ゆめのおわり
友達になろうって決めたんだと思う。
3年位前からあの子と僕は友達で、僕は相変わらず、嘘ばかり吐いている。
今日もあの子にメールを打った。
嘘の出来事を書き込んで、綺麗な空の写真を付けて送信した。
コロナが流行ったせいで、世間はみんながマスクをしている。
『おはよう。昨日は学校が終わったら部活だった。夜まで続いた、辛かった。空の写真送るよ。』
二つ折りの携帯をパタンと閉じた。今時だけどガラケーを使っていた。
画質もあまり良くない。
あの子、マリナは、いつも夕方頃に返信を送ってくる。
だから僕は朝に1日一回返信をする。
学校の授業が終わった。高校は私立校で土曜日も授業があるが、午前中で下校出来る。
今日は土曜日だった為、昼12時を過ぎて下校した。部活には入っていなかった。
僕は天涯の嘘つきではない。それなのに冒頭にて相変わらず嘘ばかり吐いている、と記したのはこの後の行動を彼女に知られない為だ。
僕はそのまま家に帰宅せずに近くの玉川沿いの方に向かってずっと歩く。
最寄りの駅からは随分外れた所まで来ると、河原があった。
そこは鉄柵が出来ていて、入り口はあるものの中に入る人は殆どいなかった。
河原であるから川の周りには沢山の石が積み重なっている。
僕は鉄柵の入り口を通って、砂利道を歩いていき川の付近へと近付く。
昼下がり、昼飯前であったから多少の空腹であったが、いつもと同じ景色だと思う。雨の日以外、此処に来てこの川を見るのが僕の習慣だった。時々河原の上の方では人の叫び声がする。近くに病院が存在しているのだ。
そうして川の方をぼうっと眺め、普段は夕方に授業が終わる為、石が夕暮れに染まるのを見ていつものんびりと家に帰る。
>今日は土曜日であった為、夕方にはまだ日が高い。それもまた平日とは違う景色が見れて面白い。僕はこの河原の事が好きなんだと思う。
川にはメダカやらアマガエル、タニシ等が生息しているが、特別興味は無い。
流れていく川と廻る太陽がいずれ沈む様子が毎日少しずつ変わっていく様子が面白いのかもしれない。
また、時折誰かの叫び声がする空間も、また非現実と現実との境界線を引かれている気がしているのだ。
「あんたまたね」
後ろから呼ぶ声がした。
振り返るとしわくちゃのお婆さんがコンビニのビニール袋片手に立っていた。
「そういう貴女は時々ですね」
彼女はずっと前から時々、この土曜日になると出くわす人だった。ずっと前から。
お婆さんは僕の少し近くまで来ると止まり、いつも通り眠そうな顔でのんびりとこちらを見ていた。
彼女は病院の患者さんだった。ずっと古くからいる。もう長い事あの病院から出ていないらしい。
派手に明るいピンク色のワンピースを来ているがいやに太っていて雪だるまがワンピースを着ているようであった。
特段、話す事もなくお婆さんも此処にいたいからいるのであって、僕も此処にいたいからいるのであるのだった。
「この河原も一時期は埋立の話も出ていたが、」
と他愛もない昔話が始まる。この話を聞いたのは30回とちょっとだ。
「区長が変わってその話も中断された。今もこうして小さい生き物が静かに住んでいられて嬉しいよ。」
「良かったですね」
僕はいつもと同じ返事をした。
お婆さんと僕はしばらくそのまま其処で立ってお互いぼんやりしていた。
「あいちゃん」
マリナは髪の毛の短い女の子だった。同級生だけどクラスが違った。別にそんな事はどうでも良かった。彼女は僕の事を「あいちゃん」と呼ぶ。
僕の下の名前は「あいら」と言うから。
あれから翌週の月曜日、授業が終わってから学校から最寄りの駅方面にある商店街で待ち合わせてカラオケに二人で行った。
彼女は女性ボーカルのキーの高い歌をよく歌う。あまり上手とは言えないが下手でもなかった。
機械精密採点でいうと80点位。
3.4曲歌った頃におもむろに彼女は僕の名前を呼んだ。
お互いカラオケルームではマスクを外してたが、普段外では付けたままだった。
「あいちゃん」
彼女は高校二年なのに薄く化粧をしていた。唇は口紅でほんのりと紅かった。
「何」
僕は返事をした。
「いつも空の写真を送ってくれる」
「君もいつも送ってくれるから」
「夏の空は澄んでいるね」
「もう夏は終わったよ」
ドリンクバーで注いできたアップルジュースをストローでずず、と飲んで、マリナは伏し目がちに言った。
「秋の空は高いね」
何でもない会話だった。何の曲も入れていなかったから、壁の画面は知らないアーティストの紹介か何かがされていた。
その時、マリナの携帯が鳴った。
彼女の携帯はスマートフォンだった。インストールしたアプリの通知らしい。
「政治終わってるのかな」
マリナが見た通知はニュースの速報か何かだったらしい。
「僕にはよく分からないけど、こうして生活が続いているならまだ終わってないんだと思うよ」
顔を上げて僕を見たマリナは天井の照明の光を瞳に浴びて何だか揺らめいているようだった。
「そうだよね」
帰宅してから速報でニュースが入った事を知った。
内容は政治と金の問題だった。
昔から切っても切れない縁だと言われているらしい。
総裁選?首相交代?どうなんだろう。
と、特段自分の意見も無く見ていたテレビにテロップにて文字が流れた。
今の首相が続投を表明したらしい。
随分と先程報道していたニュースの流れと変わったな、と思う。
ふーん、そんなもんかとあまり関係ないコドモの僕は夕飯を済ませ眠る事にした。
「あいら、宿題したの」
「多分」
母が何か言っていた気がするが、そういうものはちゃんと終わらせた気がするな。
1日が終わるのが早い。こうして大人になっていくのかと思う。少し信じられなくて、少し憂鬱だった。
水曜日、今日も授業が終わって夕方、河原の方へ遊びに来ていた。平日の夕方はあのお婆さんはいない。病院のショートタイムと関係があるんだとか。僕はあのお婆さんと話す為に此処に来ているんじゃないから、別に関係ない。
川の音が淡々としている。空は高い。
もう秋の空だ。天気予報は外れたな。
なにが連日雨模様だろう。
明日から連日雨が降るらしい。雨の日は増水が怖いから来るのを止めている。
今日は少し遅くまでのんびりしていよう。といっても日が落ちる前には帰るが。
何だかそんな事を思っていると、ポツリ、と雨粒が降ってきた。
天気予報が変わったかな。
少しずつ雨粒が落ちる頻度が増えていった。
川に落ちる雨は次第に大きくなって派手な音がしている。
「あ」
傘持ってなかった、と思って、早く帰らなきゃと思う。
ただ、奇妙な事があった。
遠くの方からオルゴールの流れる音が聞こえてくるのだ。雨粒に混じっているのに、やけにそれに汚されずに流れている。何の曲かは分からなかった。病院の方が何かのお知らせで流しているのかな、とも思ったけど、違和感があった。
帰ろう、と思った。何だか不気味で、そのオルゴールの音は、少しずつ近付いてくるようにも感じた。
「あいちゃん」
ふいにマリナが呼ぶ声が聞こえた。しばらく耳を澄ませた。その後、声は聞こえてこなかった。
僕は走って、家に帰った。
鞄がグショ濡れになっていて、母が酷く心配した。僕はポロシャツと半ズボンに着替えてタオルで髪をふいた。
先程のマリナの声は何だったんだろう。僕も非現実の世界に迷いこんでしまったかな、と思った。
携帯から通知メロディがした。メールの音だった。
大体18時になる少し前位にマリナからメールが来る。携帯を開く、やはりマリナからだった。
彼女は中森マリナという。宛先の登録名は彼女のフルネームにしている。
『あいちゃん。』
文面はそれだけだった。
彼女のメールは大抵こんな短文の一言だけだった。
写真が付けられている。火だった。
なんだろう、ネットか何かで取ってきた画像だろうか。キャンプファイアーで薪が燃えているような景色を撮ったものだった。
いつもと少し違っていた。いつもは、何て事のない空の写真ばかりだったから。
僕は気になったから凄く珍しくすぐに返信をした。
マリナと友達になって3年間の中で、初めての事だった。
『何の写真?何だか面白いね』
居間にはテレビがついていた。
夕方の報道番組がやっていた。今日のニュース一覧が流れている。
相変わらず昨日の速報の通り政治の話が多い。今度はアメリカの大統領選だ。何やら立候補者が投票数について違法だと文句を論じている。
まるで魔法のように、投票数がひっくり返ったと。
再び携帯の通知メロディが鳴った。外側の表示画面には、中森マリナの文字が流れた。
僕はすぐにメールを開いた。
『夢の中の写真。』
「夢の中って、何」
思わず呟いた。返事を打ち返そうとした。
こうした単発でのやり取りをするのは、本当に初めてだった。
しかし返事を打っている途中でまた彼女からのメールが続けてきた。
『あいちゃんはいつも何処にいるの?』
僕はすぐに返事を打った。
『何処って?いつも?いつ?』
何秒かしてまた返信がきた。
『いつも何処に行っているの?あなたはあなたの世界にいる。』
『どうして?』
特にバレても構わなかった。
ただ毎日学校帰りに河原でのんびり景色を眺めている事は何となく言いたくなかっただけだったから。
もしかしたらマリナが偶然、河原にいる僕を見付けたのかもしれない。
別に構わなかった。
彼女から返信があった。
『あなたは世界で一人ぼっち』
何だか、悲しい言葉だなぁと思った。秘密にしていたからって、そんなに怒らなくても良いのに。
僕はもういいや、と思って明日の朝にまたいつもと同じ返信をしようかな、と思った。
別に一人ぼっちなんかでないやい。
木曜日、朝学校に行く前に支度を終えて朝食を取りながらメールの返事を打った。
『おはよう。何だか抽象的な言葉だけれど、僕は何も一人ぼっちを好んでいる訳じゃないよ。いつも河川敷にいるのが日課な平凡な学生さ。部活をやっていないのは嘘だもんね。確かにね』
授業で先生の話を聞き、ノートを取り、体育の授業では言われた通りマット運動なり走り幅跳び等をした。
天気も良かったので今日も河原へ行くだろう。
いつもと全く同じ日だった。
1日なんてあっという間に終わり、帰り道、また玉川方面へと歩いて河原へ向かった。マリナからの返信はまだ無かった。
マリナとは中学3年生の時に友達になった。
受験が終わった冬頃、中学で同じクラスだった。
同じ高校に行く事を偶然知って、会話を始めた。確かその日は雨の日だった。
傘を差さずに帰ろうとしたマリナに呼び掛けた。
「差さないの?」
マリナの顔には生気が無かった。まるで生きていないみたいだった。
「しんだの。」
「誰が?」
雨が強く降り続けた。
彼女の肩や体全身に雨が打ち付ける。
黒い空が広がっていた。
昼下がりとは思えない空の色だった。
ゲリラ豪雨が丁度東京都にやっていて、各地で雨は降っていた。
薄暗くて彼女の顔が見えない。
何もかもが闇に飲まれてしまいそうだった。
空が光った。雷が落ちる。
「おとうさん」
その時、彼女の顔が一瞬、とても良く見えた。その途端、酷い雷の音が街を響かせた。
僕はその時、友達になろうと思った。
あれから3年が経った。
高校2年になったけれど、僕らが一緒のクラスになった事は、まだ無かった。
別に構わないと思った。そんなに大差も無いと思ったから。
河原に着いた。いつもと同じ景色だった。
今は16時頃かな。
いつもと同じ、誰もいなかった。彼女の『世界で一人ぼっち』という言葉をふと思い出した。別にそんな気はしていない。そんなに怒らなくたっていいじゃないか。
携帯の通知メロディが鳴った。いつもより早い。マリナからだった。メールを開こうとした。
僕らの関係は変わってきている?少しそんな事を思った時だった。
再び、オルゴールの音が流れてきた。
何処から流れているんだろう。
病院からだろうか、それにしては近い距離のような、違和感があった。
奇妙な感じをしながら、マリナからのメールを開いた。
『夢の中。』
文面はそれだけだった。
画像が付いていた。ファイルを開けた時、何だかオルゴールの音楽が更に近付いてきたかのような気がした。
画像は、マリナの姿だった。
笑っていた。
こちらを向いて笑っている写真だった。僕は。
バシャン!
川の水が、大きく跳ねる音がした。
オルゴールの音楽がまるで狂想曲のように大音量で鳴っている。
川の流域に沿って点々とした4ヶ所から丸い硝子鏡みたいなのが飛び出した。
どういった重力でかは分からないが宙に浮いてるようであった。
日の光に反射してキラキラと輝いていた。
オルゴールの音が鳴り響く。一歩二歩と躊躇すると、どうやら硝子鏡はオルゴールの音に合わせてクルクルと回っているようだった。
大変な事が次々と起きている。マリナだって笑っているっていうのに!
まるで自分が夢の中に来てしまったみたいだ。
そうだ、と思った。この景色の写真を撮ろう。
もし明日の朝、起きてこの浮いてる鏡の写真が残っていたら、これは夢じゃなかった事になるな。
携帯の写真機能をオンにして目の前の景色に掲げた。確かにその姿は映っていた。しかし、何やら妙なものがあった。
鏡の筈なのに、目の前の景色を映していないのだ。
まるで番組のテロップが流れるみたいに、文字が流れている。
4つの鏡とも同じ文字が流れているようだった。
何度も何度も繰り返し流れている。これはホラーか何かか。
『夢を追う。第1のひとみ』
「夢を追う、第1のひとみ…」
その文字を流れるままに口にする。携帯の通知メロディが鳴った。中森マリナだった。
メールには、
『終わり。』
またそれだけが書かれていた。
携帯の通話画面を開いて中森マリナに電話をした。彼女は何かこの状況を知っている。そう思った。
携帯番号をかける。
発信すると、数秒で出る音がした。
「マリナ?今どこ?」
彼女は答えた。低く静かな声だった。
「病院」
何か、変なこえなんだ。
悲しいとも、寂しいとも言えないような穴があいているような。
バシャン!
もう1度、水が大きく鳴る音がした時、見ると4つの鏡は何処にもいなくなっていた。
「マリナ……病院?」
『病院にいる』
静かな河原に、少しずつ日が落ちていく様子が戻っていた。
遠くの方で、さおだけの鳴る音が聞こえてきたりした。
『夢が1つ終わったの』
「どういう事?」
『今見た景色、あなたも見てた。』
そしてすぐに言葉を続けた。
『入院したの。あなたがいるすぐそばの病院に』
「え……」
『あなたが見える』
電話が切れた。とても、寂しそうな声のような、それでいてからっぽのような、そんな気がした。
あれから2日過ぎて、土曜日になった。学校は午前中で終わった。僕は帰宅をしていたし、玉川方面の方を歩いていたが、いつもとはちょっと違う所に向かっていた。
院内に入ると広い待合室があった。
受付に行って自分の名前と、中森マリナの名前を言った。
「御面会ですか?」
「はい。友達なんです」
受付の人は快く名前を書かせてくれた。面会用のネックストラップを渡してくれたのでそれを首にかけた。
C4病棟にいる、と聞いたので、院内地図を見て、マリナに会いに行った。
少し胸がドキドキして、もしも彼女の言う事が全くのでたらめで同姓同名の女の子だけがいたらどうしよう、とも思った。
でも確かに土曜日のホームルームの前に彼女のいるクラスに会いに行くと欠席であったから、他の人には何も聞かなかったから確証は無いけど、マリナが嘘つきだとは思いたくなかった。
C4病棟の近くまで行くと、看護師さんに声をかけられた。
「何方の御面会かしら」
僕はおずおずとマリナの名を出した。
「中森、マリナさんです」
「約束はしてる?」
「あ。まぁ……」
嘘だった。僕は嘘を吐くのが上手いんだ。
「そうなのね、じゃあマリナちゃん、呼んでくるね」
看護師さんは軽く笑って奥の方へ小走りで歩いて行った。
少し歩いた先で座る所があったから、そこに腰掛けた。
待っている間に患者さんが何人か通り過ぎて行った。
此処にマリナがいるのか、窓に鉄柵が付いていて開けられないようになっている。外がその隙間から見られるが、中庭があるらしい。
暫くして、看護師さんが1人で戻ってきた。
「マリナちゃん、今中庭にいるみたい。中庭の行き方は分かる?案内しようか?」
随分、丁寧な口調で心配してくれている。院内は結構広かったので、迷子になると嫌だったので頷く事にした。
「お願いします」
エレベーターを降りて一階に戻った。先程使ったエレベーターとは違う場所にあるもので随分入り組んでいるんだな、と思った。
中庭に繋がるエレベーターらしい。降りてすぐ目の前は自販機等が置いてある、先にはベンチもある少しの空間だった。
そこにちんまりベンチに座ったマリナが居た。
「あいちゃんだ」
マリナがぼんやりと呟いた。
看護師さんが近付いてお友達が来てくれたって、良かったねと言って、僕に視線を合わせて軽く会釈して戻っていった。
「来てくれたんだ」
「木曜日」
僕は顔を合わせて早々に切り出した。
「マリナがくれたメールの写真、見た。初めて見た。マリナの笑った顔!」
勢いが勝って、息が荒くなった。僕は興奮していたんだ。
何より、嬉しくて。
マリナと友達になってから、僕は1度もマリナの笑った顔なんて見た事も無かったから!
「そっち?」
何だか呆れた顔をしていた。顔を訝しくして、面白いようなしかめ面だった。
「どこから見てたの?そうだ、あれ見た?あの宙に浮かんだ硝子のお化け」
僕は多分終始笑っていたと思う。マリナに会えたこと、笑顔を初めて見た事を伝えられた事で、胸がいっぱいだったんだ。
「そんなの簡単だよ」
マリナは言った。
「え?」
「宙に浮くなんて、簡単だよ。お化けなんて、どうとでも作れるよ」
マリナは何処かのぼせたようなのったりとした声だった。
きっと疲れているのかもしれない。そう思った。
「そうだ、写真を撮れなかったんだ。でもしょうがないよね、だって君も一緒に見ていたんだから!何処から見てたの?あのC4の病室から?」
涼しい風が吹いている。
秋を感じる枯れた葉っぱの匂いが混じる空気だった。
1枚の葉が宙を飛んでマリナの前を風に乗って泳いでいった。
マリナは抑揚の無い顔をして、どことなくぼんやりした視線でその木葉を追った。
「あいちゃん」
マリナは小さな声で呟いた。そして薄く笑った。
「ほら、夢だよ」
と、指を指して空を見ていた。
僕は、その方を素直に見やった。
丸い硝子鏡が、病院の敷居の壁上に確かに4つ、浮いていた。
クルクルと回転を続けている。
誰もがその方を見ていた。皆まるで、信じられないというように。
マリナの方を見た。
人差し指を宙にさしたまま、満足そうに宙に浮かんだ4つの「鏡」を見ている。
果たしてそれは鏡なのか。
何だか縁があるなぁ。と思う。
僕は取り敢えず夢じゃない事を確認する為にガラケーのカメラ機能をオンにして写真を撮ることにした。
1枚、2枚撮って確認して満足すると再び肉眼でそれを見やった。
何やら文字が書いてある。
先日と同じようだった。
『夢の続き。第2のひとみ』
と書いてあった。
「夢の続き、第2のひとみ……」
僕は文字をまた言葉にして読んでみた。
「夢の終わりだよ、あいちゃん」
マリナはヘラヘラと笑っていた。なんだかいつものマリナではなかった。
「おれ、先生を呼んでくる」
患者の1人が連れの連中にそう言ってエレベーターの方へ急いで行った。
その瞬間、バァン!と音を立ててそれが粉々に消えた。
呆気に取られた周囲とひきかえに、彼女は静かな顔で俯いて何だか穏やかそうだった。
「いつ退院するの?」
僕はマリナに囁いた。
彼女は薄く笑った。その顔は化粧のしていない、素朴な顔だった。
「春かな」
これは第3のひとみがありそうだな、と帰宅してから考えていた。
「あいら、今日、お風呂掃除したの?」
母が居間で呼ぶ声がした。自室にいたので大きな声で答えた。
「まだ。ちょっと待って」
さて、物事を整理してみよう。
マリナ氏は入院した。
ほぼ同日、突如として起こった奇想天外事象。
彼女との接点は色濃くうかがえる。
病院での事を思うと彼女自身がその事象を起こしている確信犯とも見て取れた。
しかしながらまことに残念な事に同席していた目撃者である患者たちは、おそらく集団妄想ヒステリーか何かで片付けられてしまったと思う。
僕は、嘘つきだから写真を撮っていたけれど、誰にも見せる事はしなかった。
携帯を取り出して画像を見返す。映画のワンシーンみたいに宙に浮いた丸い硝子鏡が4つ並んでいる。
まるで何らかの儀式のようでもあった。
試しにと思い、報道番組のホームページを開いた。
『スクープ記事募集』コーナーがあった。
僕は、検証と面白半分で、その画像をマリナの事だけは除いて、投稿した。
その3日後、知らない電話番号からの着信履歴があった。
その電話番号をネットで調べてみるとギョッとした。
かの有名な報道ステーション事務係からの発信だった。
夕方頃にかけ直してみると、事情、その時の状況等を聞かれた。
僕は「何も分からないんです。突然こんな事が起こって、本当に驚きました」と答えると、なんと夕方の報道番組の驚き特集で放送されてしまったではないか。
因みに僕の声はダミーになっておらず肉声がそのまま放送されて、翌日学校で大騒ぎになるかと思ったら、誰もが僕の一瞬の説明していた声に気付かなかったという。
いや誰もが、は除こう。
彼女以外は、だ。
電話が掛かってきた。
中森マリナからだった。
「もしもし」上ずった僕の声に内心バレちゃいましたか、と思って照れていた。
「見たよ」
マリナは短く言った。
「面白いね。こんなつまんない事にそのネタを使ったんだ」
「検証だよ」
僕は言った。報道番組は宇宙研究家に話を持ち掛けてみたらしく「謎が深まるばかりです」と締めくくっていた。
ほんの15秒程の記事だった。
マリナの笑った声が聞こえた。
「記者が病院に来たよ」
「そうだよね、来るよね」
「一緒に見ていた患者たちの正当性ができた」
「それは良かった」
「患者の言う事に正当性が出来たから」
> 「うん」
「私は超能力者扱い」
ほんとに?
少し間が出来た。
「明日から病院は退院で、色々検証されるらしい」
僕はヘラヘラ笑っていたと思う。
「良かった、退院出来るってことは君は大した病気じゃなかったんだね。色々検証って?」
ドロ、と手がぬめる感じがした。
え、と思い、携帯を耳から離した。
携帯が、少しずつ溶けていっていた。
まるで泥水のようにゆっくりと溶けていく。
携帯はまだ動いてる。マリナの声が耳を話してもよく聞こえた。
「私、嫌だから、何処か遠くに行くね」
だからあなたのデータも全部消してね、とそう言った。
ボト、と携帯が泥のようになって床に落ちた。声はまだ聞こえている。
僕は恐る恐るその状態のまま尋ねた。
「君は、魔女?」
ドンと弾けるような音がした。
目の前の電気が消えた。真っ暗になった。
歌が突然始まった。
小さな幽霊が沢山集まって面白おかしく歌うような声だった。
その通り、お化けが床から何体も顔を出し、連なって壁に向かって周り始めた。
『君を捕まえないと。君を捕まえないと…』
僕の携帯をどうしてくれる。
すると、一個の丸い硝子鏡が同じように床から飛び出てきた。
映る鏡の面には同じように文字が連なる。
『夢を追え。第3のひとみ』
と書いてあった。
壁を周り続けて歌を歌っていた何体ものお化けは今度は大笑いを始めて天井に向かって突き抜けて、消えていった。
それからしばらくして丸い硝子鏡も前回と同じように粉々になって消えていった。
翌日は土曜日だったが、テレビは1つのスクープで大騒ぎだった。
見出しは『病棟の消えた魔女』だった。
オカルト染みててイカれた世の中だぜ、と思う。まぁ事の発端は画像を提供した自分にある訳だが…。
彼女は高校の在籍から消えた。
彼女の家族は世間を騒がせたか何かの理由で何処か遠くへ引っ越す事にしたんだとか。
世の中のあらゆる不思議な事が彼女に向かっていた。
アメリカの大統領選で魔法のようにひっくり返った投票結果でさえ彼女の起因が囁かれた。
彼女は今や時の人になった。
事の発端は僕にある訳だが。
「マリナ……」
今や時の人である彼女の名前をただ居ないのに呟いた。
当の自分は学生生活を何の変化もなく暮らしているのだから、おかしな話である。
フロリダに行ったんじゃないかとテレビのコメンテーターの1人が言っていた。魔女の発端の地という噂があるからだ。
僕は何となく、第4のひとみで事が全て終わるような気がしていた。
携帯が壊れてしまった。彼女を追う手段は無いけど、考えてみることにした。
彼女が行きそうな所に行ってみようと思った。僕は、思い当たる所が1つしか無かった。
僕の家はマンションの1室だった。屋上が庭園になっている。
彼女はそこが酷く気に入っていた。
僕はここ数日間、河原に行くのを止めて学校が終わったら屋上の庭園で彼女が来るのを待っている事にした。
会いにきてくれるような、そんな気もしていたんだ。
ここ数日経過しても、テレビは彼女の話で持ちきりだった。
ついに友達である僕に記者からの取材が来るようになった。
僕は何も答えなかった。
ある日、屋上で同じように彼女を待っていると、2週間位経った頃かな、現れたんだ。
「マリナ」
彼女は服を着ていたが、裸足だった。ふらっと寄ったという意味に近い様子だった。
「あいちゃん」
僕の名前を呼ぶ、何も変わらない彼女だった。少し痩せたと思う。
警察が次に現れた。
「止まりなさい!」
直ぐに僕の目の前を走っていった。「マリナ」
僕は、警官に掴みかかって、マリナを捕獲しようとするのを阻止した。
「あいちゃん」彼女は泣いていた。どうしようもなく救いようもない、僕の友達だった。
その時、現れた。
庭園の地面から飛び出るように丸い硝子鏡が。
前に現れた何体ものお化けも同時に表れた。
オルゴールの音楽が鳴った。
河原で聞いた、あの曲だ。
『道を正せよ。第4のひとみ』
丸い硝子鏡には、そう書いてあった。
マリナは目を見開いた。僕は何となく、第4のひとみで終わるような、そんな気がしていたんだ。
「時は来た」
丸い硝子鏡が割れた。真っ二つに。
「夢の終わり」
マリナはそう言って、ここから落ちた。
空が赤くなった。
このマンションは50階あった。高層ビルの屋上で彼女はそこから落ちていった。
雷が強く鳴り響いた。空は赤黒く、竜のように雲は蜷局を巻いた。
地面の奥から声が聞こえた。マリナの声だった。
「あいちゃん」
そうしきりに繰り返して、泣いているようだった。
あぁ。
「僕のマリナ」
僕のマリナを、どうか返して。
友達になろうと思ったんだ。
もう、4年前から、ずっと。
僕ら、友達になれたかな。
何分も経って、警官は呆然としていたままだった。赤黒い空は渦を成したままだった。
いくら時間が経っても、それから何も変わらなかった。
僕はフラフラと、自分の家である602号室に帰っていった。
テレビがつけたままだった。
しかし、真っ白い画面が続いていた。何の音もしなかった。
世界が終わったんだ、と思った。
ふと、テレビが砂嵐になった。
ザザザザ…という音を立てて、画面に報道ステーションの映像が映し出された。
呆然と立ち尽くしてそれを見ていると、映像はライブ中継でこのマンションの屋上が映されていた。
マリナがいた。
マンションから飛び降りた筈のマリナが、4つの硝子玉を持って、屋上にいるではないか。
中継は記者が入り、記者はマリナの前にマイクを渡した。
「あなたはいくつもの超常現象を起こしている。世界はあなたの影響で混乱をしている。あなたは一体何者だ?」
マリナは俯いて静かにしている。
ふいに声を出した。
「正しい道を指し示す。私は不可思議な不協和音。でも、私はただの中森マリナ。あいちゃんの友達」
僕は急いで再び屋上へと向かった。全力疾走で向かった。
マリナ、僕は君を救えるかもしれない。
初めて思った。
記者は再びマイクを自分の手元にやり、この状況をテレビカメラに説明していた。
「先程、硝子が言っていた第4の瞳とは何なんですか?」
ゴシップネタの1つとして考えているんだろう、記者は再び尋ねた。20代半ばぐらいの若い男の記者だった。
すると、マリナは微笑んだ。
僕がまた屋上に来たことに、気付いたから。
「あいちゃん」
マリナは言った。
僕は自分がやることが何なのか、何故だか分かっているような気がした。
「その硝子玉。」
僕は叫んだ。
「空に投げて!!」
マリナは大きく頷いた。
「うん!」
4つの硝子玉がマリナによって大きく宙に投げられた。
そして各々が酷く光りだし、まるで玉露のようだった。
低い声が空に響く。
「時は来た」
底知れない程低い声で、屋上一帯に響き渡った。
ガラガラガラガラ!
雲間から雷が、1つ大きく打ち付けた。
周囲やテレビ局は唖然としていた。
空から竜が現れたのだ。
長い蜷局を空に巻いて、ゆっくりと浮遊している。
「夢の終わり。現実の始まり」
マリナは呟いた。
「僕はマリナを愛している」
僕は叫んだ。マリナは驚いて僕を見た。
「お願い、マリナをどうか助けて」
「あいちゃん」
「僕は分かったんだ。マリナ、君は世界という大きな枠組みを救おうとしていた。だから、こんなに悩んでいたんだ。…僕はマリナを救うんだ!僕はマリナを愛しているんだ!」
4つの玉露が空高く浮遊する。
その背後には大きな竜が1体、此方の方を見ていた。
おもむろに口を開く。
「夢の終わり。現実の始まり」
竜はそう低く言った。
「運命は変わらない。君の命は君のもの」
ふいに記者がこの状況の実況をテレビカメラに向かって始めた。竜は気に留めた様子もなかった。
「よい方とは永遠に続く道。永遠の道を目指さなければいけぬもの」
そうして竜は口を閉じた。
すると、マリナは竜に向かって言った。
「間違った事は何も生まれない。私達は、帰り道に向かって帰るんだ。永遠は確かにあったの」
僕は叫んだ。
「これは、誰かが作った夢だ!!!」
テレビカメラに、雷が落とされた。
電光石火が走って、小さな爆発と共にテレビカメラは木っ端微塵に壊れた。
「君たちは何がしたいんだ!」
記者が動揺して大きな声を上げた。
「僕らは、未来が自動的に正しい方にいかないなら、正しいと思う方に動かしていくんだ!僕らは未来を生きたい!」
だってマリナを愛しているんだもの。
だってマリナを守りたいんだもの。
そうでしょ?
今なら出来る、そんな気がしたんだ。
竜は言った。
「私は誰かの為ではなく、あなたの為に働きましょう。あなたがその少女を救って欲しいのなら、その為になることをしましょう。その為に呼ばれてきたのですから」
そう言うと空を迂回して流れるように泳いで行った。
流れるように泳ぐ後ろ側にはもくもくと雨雲が生まれていきそれが空全体に広がっていって、いつの間にか全てが雨雲で覆い尽くされた。
ざぁぁぁぁと雨が降り始めた。
優しげな音を立てて。
すると土がある地面から、緑の葉っぱが顔を出した。
色とりどりの花も顔を出した。
それが世界中、全ての世界各国で起こった。
雨が降り、色とりどりの花や草が顔を出し、動物たちの心を癒した。本来、世界はこうある姿なのだろう。
それは夜になるまで伸び続けた。優しい光の雨だった。
それが起こったことにより、地球で問題視されていた環境汚染の問題が解決された。
人々は草花の香りに体の芯から癒されていがみ合い争い合う事件が大幅に減った。
これが、僕たちの1日で起こった奇跡の日だった。
僕らはそれから手を繋いで走って逃げた。
記者が追いかけてきたけど、捕まるもんか。
僕とマリナはどこまでも行くんだ。
ずっと一緒にいるんだ。
「愛している、マリナ」
-Fin-




