004
俺は、逃げた。
背後で、
棒が何度も振り下ろされる音がする。
罵声が、
頭の中に突き刺さる。
「疫病神!」
「お前のせいで全部だ!」
追い詰められ、
俺は壁際で 小さく丸まる ことしかできなかった。
殴られるたびに、
体が跳ねる。
息が詰まり、
視界が揺れる。
それでも、
心の奥で、
一つの声が叫んでいた。
――ここまで来たんだ。
――絶対に、逃げなきゃいけない。
怖かった。
父という存在そのものが、
俺の体を凍らせていた。
それでも――
もう戻れなかった。
父は、
次は 鉄の棒 を取ろうとした。
その動きは、
酒のせいで遅れていた。
足がもつれ、
体が大きく揺れた。
その瞬間、
俺は考える前に動いていた。
父を――
押した。
父の体は後ろへ倒れ、
鈍い音を立てて
頭を床に打ちつけた。
そして――
動かなくなった。
静寂。
耳鳴りだけが、
異様に大きく聞こえる。
俺は立ち尽くしたまま、
自分の心臓の音を数えていた。
――死んだ?
その考えが浮かび、
全身が凍りつく。
だが、
父の胸は、
かすかに上下していた。
……生きている。
今だ。
頭では分かっているのに、
体が動かない。
近づくのが、
怖い。
触れるのが、
怖い。
目を開けたらどうしよう。
急に起き上がったら――
それでも、
俺には他に道がなかった。
俺は歯を食いしばり、
震える手で、
父の体に触れた。
ポケットを探る。
何もない。
もう一つのポケット。
ない。
呼吸が、
どんどん荒くなる。
――頼む。
――頼むから、ここにあってくれ。
指先が、
冷たい金属に触れた。
思わず、
息を止める。
……鍵だ。
小さな鍵束。
俺はそれを強く握りしめた。
まるで、
自分の命そのものを掴むように。
立ち上がる。
振り返らない。
考えない。
ただ、
走る。
――今度こそ、
本当に。




