王妃様の結婚準備
一度決まってしまえば、時が経つのを待つだけだ。
国王であるオクテッドはいつまでも渋っていたが、切り替えの早いクインテッドやアリアは婚礼の準備に奔走していた。アレグロはやはり少しは寂しいのかフォルテに甘え、当のフォルテは弟を適当にあしらいつつ、残りの仕事を片付け、嫁入り道具の選別に勤しんでいるのだった。
「そのクローゼットのドレスは全部持っていくわ。そっちの箱の中の宝石は午後に来る商人に見せるから置いておいてちょうだい。ああ、メアリーこの書状をアルバード財務大臣の所に持って行ってちょうだい。判を押してもらうまで帰って来なくていいわよ」
「フォルテ様」
言葉の合間を縫って、メイド長がフォルテにお伺いを立てた。
「何?」
「スタッカート様がお見えになっております」
「あら何の用かしら?まぁいいわ、お通ししてちょうだい」
部屋に入ってきたのは緑の瞳が特徴的な長身の美丈夫で、つい先日までフォルテの夫であった男である。総務大臣の息子で、名をスタッカートという。
スタッカートはフォルテの前に跪き、膝を折ると、右手を取ってその甲にキスを落とした。
「何もかもご存じだったのですね?」
スタッカートはくもりのない瞳でフォルテを見上げた。フォルテは緑宝石のようなこの男の瞳だけは唯一好きだった。
「何のことか解らないわ?」
「近衛騎士の件です。本日付けで大臣補佐からアリア様の専属騎士に変わっていた。父を説得して采配したのはあなたでしょう?」
「ああ、その件ね。そうよ、あなたもその方がいいのではなくて」
総務大臣である父の後を継ごうと無理に頑張っていたようだが、スタッカートはどちらかといえば文官より武官が向いている。
適性があまりないせいか、うだつが上がらずいつまでたっても補佐から抜け出せなかった。なぜそんな煮え切らない男の妻になることを承諾したかといえば、御しやすいと踏んだからだ。
婚姻後、フォルテは<総務大臣の子息の妻>という立場を利用して、諸侯や大商人や他国の要人との人脈作りに奔走していた。
そしてもう大臣の名を笠に着ずとも、各方面に顔が効くようになっている。独自のルートで渡りをつけることなど簡単だ。
もう無理して結婚生活を継続する必要はなくなったところに、パルティータとの縁談話が舞い込んだ。
このチャンスを逃すつもりは毛頭なかった。
離婚自体は問題ないが、フォルテがいなくなった後の政務状況が心配である。人の良いスタッカートのことである。性格の悪い諸侯連中にいいように転がされてしまうかも知れない。それでは困る。
彼には退いてもらって、フォルテの子飼いを配置させた方が得策である。
どうせならスタッカートの適性にかなって、しかもなかなか他人に利用されにくい場所が良い。数日悩んで出した結論が、近衛騎士、中でもアリア専属騎士となることだ。
アリアは女性なので王位継承権がなく、派閥争いに巻き込まれる心配が少ない。それに2人とも顔の造詣が大層麗しいのでたちまち国中の評判になるだろう。
人気が集まるところに金も集まるのだ。フォルテのちょっとした副業に役立つかもしれないと考えてのことだ。
打算まみれの判断だったのだが、なぜかスタッカートはいたくフォルテに感謝しているようだ。
「有難うございます」
続けて、申し訳ございませんでしたと謝罪が聞こえた。
「謝る必要なんかないわ」
「しかし、私は貴方の夫でありながら」
「申し訳ないのだけれど、私忙しいの。重要な案件でないのなら後にして下さる?」
ただでさえ予定の時間がおしているのだ。あまり無駄話はしていられない。
スタッカートは口をつぐむと、大きく頭を下げて御前を離れようとした。そこでフォルテはあることを思い出した。
自分の宝物庫に捨て置いてあった剣があったはずだ。小さい頃に今は亡き先王との賭けに勝って手に入れたものだが、あれは武器だからパルティータに持っていけない。王家の印があるから換金も出来ない。
「待ってくださいまし」
フォルテはスタッカートを呼び止めて、メイドの一人に自分専用の宝物庫から件の剣を持ってこさせた。
「新たな門出の餞に、その剣を差し上げますわ。どうぞ、今日からの職務に活かして下さいまし。誓って傷つけてはいけませんよ」
これでフォルテの不在時に宝剣が無くなったり、刃が欠けたりするような心配はしなくて済む。
一安心したフォルテは、さっさと嫁入り準備を再開させた。
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そうこうしている内に、一ヵ月、二ヶ月と過ぎて行き、とうとう約束の日が訪れた。
パルティータからの迎えが来るその日。まだ夜も明けきらぬ早朝に、フォルテの部屋ではアリアが丁寧に着付けの手伝いをしていた。
2人は鏡の前に立って衣装におかしなところはないか確認をしている。
最後に背中の釦を止めて、アリアはフォルテの背中にギュッと抱きついた。
「有難うお姉様」
「オムツを替えてあげたお礼なら間に合っているわよ」
柔らかさを含んだ声でフォルテがいうと、さらに抱きしめる腕に力がこもった。
「違うわ。知っていたんでしょう?私がスタッカート様に想いを寄せていることを。だからお姉様は離婚して、ご自分がお嫁に行くといったんでしょう?」
寝耳に水である。
確かにスタッカートはハンサムな顔をしているが、それ以外はフォルテから見るとあまり魅力的とは言い難かった。アリアならもっと優秀な男を狙えるはずだ。
「貴方、あんなロクデナシが好きだったの?相手はよく選びなさいな。私なんか2年間あのロクデナシの妻を務めたけど、キスはおろか手だって握る気が起きなかったわよ」
「とぼけたって駄目よ。そのロクデナシにご自分の宝剣をお渡しになったのはどなた?この剣に誓って妹を守り抜けとおっしゃったのはどなた?」
「なんのこと?私は知らなくてよ?」
確かに剣はあげたが、そんなことは言っていない。
「私は知っていてよ。その人の名前はフォルテ!私の大好きなお姉様の名前よ!!!」
アリアはとうとう泣き出した。
そしてギューギューと力いっぱいにフォルテを抱きしめた。
「何で泣くのよ」
「泣いているのはお姉様のせいですわ!私なんかのために!馬鹿だわお姉様!」
「アリア、服が濡れてしまうわ。離れて。」
零れ落ちる涙が、美しい衣裳にシミを作る。フォルテは縋るアリアの腕を外して正面に向き合うと、その涙を指で拭った。
「バカとは心外ね。泣き虫のアリア、どうか泣きやんで」
アリアは必死に泣き止もうと歯を食いしばったが、赤い唇は引き攣ってしまい、すぐに涙が溢れてしまう。
「アリア。貴方は誤解しているわよ。離婚したのだって別に貴方の為じゃないわよ。大臣の息子だからさぞかし利用価値があるだろうと思って結婚したの。もとから利用価値が無くなったら別れるつもりだったのよ」
アリアは落ち着いてきたのか、やっとひくひくとうるさかった嗚咽が小さくなってきた。
「それに私は本当にパルティータに行きたいの。私はこの国が好きよ。でも、贅沢な暮らしはもっと好きなの!私はいつもこの国にいる事を不自由に感じていたわ。いくら私があの手この手でお金を稼いでも、すぐにお父様は国民に還元してしまう。採算の取れるカジノの案件も叩き潰された……、私がどんなに歯痒い気持ちだったか解る?」
「……お姉様」
「でもパルティータなら遊び放題、稼ぎ放題。こことは比べ物にならない酒池肉林が楽しめると思うの」
ぐっと拳を握ったフォルテの様子に、アリアは泣き止んで思わず笑った。
「ふふっ、お姉様ったら本当に贅沢が好きね」
「私は自分にあった望みを口にしているだけよ」
「きっと、お姉様ならおとぎ話に出てくるマリーアントワネットみたいに素敵な王妃になれると思う」
「ありがとう、アリア。究極のセレブへ仲間入りする私を祝ってくれる?」
「ええ、お姉様。愛しているわ。おめでとう」
麗しい姉妹は、お互いの頬にキスをするとそっと抱きしめあった。
「そろそろ時間だよ。フォルテ。」
扉が開いて、オクテッドとクインテッド、そして少し涙を浮かべたアレグロが顔を出した。
フォルテは一人一人にハグをして、丁寧な挨拶をした。
迎えの一団が訪れると、家来共々全員が清冽して城の門からフォルテを見守った。
長年フォルテに苦しめられてきた料理長も悲しみの涙を浮かべて名残惜しんでいる。
「それでは、行って参ります。どうぞ皆様お元気で」
こうして、よくやくフォルテは花嫁としてパルティータへ旅立ったのである。