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5 太陽と冥王星

 帰りのホームルームを終え、オーソドックスな学生服に身を包んだ男子たち、セーラー服に身を包んだ女子たちが思い思いに帰り支度を始める。

「ふあーあ」

 口を大きく開け、あくびをする羽山美穂。ふと親友の河内那美が真横から顔を覗きこんでいることに気がつき、そちらに顔を向ける。那美はニヤニヤと人をからかうような笑顔を浮かべていた。

「ダメだよー」

 美穂の席の前方に回りこみながら那美は言う。「アイドルがそんな無防備な顔見せちゃ。うちのクラスにだって和葉ファンはたくさんいるのに」

「最近仕事が忙しくてさ」

 頬づえをつき、ハアと溜息を吐く美穂。中指で眼鏡の位置を整える。「仕事が終わってから試験勉強すると、どうしても午前ざまになっちゃってね……」

 約一週間後に一年間の総決算となる学年末試験を控えている。この試験で美穂があんまりな成績に終わってしまうと、もう一度高校二年生をやるハメになってしまう可能性があった。

「もし留年しても、留年したアイドルなんて珍しいからそれはそれで面白いんじゃない?」

 那美のその言葉を「馬鹿言わないでよ」と一蹴し、美穂はまた大きなあくびをした。



「美穂、今日は仕事休みだったよね?」

 昇降口へ向かう道中、一階の職員玄関の前あたり。那美が突然美穂にそう尋ねた。那美の目を一瞥し、「うん」と頷く美穂。「私も今日バイト休みなんだ。二人で一緒に勉強しない?」

「一緒にかー」

 うーん、と美穂は眉間にしわを寄せ唸った。今までの経験から、那美と一緒に勉強をしたら会話が弾んでしまい結局なんの実にもならないという事態を不安視する。

「でも、せっかく誘ってくれたのに断るのも気が引けるしなー、って感じ?」

 那美に心の中を読まれ、「うぐっ」と言葉を失くしてしまう美穂。どちらからともなく歩を止める。

「大丈夫だって」

 那美はドンとグーで胸を叩いた。「美穂が留年しちゃったら寂しいし、そもそも私だって真面目に勉強しないとヤバイからね。私語は慎むからさ」

「そうだね」

 美穂は微笑み、眼鏡のフレームを指で持ち上げた。「せっかく二人とも休みなんだし、別々に勉強することもないよね」

「そうそう!」

 那美が元気にそう言って歩き出し、美穂も彼女に続こうとした時、不意に背後から呼び止められた。

「羽山さん」

 同時に振り返る美穂と那美。二人ともキョトンとした表情になっている。彼女たちを呼び止めたのは同じクラスの長岡という男子生徒だった。色が白くハーフのような顔立ちの美少年タイプで、教室ではよく一人で読書をしている姿が見受けられる。美穂はこの瞬間、彼と初めて口を利いたばかりか、彼が声を発したのを始めて目撃した。

「なに? 長岡くん」

 名前を知っている生徒はキチンと名前を呼ぶ。美穂が学級の一員でいるために、常に心がけていることだ。

「ちょっと話があるんだ」

 美穂を真っ直ぐに見つめ、長岡は言った。「時間をくれないか?」

「わ、久しぶりだね」

 那美が美穂の腕をひじで突いた。おそらく美穂が告白を受けると予想しているのであろう。初めてのことではない。もちろん、美穂も同じ想像をしている。美穂は困惑の表情を浮かべ、それからうつむいた。そっと那美を指差す。

「今から彼女と一緒に勉強するから」

 そう返事をして断ろうとするも「ちょっとだけでいいんだ」と長岡は聞き入れようとしない。再び唸り声を上げる美穂。

「気にしないでいいから」

 那美が美穂にそう笑いかけた。「行っておいでよ。私、正門のところで待ってるからさ」

「いや、そうゆうわけには……」

 力なく笑う美穂の背中を、那美が両手でドンと押した。



 結局、長岡に連れられるがままやってきたのは、中庭の大きな池のほとりである。ベンチが一つ置いてありカップルには人気があるものの、校舎に挟まれているため他の生徒から丸見えとなってしまう点が、美穂の心を更に沈ませた。キョロキョロと四方を確認する美穂。校舎の窓から生徒が顔を出しているという以前に、すぐ脇の渡り廊下を幾人もの生徒が通行していく。中には自分が松尾和葉こと羽山美穂だということを認め、立ち止まって好奇心一杯の顔で見物する生徒もいる。おまけに上履きのままなので、足元も非常に気になる。いったいなんでこんな場所を選んだのだろう、と美穂は思った。

「長岡くん。悪いけど」

 長岡が口を開く前から美穂が出し抜けに言った。「私のこと知ってるよね? 私のお仕事とか」

「知ってるよ」

 大きく頷く長岡。そしてその後に続いた言葉は美穂にとって全く予想外のものだった。「こちらこそ悪いけど、君のことはどうでもいいんだ」

「はい?」

 美穂は目を丸めて固まった。「わ、私のことはどうでもいい?」

「そう」

 腕を組み、長岡は当たり前のように頷く。

「じゃあ、なんでこんなところに呼び出したの?」

 長岡を睨みつける美穂。彼女は少し苛立っていた。トップアイドルとしてのプライドをズタズタにされた気分である。「用がないんなら帰るよ。那美待たせてるんだから」

「よく言うだろ? 二人並んでた場合は本命じゃない子のほうに話しかけろって」

 渡り廊下に向かいかけていた美穂の足がピタリと止まる。彼女は何かを探るように数秒間長岡の表情を観察した後、たまらず一言口に出した。

「那美?」

 長岡は答えず、代わりに美穂に背を向けて大きく両手を広げた。

「彼女は僕にとって太陽なんだ」

 やたらと大声で演説を始める。「あの女神のようにすべてを優しく包み込む笑顔。君というスターの引き立て役に甘んじながらも、決して愚痴をこぼすことはしない聖人のようなスケールの大きさ。僕以外の男子にとって、彼女は君、すなわち太陽の周りをぐるぐる回る惑星にしか見えないだろうが、僕にとっては逆。彼女が太陽で、君は火星だ」

「帰っていい?」

 きびすを返す美穂を「ち、ちょっと待って」と慌てて引き止める長岡。

「ゴメン火星は言い過ぎた」

 冷たい視線を送る美穂の顔を、長岡はビシッと指差した。「冥王星だ!」

「それ、太陽系ですらないじゃん」

 クイッと中指で眼鏡のフレームを上げる美穂。「長岡くんが那美にぞっこんだったってことと、意外と鬱陶しい人だったってことは分かったよ。それで、なんで那美じゃなくて私を呼び出したわけ?」

「聞いて驚くな」

 フフフと長岡は不敵な笑みを浮かべる。「本当は『河内さん』と声をかけるつもりだったが、めちゃくちゃ緊張して直前で君に変更したんだ。それにしてはしつこく食い下がってしまったけど、あのまま君を帰したら誤解されてしまうだろう」

 美穂は渡り廊下に向け、歩き出した。


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