02桜の頃
午前十時前
ふるさと振興課の電話が鳴った
「はい ふるさと振興課です」
小川菫が電話を取る
内容を聞きながら 視線だけで私を呼んだ
「移住希望者の方です…はい
はい…ええ 分かります」
電話を切ると菫は小さく息を吐いた
「また、です」
「また、ですか」
上司は新聞を畳み ため息混じりに言った
相談者は四十代男性
都市部から家族で移住を考えているが
「住む場所」「仕事」
「子供の学校」「冬の生活」
全てが不安で 一歩踏み出せずにいるという
珍しい話ではなかった
「移住したい気持ちはある
でも失敗したくない」
「…一番多いパターンですね」
菫は資料棚からパンフレットを取り出す
「この村 いい所は多いんです でも
暮らしやすいかどうかは人によりますから」
私は黙って聞いていた
都会ではこの手の相談は
コールセンターか ウェブのQ&Aで終わる
だがここでは違う
「電話折り返しますって 言っておきました」
「正解だな 来てもらおう」
上司はそう言って 私の方をちらりと見た
「山中 お前 今週末の面談同席しろ」
「…私ですか?」
「資料読むだけなら誰でもいい
だが この手の相談は顔がいる」
理由は説明されなかった
だが私は何となくわかった
この村に来る人は 数字や制度ではなく
ここで生きていけるかどうかを測りに来る
週末相談室に現れた男性は
何度も
「すいません」
「こんなことを聞いて」と口にした
話を聞きながら私は気づいた
質問の多くは制度より
「最悪どうなるのか?」だった
仕事が見つからなかったら
雪で車を出せなかったら
近所付き合いが合わなかったら
私はゆっくり言った
「正直に言います
この村は便利じゃありません
合わない人も います」
男性は少し驚いた顔をした
「でも」
私は続けた
「合わなかった時
逃げ道がない村 ではありません」
それは経験から出た言葉だった
都会に住んでた頃 夜勤明けの朝
戻る場所があるだけで 人は耐えられる
相談がおわった後 菫が小さく言った
「ああいう言い方初めて見ました」
「嘘はつきたくないだけです」
上司は鼻で笑った
「良いんじゃないか
ここは夢を売る課ではない
生活を預かる課だから」
私はその言葉を胸に刻んだ
この村で最初に向き合ったのは
村の未来ではない
誰かの迷いだった
この村の桜は遅い
四月の半ばを過ぎてから山の稜線が
じわりと淡い色に染まり始める
「…来ましたね」
小川菫は窓の外を見て言った
来たのは桜だけではない
週末を前に役場の電話は鳴り止まなくなった
「駐車場は何処ですか」
「トイレは有りますか」
「屋台は出ますか」
「まだ咲いていますか」
ふるさと振興課の机の上には
即席で作った案内図と
注意書きが積み重なっていた
「イベントと言っても」
上司はぼやいた
「ただの毎年咲く桜や」
山間部の桜は貴重だ 平地で散った後に咲く
それだけで人が集まる
問題は想定以上に集まった事だった
昼前には臨時駐車場が満車になった
路肩に止める車
狭い生活路に入り込む観光客
「山中さん苦情です」
「今度は何処だ?」
「集落の入り口が通れないって」
私は村役場の名前入りのジャンパーを
羽織った
「現地見てきます」
軽トラックで現地に向かう途中
歩いている観光客に何度も頭を下げられた
「すみません トイレは…」
「この先の公民館 開けてあります」
即席の判断だった
だが、止めるより流すしかない
午後には 集落の古老が役場に来た
「昔はこんなに人は来なかった」
怒っているようで少し誇らしそうでもあった
「嬉しいけどな」
そう前置きしてから
「生活があるんや」
菫が深くうなずいた
「すいません配慮が足りませんでした」
その声は仕事の声だった
私は分かった
彼女は謝る側に慣れ過ぎている
夕方役場の前で二人並んでいた
「都会なら警備会社呼んで
イベント会社が仕切って終わりですよね」
菫が続けて言った
「ここでは誰がやるんですかね
私たちですかね」
桜は静かに咲いている 見上げれば綺麗だが
足元はぐちゃぐちゃだ
「でも」
菫は続けた
「誰かが来てくれるのは
やっぱり嬉しいです」
その言葉は彼女自身に
言い聞かせているようでもあった
私は桜を見上げて言った
「人が来る村はまだ終わってません」
「そうですね」
夜役場に戻ると上司がカップ麺を差し出した
「初めての観光対応やな」
「はい」
「悪くなかったぞ」
それは評価だった
春は短い 桜は直ぐ散る
だがこの村は 咲いた後に残るものと
向き合わなければならなかった
桜が散った翌週ふるさと振興課では
反省会が開かれた 反省会と言っても
立派な資料が並ぶわけでも無い
コピーした来場者の推計 苦情の件数
そして各自のメモ
「例年の三倍です」
菫が数字を読み上げた
「車両トラブルが七件
生活道路への侵入が二十三件
苦情は…正確な数は把握できていません」
上司は腕を組んだまま 天井を見ている
「原因は分かっている」
地方局の番組表だった
「特集 組まれとるな」
「はい…知る人ぞ知る
遅咲きの桜 だそうです」
菫の声は少し硬かった
番組では
ドローンからの空撮映像で山全体を映し
「今が見頃」「アクセス良好」と
繰り返したらしい
「アクセス良好って」
上司が鼻で笑う
「誰基準やねん」
私は黙って資料を見ていた
盛り上げた側は村の魅力を伝えただけだ
嘘は言っていない
だが 対応する人間は 村の側にしかいない
「放送局には何か言うんですか?」
菫は言った
「言わんよ」
上司は即答した
「言っても次の村が映るだけや」
それは現実だった
「じゃあ 来年はどうする」
上司は私たち二人に問うた
菫は少し考えながら言った
「最初から 来てほしくない人を
想定して動く必要があると思います」
その言い方に自分でも驚いたようだった
「どういう意味だ」
「悪気が無くても生活を壊す人はきます」
一瞬部屋が静まった
私は口を開いた
「来年は 見に来る桜 じゃなくて
歩いてみる桜 にした方がいいです」
二人がこちらを見る
「駐車場を減らしてシャトルを出す
歩けない人は…仕方ないですよね」
菫が目を見開いた
「それ苦情出ますよ」
「出ます」
「炎上しますよ」
「します!」
それでも私は続けた
「でも守れるものは守ります」
上司は 暫く黙ってから言った
「…盛り上げるのは誰でもできる
片付けるのは俺たちだけや」
会議が終わった後
桜はもうない
だが盛り上がった後に残るものを
どう扱うかで
村の未来は決まる




