね。姉さんの部屋にも、ここほどじゃあないけどたくさん本がある」

「ふーん」

 その美穂の適当な相槌をもって、いよいよ話が途切れる。もともと本題から話をそらすための話題であり、美穂もそれほど興味があったわけではないのだ。

 美穂は焦った。しばらくすれば、また長岡が本題を投げかけてくる。早くその答えを出さなければいけないが、やはりそう簡単に決められそうもない。

「あ、あのさ」

 長岡が発言する前に、すかさず美穂は言った。もう少し、もう少しだけ考える時間がほしかったのだ。「貴美さん、大学はどこ通ってるの?」

 先ほどまでと同じ、なんでもないその場しのぎの質問のはずだった。しかし……。

「秀英大学」

 長岡がぶっきらぼうな口調で答えた。

 秀英大学……。秀英大学!?

 美穂の脳裏を閃光が走り抜けた。暗闇を引き裂いたその光は徐々に広がりを見せ、やがて一つの景色を映し出した。あの日の駅前の書店、バランスを崩した美穂に駆け寄る男の影、緑の野球帽の下の貧相な顔立ちをした青年。忘れないと心に誓ったあの青年。

「いい加減にしてくれ!」

 しびれを切らしたのか、勢いよく立ち上がり叫ぶ長岡。「姉に興味なんてないんだろう? 何度も言うが僕は本気なんだ。河内さんの親友である君が紹介してくれれば、河内さんだって警戒せずに僕と……」

「紹介する」

 美穂も立ち上がる。「え?」と眉をひそめる長岡に近づき、彼女は更に言った。「紹介するから、その代わりに……。私を貴美さんに紹介して」

 もう一度、橘川さんに会わせて。


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