006
俺は、そっと二階へ上がった。
ベランダに出た瞬間、
胸が締めつけられる。
……遠い。
隣の家との距離は、
思っていたより
ずっと離れていた。
足が震え、
手のひらが汗で滑る。
その時――
カラン。
何かを落とした音が、
夜の静けさを切り裂いた。
心臓が、
一気に跳ね上がる。
下の階から、
母の声が聞こえた。
「……猫?」
一瞬の沈黙。
そして、
母は思い出したようだった。
――二階だ。
――猫がいたら危ない。
次の瞬間、
足音が響く。
ドン。
ドン。
ドン。
階段を駆け上がってくる音。
一歩ごとに、
心臓が
壊れそうなほど
激しく打つ。
――もう、無理だ。
考える時間はなかった。
俺は残った力を
すべて振り絞り、
隣の家のベランダへ跳んだ。
風が耳元で鳴り、
足が滑る。
体が投げ出され、
俺は転がるように
壁際の箱の陰へ潜り込んだ。
身を縮め、
息を殺す。
その瞬間――
ベランダの扉が開いた。
光が、
外へ溢れ出す。
母が出てきた。
手には、
猫を追い払うための棒。
辺りを見回し、
しばらくしてから
安堵の息をついた。
「……よかった。」
母は中へ戻り、
扉を閉めた。
再び、闇。
俺の心臓は、
まだ激しく鳴っていた。
しばらくして、
ようやく動けるようになり、
俺は静かに下へ降りた。
足はふらつき、
体は言うことを聞かない。
それでも、
地面に立った瞬間、
俺は歩き出した。
夜の道を、
当てもなく彷徨う。
ただ一つ、
あの家から
遠ざかるために。
だが――
長い間の暴力と飢えで、
体は限界だった。
視界が揺れ、
力が抜ける。
俺は、
道端で崩れ落ちた。
そのまま、
意識は闇に沈んでいった。




