11 ネットの中心で愛を叫ぶ
やがて起動したパソコンのデスクトップからインターネットを開く。マウスを操作し、ブックマークの中のとあるページへと移動する。ディスプレイに姿を現したのは満面の笑顔でチロリンポーズを決める綾川チロリのイラストと、『綾川チロリ非公式ファンサイト チロリンルーム』の文字であった。
「お前のファンサイトなんかあったのか」
真一は目を丸めて綾香の顔を覗き込んだ。「しかも、なんでお前がブックマークに入れちゃってんだよ」
「私のファンサイトはネット上に幾つか転がっとるけど、中でもここは管理人のチロリンに対する溺愛ぶりと、関係者を思わせるほどの情報の早さ的確さで、チロリンファンの間では聖地と呼ばれとるサイトなんばい。デビュー当時はほとんど人が来んやったけど、そこそこブレイクした今では一日一万アクセスの超人気サイトっちゃけん」
「ふーん」
鼻の穴をほじくる真一。質問の答えになってないよなあ、と思う。「で? 自分のファンサイトで何するんだ? 掲示板かなんかで自分を褒め称えるわけか?」
「惜しいね」
そう言ってから、綾香はまたマウスを操作した。コンテンツの中の『だいありー』と書かれた場所にカーソルを合わせ、ダブルクリックする。サイト管理者のウェブ日記らしきページに切り替わり、今度は下にページをスクロールさせていく。
「ここの管理人マジでお前の熱狂的ファンみたいだな」
呆れたような顔で真一は言った。「見てみろよ。毎回飽きもせず綾川チロリのどこが可愛いやら、どこが尊敬できるやら書き並べてるぜ。こんなに洗脳されちまったヤツもいるんだな。可哀想に……。ぐえっ!」
真一の脇腹に綾香のエルボーが突き刺さった。
「幸福ってことよ」
ページの一番下の入力バーにカーソルを合わせる綾香。真一は眉をひそめた。それは見た限り、管理ページを表示させるためのパスワードを入力するバーのようであるが……。綾香はカタカタとキーボードを打ち、いとも簡単に管理ページを開いてみせた。
「な、なんでお前が管理パスワードなんか知ってんだよ」
訝しげに首を傾ける真一に向かって、綾香は「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべた。
「私が管理人やけん」
『エンタメな人々』を観て。 name 管理人しん 投稿日時 2009.4.10 22:18
皆さん『エンタメな人々』は観ましたか。お笑い芸人さんたちが、好きな女性アイドルについて語っていましたね。残念ながらチロリンの名前は出ませんでしたけど、チロリンは僕らが応援しているから大丈夫です。負けるなチロリン。フレフレチロリン。
あ、そうそう。今度発売されるチロリンのセカンドシングルはどうやら故郷への愛を歌ったものだっていう噂ですよ。これはファンなら絶対ゲットですね!
「毎晩毎晩何を一所懸命キーボード鳴らしてんだ? って思ってたが……」
綾香の肩口からディスプレイを覗き込み、真一ははあと溜息を吐いた。「まさかこんな姑息なことをしてたとはな。空しくならないか?」
「ならない」
キッパリと答える綾香。「管理人は確かに私やけど、掲示板には実際にたくさんのファンが書き込みしてくれるっちゃけん。中にはどうしようもないヤツもいるけど、ほとんどの人は好意的ばい」
「まあ、ファンサイトだしな」
綾香のもとを離れ、ソファに腰を下ろす真一。あくびをしながら背伸びをする。「でも、いくらチロリのファンサイトで管理人がチロリへの愛を連呼したとしても、ファンの増加に繋がるとは思えねえけどな。だって、ファンサイトに来るのは元々お前のファンばっかりなんだろ?」
「テレビかなんかで私のことを知って、ふと私の名前を検索してみたくもなろうもん。そんな時にこうやってたくさんのファンが集まるサイトがあれば、自分も乗り遅れないようにってファンになってしまうわけよ。『あれ、こんなにたくさんの人たちに好かれるってことは綾川チロリってすごいアイドルなのかもー』」
「だから、別にわざわざお前が日記で愛を叫ばなくても、ファンにまかせてりゃいいじゃん。ファンなら掲示板でしっかり愛を叫んでくれるだろ」
もはや興味を失っている真一。だらしなくソファにもたれかかり、携帯のメールをチェックする。
「そうそう」
なぜか肯定する綾香。「ん?」と目だけを動かし、真一は彼女の様子を窺った。「私が日記を更新するのはもはや、このサイトが生きてるってことを証明するためって感じやね。やっぱ管理人がおらんくなったらサイトって廃れるもんなんよ。掲示板にもちょこちょこ顔を出して盛り上げてやらんと、あっという間に誰も来てくれんくなるとばい」
「ふーん」
適当に相槌を打つ真一。実は胸の奥底になんとなくだが嫌な予感を覚えていた。「そりゃあ大変だな。まあ、しっかりチロリンファンの聖地を管理しろよ」
「それがなかなかねえ……」
デスクに頬づえをつき、しみじみと綾香は言う。「前なら毎日のように日記も更新しとったし、掲示板にも書き込んどったっちゃけど、最近は本当に忙しくて……。日記は前に更新した時から三日も空いちゃったし、掲示板もねえ……」
「そうか」
真一はむくっと起き上がった。「忙しいだろうけど頑張れよ」
そして、リビングと隣り合う寝室へ足を運ぼうとした時、一瞬のうちに身体目がけて綾香が飛び込んできた。「うわ!」と声を上げ、綾香共々またソファに倒れ込んでしまう。綾香が真一にキスをし、頬をすり寄せてくる。
「し・ん・い・ちー」
気味の悪い猫なで声を発する綾香。「愛してるよー。愛してるから私の代わりに管理人やってー」
「ふざけんな!」
綾香の頭を指の関節でコツコツと殴る真一。「俺だって毎日仕事で疲れて帰ってきてんだぞ。なんだってそんな心にもないことを夜な夜なキーボードで書き綴らにゃいけねえんだよ!」
「一日三十分もかからんばい」
綾香はムッと頬を膨らませた。
「お前への賛美の言葉を考えてたら半日はかかっちまう……。ぬ、ぬほおおおっ!」
綾香の膝蹴りが股間を直撃し、真一は雄叫びを上げた。
「別に当たり障りのない言葉でもなんでもいいけんさー」
真一の上半身にまたがり、ガッチリマウントポジションの綾香。真一の胸倉を掴み、ゆっさゆっさと揺さぶる。「なんなら私じゃなくて松尾和葉のことを頭に思い浮かべて書いてもいいけん。ねえ、頼むよー。もしやってくれたら裸エプロンでもなんでもやったるけんさー」
松尾和葉……。裸エプロン……。
遠のく意識の中で真一が認識できたのはそれらの単語のみであった。やがて、それが自分に都合のいいように解釈されていく。
もしやってくれたら、和葉ちゃんの裸エプロン姿の写真をもらってくれるだと……?
「や、約束だぞ……」
そう返事をしたところで、真一の意識はついに途切れてしまった。