008
※流血あり!
まただ。
また彼が泣いている。
姿の見えない暗闇で彼が泣いている。
涙など見たくない。悲しんでなど欲しくない。
大丈夫だと伝えたいけれど声を発することはできない。
ごめんね。
心配掛けて。
ごめんね。
伝えられなくて。
でも、もうすぐだから。
……何が?
もうすぐ貴方に会えるから。
……誰に?
だから待っていて。
必ずだから――――。
必ず――――――――。
目覚めると視界には見覚えのある天井がぼやけていた。濡れた肌が泣いていたことを教えてくる。最近よく見る夢をまた見ていたのだろうが、起きた時には胸を締め付けるような悲しさ以外何も覚えていない。
寝起きの冴えない頭を頭痛が一気に現実世界に戻させる。日常の一部といってもいいほど慣れた痛みだが最近はそれとは別のものがあった。ただ、説明するとなると上手く表現できず口惜しい。
気だるい身体を起こすのが億劫だ。しかし、首筋を流れる冷たい汗が急げとせかしているようだった。嫌な予感がする。
開け放たれた窓から入る風に乗り聞こえる授業の声が日常と変わらないことを伝えてくる。しかし、自身は異常事態を叫んでいる。
鼻腔を擽る匂いが近くでするのに風の息吹を感じるたびに遠のく。ブランデー入りのチョコレートのように甘く酔う香りはどこか懐かしく無遠慮に記憶の扉を開けてくる。
ピチャ ピチャ
零れる水音が頭痛の狭間を行きかい嫌に頭にこびりつく。
ピチャ ピチャ ピチャ
早くこの場を離れるため履物を履こうと床に目をやれば、仕切りをまたいで流れてくる液体が目に付いた。嫌なのに抑えられない感情に抗えず囲っているカーテンをめくった。
そこには胸元に紅い大輪の花を咲かせた藤柄が両足を投げ出しベッドに倒れていた。清潔なシーツに散った無数の紅。唇を彩った鮮やかな口紅とその口から流れる生々しい色。全てが彼女の現状を語ってくる。
「先生?」
返事は無い。
「藤柄先生?」
それが返事とでもいうかのように応じる声はない。
悲鳴は出なかった。――――いや、出せなかった。一歩近寄ると強まる甘く酔いしれる香りを吸うたびに自身を失っていく。まるで別人に造りかえられているようで自分の意志とは関係なく体が動こうとする。内心嫌がっても受け付けられず抵抗する術も無くてはそのまま流れに任せるしかなかった。
お読み頂きありがとうございます(*-ω人)




