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2 クレセントムーン

 綾香は目だけをキョロキョロと動かした。右にはそれぞれ派手な衣装を着たポップでキュートな女性スリーピースバンドアフターサンデイの面々。左にはグラサンとハンチング帽でお馴染みの大御所シンガーソングライター鈴木司。そして今、ステージでライブを披露しているのがロック歌手のKEIJI。いずれもヒットチャートを賑わすトップアーティストばかりである。

 ここに私が座っとっていいとかいな。

 思わずそんなことを考えてしまう。彼女は『いや』とその考えを意識的に取っ払った。

 私だって一応アーティストっちゃけん、誰にも責められんよね。

「チロリさん」

 耳元でスタッフに声をかけられる。ADの若い男性だ。「CM明け出番ですから、前に移動してください」

 心臓が口から飛び出しそうになる。なんとかそれを飲み込みつつ、綾香は「あ、はい」と精一杯の返事をした。アフターサンデイに「すんませんすんません」と頭を下げながら、彼女たちの前を横切る。前列に移動し司会の岩田幸三に挨拶してから、彼の隣の椅子に座る。

「すっげえ緊張してるみたいだけど」

 岩田が出し抜けに口を開いた。「リハーサルどおり無難にやっときゃいいんだから。変にウケを狙おうとせずにな」

「は、はい」

 コホンと咳払いをする綾香。ステージに目を向け、KEIJIのライブが終了するのを確認する。トークの後は自分も歌わなくてはならないのだ。そう考えると、より一層緊張感が胸を締めつける。

 平常心平常心……。私は佐世保の歌姫なんやけんね。

 自分にそう言い聞かせつつ、彼女はじっと自分の出番を待った。



 スタッフの合図を皮切りに、岩田がカメラに向かって元気な声を上げた。

「さあ、続いては初登場! 綾川チロリちゃんでーす」

「よろぴ……」

 またゴホンと咳払いをする綾香。「よろしくお願いします……」

「えー、チロリちゃんは今回の曲がデビュー曲となるわけですけども、なんとプロデュースはあのリリアンだそうだけど、そのへんのいきさつを教えてよ」

「はい」

 マイクを口元に当て、綾香は一所懸命に台本の言葉を頭に思い起こした。「私、リリアンさんの大ファンで、以前お会いした時にダメ元で頼んでみたらプロデュースしてもらうことになっちゃいまして」

「そいつは凄いねー」

 岩田は感心したように頷いた。「俺も今度ダメ元でリリアンさんに頼んでみようかなー。チロリちゃんよりかはヒットすると思うんだけどなー」

「なんでよ!」

 台本どおり岩田に肩パンを入れる綾香。「私なんかヒットチャート初登場十六位ばい!」

「じ、十六位かー。そんなもん買う物好きなヤツもいるんだねー」

 肩を押さえ、綾香を睨みつける岩田。そういえば手加減するのを忘れていた。「ま、まあそれはおいといて、初登場十六位のデビュー曲『クレセントムーン』はどんな曲?」

「失恋を歌った壮大なラブパレードですばい!」

「ラブバラードね」

 すかさず岩田に指摘され、綾香は赤くなった。今のは台本ではなく天然である。「それじゃあ歌ってもらいましょう。チロリちゃん、ステージへ」

「は、はい」

 勢いよくピョンと立ち上がり、綾香の肩ほどまでの黒い髪の毛がふわっと舞った。スタッフに誘導され、先ほどまでKEIJIがライブを行っていた場所とは別のステージに向かう。片付けや準備などの関係で、生放送のこの番組では二つのステージを交互に使うのだ。



 スタンドマイクの前に立ち、綾香は大きく一度、二度と深呼吸をした。目の前に立つ大勢の観覧客たちの顔がはっきりと見える。数台のテレビカメラの向こうには、このスタジオにいる客の何倍もの人の目が光っている。

 リハーサルではちゃんと歌えたっちゃけん、大丈夫大丈夫。

 綾香はまた念仏のように自分に言い聞かせた。打ち合わせの時、スタッフから口パクでのライブも打診されたが、彼女はそれを丁重にお断りした。佐世保の歌姫としての(極めて自分勝手な)プライドが口パクなどを許せるはずがなかった。

 スタジオが暗転し、幻想的なピアノの旋律が鳴り響く。リリアンから提供されたデビュー曲『クレセントムーン』のイントロだ。オケはテープで、綾香の背後にバックバンドはいない。彼女一人のステージである。床は真っ白なスモークに埋め尽くされ、彼女のひざ下までを覆い隠す。照明がほんの少し青みを帯びたところで、彼女はついにその口を開いた。

「『夜空にきらめーく星たーちを、涙ーに抱かれーて見上げーてーたー』」

 出だしに少しだけ不安定なところがあったものの、元々歌唱力には自信がある。照明の移り変わりと共に楽曲がサビを迎えた頃には、その自信が良い薬となり、先ほどとはまるで別人のように伸び伸びとしたステージングを披露できるようになっていた。

 リズムやストリングスが退き、再びピアノだけが楽曲を締めくくる。そのピアノさえもが余韻を残して姿を消した後、少々の間を置いてから、綾香に対して拍手の雨あられが浴びせられた。気をよくした彼女は左手を腰に、右手をピースにして額に当てた。

「チロリンでしたー」

 また拍手。彼女は満足げにその拍手を聞きながら、フフフと笑みを浮かべた。

 やった、大成功やん。これで来週のヒットチャートトップ10内は間違いなしやね。



 デビューからようやく半年が経過した二月下旬。綾香たってからの希望であった歌手デビューがついに実現した。ポップなアイドル歌謡曲で売り出そうとする事務所の方針に反対して、彼女の得意なR&B調のバラード路線でのデビューを懇願しそれが叶ったため、そうゆう意味でもこのデビュー曲『クレセントムーン』の売り上げは彼女にとって最重要事項であった。ヒットすれば、未だに彼女をアイドル歌謡曲路線に引き戻そうとする事務所を黙らせることができるのだ。

「良い曲だね」

 トーク席に戻ってきた際に、鈴木司にそう褒められた。綾香は「ありがとうございます」と彼に頭を下げ、カメラに顔を向けた。ライブ前のトーク中とは比べ物にならないほどリラックスをした表情である。

「私たちの姿勢っていうのはデビュー当時から変わってないんです」 

 現在はアフターサンデイのトーク中だ。リーダーでありドラムのMIHOが、熱弁を振るう。「とにかく背伸びをせずに自分らしく、自分の色を大事にしようって」

「なるほどねー」

 岩田が感慨深げに頷き、それからカメラに向き直り「ここで一旦ミニコーナーを挟みます」と視聴者に告知した。


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