CASE2:しょっぱいと思いきや甘い。
僕が彼女と居られるのは、主に、会社内の一部の時間。
本当は、全然足りない。
毎日一緒に過ごす時間だけなら、短くはないけれど。もう一人、会社で彼女と過ごす前園君もいるし、僕たちは当然、基本は真面目に仕事をしているから、甘い出来事なんて、ほとんどない。
まあ、仕方ないか。
彼を刺激せずに、自然に彼女を守る為に。逆ハーレムの結成を提案したのは、僕なんだしね。
一か八かだったけど、うまく彼らが乗ってくれて良かった。
木を隠すなら森の中、だ。
彼がゲームを楽しんでいる内は、少なくても僕らが近づいても、彼女におかしな真似はしない筈。彼にとって、どこの誰かも分からない男が近づくのとは違うから。でなければ、何をするやら。
彼はきっと、どんなに根拠がなくても。最後に彼女は自分を選ぶ、と疑わない。予想通り、僕らライバルの奮闘を、高見の見物で楽しんでいるようだね。
彼女がどうするかは、分からないのにね。
誰が選ばれるにせよ――もちろん、僕を選んでくれたら最高だけど。その時が、本当の勝負。
それまで、逃げられないようにしなくちゃ。君にも、彼にも、ね。
君を、なるべく一人になんてさせない。まだ、彼を抑える、材料が集まっていないんだから。
「お茶が入りました」
彼女が会社に来ると、一番に、僕にお茶を淹れてくれる。まあ、僕しか居ないからね。
「ああ、ありがとう。君の淹れてくれるお茶は、格別だ」
一杯約二円のティーパックだろうと、彼女が淹れてくれれば玉露の味に早変わりだ。ああ、だからそんな、『やっすい舌してるなあ』なんて、心の声が透けて見えるような顏をしないでくれ。
まあ、そんな素直なところも、好ましいよ。
「僕は、良い部下を持ったよ。……いつかは、僕専属にしたいものだ。何もかも」
「……」
彼女が顏を紫色にして、僕から目を逸らす。怒っていいか、怖がっていいか、分からないんだろうな。
本当に、可愛い。
けれど、これ以上は嫌われてしまうから、もう言えないな。ただでさえ、たぶん僕は、彼女にとって印象最悪だろうから。
はあ。追い上げが、大変だ。
彼女はイベントの一環だとも思っていたようだけど、強引に部署替えさせたあげく、ほぼ僕専属のパートナー状態にさせたんだから、当然か。僕の仕事は多いから、とても助かっている。
僕が社長の御曹司である事を、感謝する日が来るなんて思わなかったな。
しがない平社員でしかない彼女は、権力には逆らえない。彼女にとっても、これだけは、ひどく現実的だろう。
けれど、僕がこんなに行動的になれたのは、彼女のおかげだ。彼女を知った当時は、本当に気弱でどうしようもなかった。
あれは忘れもしない、彼女の新人研修を担当した時だ。
元々僕はへたれで。勉強も運動もできなくて、『残念なイケメン』と評されてきた。
学生の頃は、それでも良かった。けれど、大人たちの社会に入った途端、状況は一変した。
外見だけは優れ、その上、僕は社長の御曹司。社長を含め、周囲は勝手に注目し。あまり仕事のできない僕に、勝手に失望した。僕に寄ってくるのは、明らかに、外側に媚を売る女性だけで。そんな僕は、同僚からますます嫌われ、孤立していった。
前髪を長く伸ばし、顏を隠して、背中を丸めて。僕は、自分自身で、存在を否定するようになっていた。
年が近い事を理由に、そんな僕が担当した彼女。同僚の『気の毒に……』。なんて、ひそひそ声に、僕は、何も言い返す事ができない。
『僕が担当で、ごめん』
思わず呟いた僕に、彼女は。
『どうして、謝るんですか? 先輩は、今、先輩にしかできない事……役割を、果たしていらっしゃるじゃないですか。ご指導、ありがとうございます!』と、明るく笑い返してくれた。
『そんな……。僕は、役割なんて、なにも……』
それでも下を向く僕に、首を傾げて。
『先輩? えっと……、あの。そう! 例えば、色鉛筆の白にだって。ちゃんと、使い道があるじゃないですか。どんな人にだって、その人にしかできない役割があるんだって、思うんですけど……って、あ。偉そうに、何言ってるんだろ。生意気言って、すみません』
丁寧に頭を下げる彼女に。そんなことないよ、大丈夫だよ。と言いたかったけれど。情けない事に、僕は、驚いて何も言えなくなってしまった。
思いもよらなかった。
まさか、こんな、高校を出たばかりの子の言葉が。重く沈んだ僕の心を、ふわり、と救い上げてくれるなんて。
その時、僕の中の、昏くじめじめした部屋の窓という窓が開いて。ばっ、と風が吹き抜けた気がした。
丸めていた背中をぴんと伸ばして。前髪を短く切ったら、視界がぱあっと広がって、くらくらした。
そうして自分自身を思い返した僕は、気が付いたんだ。
僕があんな風になったのは、周りの評価に自意識過剰になって、碌にコミュニケーションも取らないでいた僕にこそ、原因がある。できないからって諦めて、スキルも何も、習得しようとすらしていなかった僕には、まだまだ、やれる事がたくさんあった。そこに、外見なんて、関係ない。
それから僕は各所に渡り、死にもの狂いで勉強し、体を鍛え、色々な人と対話し。今の、名前はうしろでも前向きな人、と言われる僕になった。
これまで、擦り切れそうになる僕を支えてくれたのは、いつだって、彼女の、あの笑顔だった。
今でも、あの時の言葉を思い返してしみじみ思う。僕を認めてくれる人がひとりいるだけで、ここまで気持ちを強く持てるなんて。
努力した分だけ、僕を認めてくれる人は少しずつ増えていった。厳しくも温かい居場所が、できた。
それをはじめにくれたのは、彼女だ。
「君には、本当に感謝しているよ。ありがとう」
「っ!? いえいえ、お茶くらいで、そんな、滅相もございません!」
ぶんぶんと、千切れてしまいそうなくらいに首を振る彼女。そうじゃないよ、と苦笑しながら、頬をゆっくり撫でる。ああ。ここに、いや、その可愛い唇に口づけられたら、どんなにいいか。
ここが会社だって事以前に。
これだけでぴきん、と固まって、顏を真っ赤に染めてしまうのだから、まだまだ無理なようだけど。
▽右城進之介の好感度が、限界突破しています。