09夏休み
八月に入った週末
温泉旅館の川床には
清流の音が絶えず流れていた
菫は一人 川に面した席に腰を下ろす
観光客は未だまばらで
この時間帯は村の人のほうが多い
女将が手書きのメニューを置いた
「今日はな いちごの冷やし甘味と
シャインマスカットの冷製デザートがあるよ」
菫は思わず目を落としたまま止まる
どちらもこの村のものだ
春に話題になったいちご
最近 少しづつ評価が上がってきた
シャインマスカット
いちごは甘くて分かりやすい
村の人にも 観光客にも受けがいい
シャインマスカットは「これから」の存在
値段も高く 出すのをためらう店もある
どっちを選ぶかで
何を応援しているか分かっちゃう気がするな
菫は苦笑いした
「悩んでるねえ」
女将がからかうようにいう
「両方っていうのは…」
「今日はやめとき ちゃんと迷った方がええ」
その言い方…少しだけ真剣だった
菫は少し考えてから言った
「シャインマスカット お願いします」
女将は何も言わずに頷いた
運ばれてきた皿には
冷やされたマスカットと 透明のジュレ
一口食べて 菫の目は瞬いた
ちゃんと 美味しい 派手じゃない
でも確かに丁寧な味だった
川の流れを見ながら思う
この村も こんな感じなのかもしれない
直ぐに分かりやすく評価されなくても
ゆっくりと ちゃんと前に進んでいる
夕方 川床を離れる頃
水面に夕日が揺れていた
どっちが正解かは まだわからない
でも迷える場所にいるのは 悪くない
菫はそう思いながら橋を渡った
お盆の頃
空気は少しだけ変わる
役場前や集会所近くに止まる車を見かける
県外ナンバーも混じっている
偶然
都会から帰省した友人と再会した
高校時代の同級生 今は大阪で働いている
「久しぶり!相変わらず静かやなあ」
友人は笑いながら言ったが
その笑顔には少しだけ 見下ろす側 の
余裕が混じっていた
菫はそれに気づきながら
気づかないふりをする
「まあね でも最近はちょっと忙しいよ
イベントとか 移住体験とか」
「へえ 役場ってそんなこともやるんや」
「やる というか やらないと
この村はなくなるから」
言葉にした瞬間 胸の奥が少し痛んだ
都会に出た友人には
重すぎる話かもしれないと
私は隣村にある実家へ
ほんの短い時間だけ顔を出していた
仏壇に線香をあげ
母と二言三言近況を話す
「今は役場で働いとるんやろ」
「うん まあ そんな感じ」
詳しくは話さない
自衛隊を辞めた理由も
夜中の倉庫で働いていた事も
夜勤の施設警備員だった事も
ここに戻ってきた理由も
縁側に座ると
「幸一 まだ眠れんのか」
母は麦茶を置きながら言った
私は少し笑う
「たまに」
間がある
「…あの時の夢 みるんか?」
母は直球だ
私は少しだけ空を見た
「前よりは減った」
それは本当だった
「俺な たいぶ平気になったよ」
母は何も言わない
「助けられなかった顔 全部覚えている」
「今は 仕方なかったと 割り切っている」
母は小さく息を吐く
「そうか」
それだけだった
けれど
私は分かった 安心している
「今は ちゃんと働いているで」
「知っとる」
「もう逃げていない」
母は 静かに頷いていた
私は村の境目にある山の稜線を眺めていた
子供の頃と何も変わらない景色
自分の中だけが少しだけ遠くへ行って
戻ってきた
バス停へ向かう途中
二人は川沿いの道を歩いていた
夕方の風が少し涼しく
ヒグラシが鳴き始めていた
「なあ…菫…」
友人が何気ない調子で言った
「この村ってさ…正直 住める?」
足がほんの一瞬だけ止まりそうになる
菫は歩幅を変えずに そのまま前を向いた
「どういう意味で?」
「仕事とかさ 買い物とか 将来とか
ほら 子供育てるとか考えたら」
責める口調ではない
むしろ心配してくれている という顔だった
「住めるよ」
少し間を置いて 菫は答えた
「便利じゃないし 選択肢も少ないけど
でも 全部がダメってわけじゃない」
友人は
「そっか」と言いながら
川面を覗き込む
「私はさ 正直無理やと思うわ
でも 菫がここで働いているのは…
なんか凄いなって」
その言葉に 胸の奥が少しだけ熱くなる
同時に逃げ場を失った感覚もあった
「私もずっとここにいるかは分からないよ」
菫は 少しだけ本音を混ぜた
「でも今は 住めるかどうか分からない村を
考える場所 にする仕事をしてる」
友人は驚いたように菫をみて
それから笑った
「相変わらず 真面目やな」
バスが見えてきた
エンジン音がこの時間の終わりを告げている
友人が乗り込む寸前 振り返って言う
「また帰ってくるわ
その時 答え変わってるかもしれんしな」
菫は手を振りながら 小さく頷いた
答えはまだ途中 この村も 自分自身も
夕方 村に戻ると 菫が役場前に立っていた
友人を見送ったところらしい
「おかえりなさい」
「ただいま ですかね」
二人は並んで川の方へ少しだけ歩く
「友達 帰って来たんですか」
「はい 都会の話 沢山聞きました」
「楽しかった?」
菫は少し考えてから 首を横に振った
「楽しい だけじゃなかったです
私 ここに残っているんだなって
改めて思いました」
私は何も言わなかった
ただ同じように「戻ってきた人間」として
その言葉の重さだけは分かっていた
遠くで迎え火の煙がゆらりと立ち上る
村は変わらず静かだ だが人の心だけは
それぞれの場所で揺れている
お盆はそんな揺れを
そっと浮かびあがらせる季節だった
夏の終わり
村営キャンプ場の一角に
簡易な直販所と休憩所が設けられた
元は小学校の倉庫だった建物を
最低限だけ整えたものだった
木の机 ベンチ 日よけの簡単な屋根
並ぶのは 朝にとれた野菜と
手作りの加工品 苺のジャム
名水わらび餅 三笠漬け
シャインマスカットは量を絞り
値札も控えめだ
「道の駅って名前は まだ使いません」
開設前の打ち合わせで 私はそう言った
「まずはここで人が立ち止まるかを
見たいです」
菫は頷いた
売れるかどうかより 使われ方を見る
それが今回の目的だった
午前中
キャンプ場を利用していた家族連れが
ふらりと立ち寄る
「トイレ ここで使えますか?」
「はい、どうぞ」
「この辺
ちょっと座れるところがあって助かる」
菫はメモ帳に 何も言わず書き留めた
買わない人の言葉も ここでは大切だ
昼過ぎ サイクリングの途中らしい二人組が
水を飲みに来る
「地図ありますか?」
「簡単なものなら」
私は即席で用意した周辺案内を差し出した
滝 古道 温泉
派手な説明はない
「意外といろいろあるんですね」
その一言に 菫は小さく息を吸った
夕方売り上げは決して多くなかった
だが ベンチは一日中 誰かが座っていた
「今日はどうでしたか?」
菫は聞く
「数字だけなら厳しいですね」
私は正直に答えた
「でも 通り過ぎなかった人
は思ったより多い」
休憩所に残る 飲み終えたペットボトル
折りたたまれた地図
誰ヵが忘れていった帽子
「道の駅って 売る場所でなく
村に入る前に 息をつく場所
かもしれませんね」
菫が言うと 私は少しだけ笑った
「だったら まだ可能性はあります」




