王妃様の出立
フォルテはうっとりしていた。
流石に黄金の馬車とはいかなかったが、フォルテを出迎えたロイヤルキャリッジが、予想以上に良い仕事をしていたからだ。高価な素材を使った品のいい内装だった。
カーテンは絹だろう。特殊な職人の仕立てなのか横継ぎがないのにしっかりとしている。キータッセルの宝石は本物のガーネットだ。
馬車でこれだけいい仕事をしてるのだもの。パルティータの王城はどれ程素晴らしいのかしら。
幸先のよさにフォルテは満面の笑みを浮かべた。勿論、顔は目の前の宰相に向けて、だ。
「嬉しそうでらっしゃいますね」
宰相の名前はブリランテと言った。穏やかな物腰の初老の男だ。きっちりと整ったロマンスグレイの髪が、男の実直な有能さを表しているようであった。胸元の懐中時計もセンスがいい。
「婚儀が待ちきれませんかな」
「ええ、実に待ち遠しいですわ。早く城が見たいものです」
待ち遠しいのは婚儀ではなくて、立派な城だ。
「フォルテ様がそれ程婚儀をお望みだとは知りませんでしたな。風の噂によるとオクテッド王の反対を押し切ったとか」
「父上は私が心配だったのでしょう。それでも、最後はきちんと認めて下さいました」
ブリランテはそこで少し言葉を切った。そして探るような視線を向けた。
「失礼を承知でお訊きいたしますが、なぜ花嫁に?」
フォルテはやや失笑した。脅迫状を送ってよこしたのはそっちだ。
「大国と謡われる素晴らしいパルティータに行きたいと私が望んだからです」
「……フォルテ様はどうやらお噂通りの方のようだ」
「どんな噂です?高慢チキで生意気な王女?」
「いいえ、『美しく聡明な王宮の薔薇』と」
「それは光栄です」
フォルテはにっこりと微笑んで手に持っていた扇子を閉じた。
「私もクレシェンド王のお噂はかねがね窺っております。臣下を信頼し、何よりも民との暮らしを大切にされる御方だと」
「物は言い様ですな。政務を放棄し仕事を臣下に押し付け、娶った妻をほったらかして街で遊び呆ける。噂通りの放蕩王です」
「ご自分の王に随分な言い方ですね」
「真実は時に残酷なものです」
「それが真実だとしても、今更引き返す気にはなりませんわ」
王の人となりに興味はないし、噂どおりのアホならこっちが利用しやすいというだけだ。
「本当によろしいのですか?」
「ブリランテ殿は私が後宮へ入ることに反対ですか?」
「いいえ、決してそのようなことは思っておりません。ただ、私はフォルテ様が心配なのです。心無く謗る者や好奇の目で貴方を見る者も出てくるでしょう」
「他人の中傷がどうして気になりましょう。例え大勢の者に非難されたとしても、大切な人が判ってくれていれば私はそれでいいのです」
「さすがでございますな。フォルテ様は強い意志をお持ちのようだ」
「そういって頂けると光栄ですわ」
そろそろ切り上げ時だろう。
フォルテは扇子を広げると、口元を隠して微笑んだ。
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「オラトリオから新しい側室が到着するらしいじゃない?こんなところで油を売ってていいの?」
パルティータ最大の歓楽街であるコンポート。その一角の古めいた娼館にその男はいた。
「構わん」
「貴方一応王様でしょ?」
赤い髪が特徴的なこの娼館の女将であるブリオが、呆れ顔で男を見た。このつれない男こそパルティータ王国の頂点に君臨する王である、クレシェンドだった。
こんな場末の娼館に留まるにはやや威厳がありすぎる。スッと通った鼻筋、まばゆい金色の髪と瞳、比の打ちどころのない肉体。全てが他の者を圧倒する魅力を兼ね備えていた。
「第二王女のアリアならともかく、相手はどこぞの男のお下がりだ。出迎えるまでもないな。」
「まぁひどい言い草!新しいお妃さまもお気の毒ね」
「気の毒なのは俺の方さ。好きでもない女どもの相手をしなきゃならないんだからな」
うんざりした顔で愚痴をこぼすクレシェンドに、ブリオが笑った。
「20人も側室を囲っておいて良く言うわよ」
「知るか。ジジィ連中が勝手に連れてくるんだ。俺が命令したわけじゃない」
「その割には片っ端から手を出してるじゃないの」
「据え膳食わぬは男の恥だぞ」
「呆れた。貴方絶対後悔するわよ」
「させて欲しいもんだね」
クレシェンドは自嘲すると、娼館の煤けた窓から自分の城を眺めた。
あの城にいる女たちにも、これからやってくる女にも興味はなかった。
「着飾るだけしか能のない女の話はいい。それよりブリオ、最近変わった動きはないか?」
「特に怪しいといった動きはないけど。ただ、衰退の一途をたどっていた複数の商人たちが新しく貿易商のギルドを立ち上げるという話が進んでいるらしいの」
「別に珍しいことではないだろう?」
一人では出来ないことでも、大勢で組合を作れば資金も調達しやすいし、コストが抑えられる。
「ええ、でも彼らはギルドの立ち上げに際して、一切銀行から融資を受けていないわ。それに、今までの負債を全員がこの1年のうちに返済しているの。誰かから融資を受けたとしか思えないのだけど、頑として誰も口を割らないのよ」
「有力な貴族や商人に動きがあれば諜報部が嗅ぎつけるはずだ。そうなると他国の者か」
「その可能性が高いわ。ただ、今の段階では目的が解らないので何とも言えないわね」
「そうか、また何かあったら報告してくれ。俺も少し探ってみよう」
クレシェンドは来た時と同じようにターバンを巻いてライオンのように雄々しい髪を隠すと、娼館を出る準備をした。
「酒を忘れているわよ」
ブリオが、クレシェンドがいつも持ち歩いているウイスキーの小瓶を投げて寄越した。
「おっと、酒を手放すなんて、“放蕩王”にあるまじき失態だな」
クレシェンドはにやりと笑うと、小瓶を懐にしまった。
「ほどほどにして今日こそ城に帰るのよ。初夜をすっぽかされるなんてあまりにも不憫だわ」
「“初夜”ね。あちらは何度目の夜か知れぬがな。まぁいい、使い古しでも存外具合いが良いかも知れないしな。試す価値はあるだろう」
「このロクデナシ!さっさと出て行ってちょうだい!」
ブリオが投げた枕が当たる前に、クレシェンドはさっと扉を閉じた。
逃げるようにして娼館を飛び出ると、彼の庭である街へと繰り出した。