考えること
速く走るには、考えろと言われた。
勝つためには、理解しろとも言われた。
でも__
考えれば考えるほど、ハンドルは重くなっていく。
才能があるからこそ、迷う。
感覚で走れてしまうからこそ、立ち止まる。
「分かろう」とした瞬間、
走りは、少しだけ遠ざかった。
これは、速さの話じゃない。
自分と、どう向き合うかの話。
はるかは、ノートを睨んでいた。
ページには、走行ラインの図。
ブレーキングポイント。
アクセルの開け始め。
……ぐちゃぐちゃだった。
(考えれば考えるほど、分かんなくなる)
自分の頭が良くないことは、はるかはちゃんと知っている。
だから、メガネもかけている。
それっぽく見えるから。少しでも、賢そうに見えたらいいなって。
でも中身は、全然追いついていなかった。
(型が必要、再現性が大事……)
分かる。
分かるけど、できない。
「……あ」
はるかは顔を上げた。
(そうだ)
視線の先にいたのは、前春たいしだった。
ノートをまとめて、帰ろうとしているところ。
勉強もそこそこできて、説明も上手で、何より__
(メガネかけてるし、頭良さそう!)
はるかは勢いよく立ち上がった。
「たいしくん!」
「ひゃっ!?は、はい!?」
一歩近づいて、間を詰める。
「ちょっと付き合って!」
「……っ」
たいしの顔が、一気に赤くなる。
(つ、付き合う……!?)
「わ、わいでいいなら……」
声が裏返りそうになりながら、たいしはそう答えた。
連れてこられたのは、駅前の小さなカフェだった。
向かい合って座る二人。
はるかは真剣、たいしは緊張。
(告白じゃ、なかった……よな?)
コーヒーが運ばれてきても、沈黙が続く。
先に口を開いたのは、たいしだった。
「……それで、その」
「なんで、わいなんです?」
「相談なら、女の子同士のほうが……」
はるかは即答だった。
「いや、たいしくんがいい!」
「えっ」
「だって、頭良さそうだし!」
ぱちん、とたいしの中で何かが弾けた。
(それだけ!?)
でも、否定する気にもなれない。
「……それで、何の相談ですか」
はるかは、少しだけ言いづらそうに視線を落とした。
「私さ……最近、考えすぎてる気がして」
「走りのこと」
たいしは、はるかの言葉を遮らずに聞いた。
「どうしたら勝てるか」
「どうしたら速く走れるか」
「どうしたら安定するか」
「ずっと考えてて……でも走ると、全部抜けちゃうから」
はるかは、カップを両手で包んだ。
「私、頭よくないから考えると、余計ダメになるのかなって」
たいしは、少し考え込んだあと、真面目な顔で言った。
「……東雲氏。
それ、答え出てません?」
「え?」
「東雲氏は考えず、感覚で走ったほうがいいですぞ」
はるかは、目を見開いた。
「でも……考えないと、勝てないって......
型がないと、ダメだって……」
たいしは、首を振った。
「型ってのは作れる人が使うもんです」
「東雲氏は考える前に、もう走れてる。
走りながら考えようとするから、
走りが遅くなるんですぞ」
はるかは、しばらく黙っていた。
(……あ)
頭の中で、何かがほどけていく。
考えなきゃ。
理解しなきゃ。
追いつかなきゃ。
その全部が、重りになっていた。
「じゃあ……
私、どうしたらいい?」
たいしは、少し照れくさそうに笑った。
「簡単です
考えるの、やめましょ」
「……え?」
「速く走ろうとしない」
「勝とうとしない」
「ただ」
「気持ちいいところを走る」
はるかは、ふっと息を吐いた。
「……それ、楽そう」
「でしょ?」
帰り道。
夕暮れの中で、はるかは空を見上げた。
(考えるの、やめよ)
勝ち方も。
速さも。
理由も。
今は、いらない。
(走りたいから、走る)
それだけでいい。
はるかの表情は、少しだけ軽くなっていた。
誰かは理解し、
誰かは感覚を取り戻し、
誰かは、まだ迷っている。
次に待っているのは、
言い訳のきかない場所。
結果だけが残る、最後の調整。
静かなサーキットで、
本当に残るのは誰か。
次回
EP9【最後の調整】
はるかは、もう迷わない。




