001
ミーーーーンミンミンミンミンミン
頭に響く不快音。
夏の訪れを報せるその声には体感温度を増加させる効果があるという。されど、それが嘘であれ本当であれ屋内で涼む人物にとってはどちらでもいいことである。
冷房の効いた三階端の教室一年六組。室内の温度は外の暑さとは無縁だが中庭に響き渡る鳴き声はここまで届いてくる。
窓越しから殺意を向けられてるとも知らず鳴き続ける一匹の蝉。
睨みを利かす少女は最後尾の席に腰掛けている。くりっとした瞳に少しクセのある漆黒の長髪。お伽噺にでてきそうな愛らしい容姿だが美少女というには物足りなさを感じさせる少女ーー清水亜姫は未だに音の聞こえる方角を睨み続けている。
「姫。新美が見てる」
突如かけられた声に気を削がれ亜姫は仕方なく教壇に目をやった。
正面では細身で長身な体型の生物学教諭、新美義明が黒板に字を書いている。前のめりに肩を丸めおどおどした様はまるで強者に怯える小動物のようで教職には不向きと断言できる。だが観察対象としては興味をそそられる人物といえるだろう。
牛乳瓶の底を連想させる丸縁眼鏡は確かに時折こちらを伺っている。だが正確にいえばその相手は亜姫ではない。
視線を追い隣を見ればーーーー。
「久ちゃん!!それ人に注意できる立場じゃない!?まだ二時間目なのに寝る体制バッチリ!って、どういうこと!?先生に目つけられているの自分だって気づいて!」
久ちゃんこと永森久人は机に立てた教科書を暗幕替わりにし腕枕で寝ている。母親譲りのブロンド髪を揺らし怠そうにこちらを向くもしゃべりだす気はないようだ。その格好で他人を注意するのはいかがなものかと呆れるものの叱ったところで意味がないことはわかっていた。
成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗の三拍子揃ったクラスメイト兼いとこ。寝ていると思って当てても正解を答え、時には間違いを指摘するので先生も注意しにくいのだろう。普通の教師でもそうなのにあの気の弱そうな新美ができるとは考えられない。現にちらちら久人を見るだけで何も言わずにいる。周囲の生徒も授業に集中し我関せずというスタイルを通す現状を把握すれば自然とため息がでてしまう。
途端、久人は挙手し立ち上がった。
「先生。清水さん気分が優れないようなんで保健室に連れていきます」
「はっ、はははい!お、お、お願いします」
耳に残る特徴的な話し方も一学期の終わりに近い今となっては騒ぐ者などいないが亜姫は納得できなかった。言い方に安堵した様が伺えたからだ。まるで厄介者の生け贄にされたようで不愉快だったが反撃する間もなく気づいた時には腕を捕まれ教室から出ていた。
無理矢理引かれる手を振り払おうと何度か試みたがそれらは全て失敗に終わった。
「久ちゃん。私、気分悪くないから手、離して」
亜姫が口を開いたのは保健室の前に着いてからだった。手を引いていた久人はぎょっとした表情で振り返った。
「顔色悪いの気づいてないのか?」
「えっ」
サボる口実にされたと思っていた亜姫にとって予想外の返答だった。
確かに頭痛はする。だから、ずっと鳴き続ける蝉が鬱陶しくて睨みつけていた。しかし、保健室で休むほどかといえばそこまで酷くはない。言い返そうと久人を見れば本気で心配していたため何も言えなかった。
「慣れすぎなんだよ。休め」
そうかもしれないと亜姫は思った。生まれつき身体が丈夫というわけではなかったため、幼少期より定期的に病院に通っていた。しかし、辛いと思ったことはなかった。これが亜姫にとっての日常になっていたからこそ不満などでるはずがないのである。
高校生になった数ヶ月。その期間だけが病院と関わりがなかったといえる。ただ、代わりに保健室で休む回数は増えてしまったが本人としてはなるべく授業に参加したいというのが切実な望みである。
「でも......」
「次、体育。しかも球技」
「うっ」
食い下がろうとしていた亜姫はその言葉を聞いて素直に従うことにした。身体を動かすこと自体は嫌いではないが道具を使う競技が苦手という自覚はある。だからこそ今以上に具合が悪くなる自信しか出てこなかった。
「報告はしとくから大人しく言うこと聞いとけ」
それだけ言うと久人は教室に来た道を帰って行く。
残された亜姫が保健室に入ると凄く心配されすぐにベッドに通された。余程顔色が悪かったらしい。頭痛が酷くならないよう今はただ何も考えず横になった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました(><)




