CASE3:時々苦い
「ねえ、うそでしょ? 私たち、うまくいってたじゃない」
「だーかーらあー、キミはー、ただの、代・わ・り! って、言ったよねー?」
「いや……いやよ、ユキちゃん」
「あ。その呼び方も、もう会わないにしたって、絶対しないでよね。声がなんとなーく似てたから許してたけど、やっぱ、全ッ然、違うし」
「ユ……っ!」
オレの腕に縋り付いて、性懲りもなく名前を呼ぼうとするから。振り払って、思いっきり睨みつけた。
あ~あ。軽い女だったから、もっと、簡単に別れられると思ったんだけどな。
「こんなに面倒なら、声が似てたからって、付き合うんじゃなかったなー」
「――っ」
「あれ? 心の声、外に漏れてた? あはは、ごめんね~。でも、本音だからしょうがないね」
「さいってい……」
「やっだな~。そんなの、分かってた事デショ? まあキミ、声だけは、ほんと、ヨカッタよ。今までありがとね」
ふんわり、やさしく抱き寄せて。
「もし、付きまとったら。どうなるか、分かってるよね? ――じゃあね」
耳元で、別れを囁く。もちろん、しっかりと釘をさしてから。良かった、弱み握っておいて。
オレが触れて緩めたカラダを。一瞬でぴしり、と固めて、それでも、器用にはらはらと涙を流す女を置き去りにして。オレは、鼻歌を唄いながら、楽しい楽しいゲームに、想いを馳せた。
「先輩! ちょうど良かった。この書類、これでまとめ方合ってます?」
「前園君? ああ、えっと――。はい、大丈夫ですよ。でも、ここ。こう直すと、分かりやすいですよ」
「あ、本当ですね! 先輩、いつもありがとうございます」
「い、いえ」
面倒事終えた次の日に、本物の声。うん、やっぱ、最ッ高!
嬉しくなって、明るい笑顔を向けたのに。先輩の顏は、あらら、真っ青。
何をそんなに、怖がってんのカナー?
偶然装って、わざわざ会いに来てるのが、バレバレだから?
オレ、せっかく先輩と同じ部署だったのに。右城さんが邪魔したせいで、今の先輩の部署とは、一番離れちゃったからね。
最初は「前園君」て呼んでくれていた名前。
実は大卒のオレの方が年上だって分かった途端、「前園さん」なんて、よそよそしくするから。ちょーっと、イタズラして、呼び方戻した時と同じくらい、青い顏だねえ。
あの時先輩、「な、なんてイベント……っ」なんて、呟いていたっけ。面白かったな。
でもオレ、ほんとは、ユキって、名前で呼んで欲しいんだけどなー。
ああ、でも、もしかして。今、顏青くしてるのは、オレの並々ならぬ執着を察したからだったりして?
だったら。褒めてあげたいなあ。
ふふっ。確かに、オレはアナタに、海よりも深くふかあく、執着してるよ。
会社帰りに後をつけて、家を突き止めてしまうくらいには、ね。
今まで遊んであげた女の子たちも、みーんな、アナタにどこか似てる子ばかりだったしね。
結構あっさり別れてくれたなー。アナタの代わりだって言い聞かせてきて、ほんと良かった。
昨日の子だけは、声が似てたせいで。目隠しして、いっぱい、なかせちゃったからか、ちょっと依存しちゃって面倒だったけど。
もう、あの子たちになんて、用はない。声も、姿も、何もかも。アナタを想像して味わうのは、もうおしまい。
ああ、やばいなあ。本物のアナタを前にして、あの子たちの事思い出すんじゃなかったかも。早く本物を食べたくて、想いがはちきれそう。
もし。アナタが、そんなオレの事を少しでも察したんだったら。中々、良い勘してるって、褒めてあげなきゃね。
それに。それでも丁寧に仕事を教えてくれる「先輩」が、ほんとに可愛くてたまんない。
まだ、気付いていないみたいだけど。
オレたちは、ずうっと前に、出会ってるんだよ?
本当に、偶然だった。この会社に入った事も、――また、会えた事も。奇跡だ、って思ったよ。
再会した途端、鮮やかに蘇る、あの頃の記憶たち。可愛い可愛い、元後輩との想い出は、オレの中だけの宝モノ。
一目で、アナタだって、分かったよ。
何年もたっているのに、全然、変わらないんだもんな。
オレは苗字も変わったから、気付かなくても仕方ないのかな。思い出した時、どんな顏を見せてくれるのか、ほんと楽しみだ。
オレを、選んでくれる時の顏も、ね。
だって、アナタはオレを選ぶよ。オレが、そうさせるから。
ゲームの話を聞けて、ほんとに良かったよ。じゃなきゃオレ、あの頃、アナタに何をするか、自分でも分からなかったし。
アパートを突き止めて。
偶然を装って、朝から仲良く一緒に出社しようと思っていたのに。先輩は、見知らぬ、やたら整った顔立ちの男に迎えられていた。
目の前の現実に、頭をがつん、と殴られたように、目の奥がちかちかした。
愕然とした。
再会に浮かれて、全く気付かなかったけど。先輩が、フリーとは限らない。
先輩は、何故かすげえ離れて歩いて、滅多にその男の方を見ないし。何より、一緒に暮らしている訳じゃなさそうだから、まだ良いとはいえ。
ただの友達が、あんな蕩けるような甘い顏をして。毎朝、迎えになんて来る訳がない。
それからは、どうしたらアナタが手に入るか、アナタを影から見つめては、考える日々だった。
そんな時。
「前園君は、彼女にずいぶん懐いているね。……彼女が、好きかい?」
「あはは。へえ~。優しいって評判の右城さんも、そんな目、するんですね。やるなあ、先輩」
「ふふふ。ところで、こんな話があるんだけどね」
どこで情報仕入れたんだか。
右城さんから聞かされたのは、あれが、ただのゲームだ、って事実だった。
どうも、もう一人、目障りだった、先輩の周りをうろついていた眼鏡男と接触したらしい。
そいつは、ゲームのサポート役だと言っているが、実際は、ゲームの首謀者。目的は、先輩と、あの男の糸を結ぶ事だそうだ。
それだけならまだしも。
皆で逆ハーレムを作って、先輩を包囲しよう、なんて誘われて驚いた。他の二人は、もう話に乗ったから、って。
初めは、冗談じゃない、って思った。
平等にアプローチする、とか言って、会える時間を分けられたし。先輩を共有なんて、する気もない。
でも、思わず納得して、その話に乗った。
なんでも。
先輩みたいな平凡で奥手なタイプは、そもそも、オレ達に釣り合わないと思っていて。強引に迫っても、遊んでいるだけだと思われてしまう。
だったら、初めからゲーム、それも、『乙女ゲーム』だと言って、四六時中、オレ達で囲ってしまった方が。現実の感覚が麻痺して、この中の誰かが選ばれる可能性が高い。
早く周りを固めてしまわないと、最悪、自分に近くてほっとできるような男に、掠めとられてしまうって話だった。
実際、ゲームを始める前の先輩は、そんな男と、良く一緒に呑んでいたらしい。
確かに、たとえ強引に手に入れても、心が壊れたり、奥深くに猜疑心が残って、オレが本当に欲しい心を手に入れるのは、なかなか難しい。
だけど、ゲームなら、ハッピーエンドには、続きがない。先輩がそのままの感覚でいてくれるなら、その先の幸せを疑わないでいてくれる。
オレの欲しい、まっすぐにオレを想ってくれる心だ。
もし先輩が現実だ、と我に返っても。オレを選んだって事実があれば、問題なんてない。
まあ純粋に、楽しそうだ、っていうのもある。
っていうかさ。
釣り合わない、なんて、誰が決めるんだ? 他のヤツらと同じように、ただ相手を好きになる事に、なんで誰かの許可が必要なんだよ?
昔っからそうだ。同性からは、どうせ選り取り見取りなんだろ、とか妬まれて。その実、本当に欲しい相手は手に入らない。それこそ、勝手に距離を置かれて。
外見が多少醜かろうと、誰の事も蔑んだりしないで。仕事でも勉強でも、前向いてひた向きに頑張ってる、人当り良い奴の方が、余程良い女の視線を集めている。
類は友を呼ぶ、ってやつかもね。
オレの周りは、その時楽しければなんだっていい、軽い奴らばっかりだから。中身なんて、大したもんじゃない。
けど、これからは、ちがう。
今は、目の前に、「先輩」がいてくれる。
先輩がオレを攻略してくれるなんて。こんな楽しい事、他にはない。
まあ実際は、期待してた展開なんてなくて、奥ゆかしい先輩をどう攻略するか、ってゲームになってるけど。それはそれで、面白い。
会いに行く口実にもできるし、右城さんは出張が多いから、意外と一緒の時間は取れてるし。
何より、オレが選ばれて。悔しがるあいつらの顏が、早く見たい。
その為なら、あいつらが先輩に近づいていても、遠くで眺めるだけにとどめておける。
灰色の毎日を、適当に遊んで、適当に生きていたオレに。先輩は、また、鮮やかな色をくれた。
「先輩? お礼をしたいんで、ランチご一緒できませんか? いい店見つけたんですよ」
「い、いえ、私は」
ふふっ。まあ、オレと一緒だと、視線がうざいもんね。慣れてない先輩には、ちょっとつらいかな。
でも。
逃がしてあーげない。
「十食限定、幻のとろっふわっプリン、食べたくないですか? オレ、あそこの女将さんに頼み(たらし)込んだら、とっておいてくれるそうなんです」
「……じゅるり」
あはは。色気より食い気、無類の甘い物好き。押しに弱いのも、ほんと、変わってないね。可愛いなあ。
このゲーム、ほんと楽しい。
分かりやすく誘惑に揺れる先輩に、顏が蕩けるのが止まらない。
でも、ああ、早く。
オレだけ、選んで。
そうしたら。
誰にも触れられないように、閉じ込めてあげるから。
▽前園行雄の好感度が、暗黒海域に突入しました。