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日常の修復とちょっとした変化

 君がいなくなってから、そろそろ一ヶ月が経つ。僕の現実には、新しく宮下さんが仲間入りしていた。毎朝、七時半には僕の家のインターホンを押しに来る。


 「おはよう、雄大くん」

 「おはようございます。今日は、夜勤明けじゃないんですね」


 今日の宮下さんは、いつもより笑顔がまぶしい。具体的には、無理している感じがなかった。


 「朝の六時まで働いてから来とるよ?」

 「そうなんですか?」

 「なんで夜勤やないと思ったん?」

 「なんだか、その、元気そうなので」

 「いつもは元気ないみたいな言い方やね」

 「眠たそうなんですよね。目が半分しか開いてない感じといいますか」

 「眠いからな、実際」


 夜勤明けではある、とすると、なんだろう。夜勤中に、何かいいことがあったのかな。僕はバイトをしたことがないから、バイト中のいいことって、何があるのか、ちょっと想像がつかない。聞いてみよう。


 「何か、いいことでもあったんですか?」

 「あったっていうか、これからあるんよな。せやから、狭間家には寄らんよ。雄大くんのオカンに言っといた方がええか?」

 「ああ、うん。それなら、言った方がいいかも」

 「ほなら、ちょいと上がらせてもらうで。お邪魔しまーす」


 ますます気になる。


 放課後、宮下さんが夜勤に行くまでの間、毎日のように僕の部屋に寄っているから、あの母さんが宮下さんの分まで夕飯を作ってくれているのだ。あの母さんがだ。成海学園に通い始めて、君を上がらせるようになるまで、僕の友だちが家に来るのをイヤがっていたあの母さんが、夕飯を用意してくれている、なんて、僕の中学時代までの友だちが知ったら、びっくりして椅子から転がり落ちるかもしれない。


 母さんの夕飯も〝友人契約〟のうちに含まれているのだろうか。


 「どした?」


 玄関から上がって、台所で朝食の後片付けをしている母さんと話をして、宮下さんは戻ってきた。


 宮下さんがこうして成海学園に通うようになった理由は、引きこもっていた僕を部屋の外に出すため、であるが、宮下さんを成海学園に通わせるための学費も込みで〝友人契約〟が結ばれている、らしい。らしい、というのも、この契約は宮下さんの異母妹の吉能さんと僕の父さんとの間でこの契約は結ばれている。こんな契約なんて結ばれていなくとも、僕は宮下さんの友人でありたい。


 僕と君とは偶然、同じ年に生まれて同じ高校に進学して出会った友だちだけど、僕と宮下さんとの間には〝友人契約〟がある。宮下さんは僕の友人であり続けなければならない。期限は、一年。仮に、僕と宮下さんとの友人関係がこの一年間続かないようならば、宮下さんが違約金を支払わないといけないらしい。


 「母さん、なんて言ってました?」

 「用事があるならしょうがないわね、って言うとったよ。ウチは毎月二十五日が忙しいんよね」

 「二十五日?」


 先月の二十五日は、まだ宮下さんと出会っていなかったか。ここ最近、これまでの人生では考えられないぐらいのことが起こってしまったから、まだ一ヶ月経っていないことに驚く。


 「給料日なんよ。バイトの、給料が振り込まれる日」


 だから嬉しそうなのか。納得した。この一ヶ月の仕事の成果がお金になる日。


 「なるほどです。給料で、何か買うんですか?」

 「秘密」

 「僕は、学校の勉強についていけるように、基礎から学べるシリーズみたいな本を買っていただきたいです」

 「えー……」


 冗談で言ったのに、本気でイヤそうな顔をされてしまった。勉強面は僕がサポートするしかなさそうか。矢作くんのお力もお借りしたい。矢作くん、なんだか宮下さんのことを気にかけてくれているし。


 「宮下さんが来ないのなら、僕は今日、大輔の家に行ってみます」


 僕は君の家に行ったことがない。住所は、先生から教えていただいた。君が生きているうちに、一度でも行っておけばよかったかな、と今更ながら後悔している。


 「お。一人で行けるん?」

 「行けますよ。僕を何歳だと思っているんですか」

 「ウチもついていける日の方がええんやないかなと」

 「大丈夫ですって。大輔から僕の話は聞いているでしょうし」

 「そかそか」

 今日の宮下さんは一時間目から六時間目まで、きっちりと起きていた。僕を含めた他のクラスメイトと同じように、授業を受けている。矢作くんや先生方も驚いていた。


 朝のホームルームの後で「じゃ、あとは頼むわ」と言い放って、タブレット菓子のようなものを飲んでから突っ伏して寝始めてしまうのが日常茶飯事。もう誰も注意しない。最初の一週間は、数学の鈴木先生が起こそうとしていたが、二週目に入ると諦めていた。鈴木先生は今年度から成海学園で教鞭を執るようになった人だから、なんとかしたくなる気持ちはわかる。成海学園は、留年しようとも自己責任。鼻の穴を膨らませつつ「自己の管理ができない者に成海学園にいる資格はないのだ」と父さんは言っていた。


 僕だけが宮下さんの事情を知っている。宮下さんとしては、一年間の〝友人契約〟が満了となるまで学生でいられればいいのだろう。つまり、留年は怖くない。


 僕としては、宮下さんには卒業までいてほしいところだが、その分の宮下さんの学費を誰が負担するのかという話になってきてしまう。私立の男子校である成海学園の学費は、おいそれと払える金額ではない。……だからこそ、たかが〝友人契約〟のためだけにぽんと支払ってしまった父さんのことが恐ろしくなってくる。そこまでして僕を成海学園に通わせたいのか。


 「雄大くん、購買に行こっか」


 昼休みには僕を誘って購買部へ。給料日の宮下さんは気が大きくなっているのか、僕に「なんでも買うたるで」と言ってきた。普段はコンビニで廃棄になったパンを持ち帰ってきているのに、購買部で三百円のチキンカツサンドを買おうとしていて、さらに僕にも何か買ってくれるらしい。


 「僕は、母さんのお弁当があるから」

 「遠慮せんでええって。こういうときは、遠慮する方が失礼やで」

 「じゃあ、プリン」

 「ウチも食べよかな。おば、いや、おねえさーん! プリンふたつ!」


 僕は購買部の手作りプリンを初めて食べた。昔ながらの固めのプリンに、ほんのり苦いカラメルソースがマッチしていて、おいしい。成海学園の文化祭では外部の人が購買部の商品を購入できるのだが、この手作りプリンが一番人気で、一時間ほどで売り切れてしまうのだとか。納得のおいしさだ。君とも食べたかった。


 「ありがとうございます」

 「雄大くんにはお世話になっとるから」

 「僕の方こそ」


 *


 放課後。僕は宮下さんより先に学校を出た。学校から最寄りの駅まで歩き、電車に乗って、知らない街に行く。


 君の住んでいた街は、夕焼けに照らされて、オレンジ色に光っていた。君は僕と僕の家に遊びに来ていたから、この景色を見たことはないかもしれない。あるいは、君が僕と知り合う前に、見たことはあるかもしれない。初めて来た街なのに、初めてではないような、懐かしいにおいがする。


 住所のメモを片手に、商店街を抜けて、ひたすら歩いて行った。途中で小学校の前を通り過ぎる。この小学校は、ひょっとしたら、君の卒業した学校なのかな。僕は思っていたよりも君のことを知らなくて、こうなってしまってから知ることばかりだ。


 「……あれ?」


 たどり着いた場所は更地だった。まるっと一戸分のスペースが空いている。


 「あの!」


 僕は通りかかったおばさんを呼び止めた。大きく膨らんだ買い物袋には、商店街にあったスーパーのロゴが描かれている。たぶん、この辺に住んでいる人だろう。こんなに買い物をして、徒歩で行き来をしているのだから、おそらく、遠くには住んでいないはずだ。


 「なんだい?」

 「菱田さんって、知りませんか?」


 おばさんは僕の格好を見て「ここに住んでいた子の友だちかい?」と問いかけてきた。僕は制服姿のまま、ここに来ている。大輔のことに違いない。


 「はい、そうです!」

 「あんたも、変な鳥を売りつけようとしてるんじゃないだろうね?」


 疑われている。変な鳥って、何だろう。


 「違います。どちらに引っ越したかはご存じないですか?」

 「さあねえ。みんな変な鳥を買わされそうになってたから、いなくなってくれてせいせいとしているよ。あんたも気をつけなさいね」


 話はここまでだと言わんばかりに、ふん、とあちらを向いて、おばさんは離れていく。この様子だと、この辺の人たちから、引っ越し先の情報を聞き出すのは難しそうか。だとすれば、どこに聞けばいいだろうか。


 「お荷物、運ぶの手伝いましょうか?」

 「えっ……。ああ、悪いわね」


 ずいぶんと歩みが遅いので、僕のお節介センサーが作動した。放っておけない。


 「うわ、結構重たい! 大変ですね……」

 「大変だって言ったってあんた。買い物してこないと、家に何もないんだもの。あんたは母ちゃんに任せっきりかい?」

 「ははは……」


 歩みは遅くとも、口はよく回る人だ。僕は苦笑いで返した。

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