026
「――さて。」
アカリは、まるで散歩に行こうと言うかのような口調で言った。
「今から、お前に水の上を走る方法を教える。」
クロは目を瞬いた。
「え……師匠、それって重力を――」
ゴンッ!
拳が、遠慮なく頭に落ちた。
「水の上だと言っただろうが。」
「重力の話をするな、この馬鹿。」
クロは頭を押さえ、歯を食いしばって黙り込んだ。
その様子を見て、アカリは突然――
腹を抱えて笑い出した。
「はははは! 本当に分かってねぇな。」
彼は浜辺に立ち、揺れる海面へ足を踏み出す。
「よく聞け、小僧。」
「力で走るわけじゃない。」
「重力でもない。」
「――水を操るんだ。」
アカリは腰を落とし、手のひらで海に触れた。
「水の流れを意のままに操り、
その反動で自分の身体を押し上げる。」
「ただ、それだけだ。」
クロは言葉を失った。
「……それだけ、ですか?」
アカリは冷たい目で振り返る。
「他に何がある?」
「魔法に奇跡はない。あるのは、理解する者と、愚か者だけだ。」
彼は沖合を指さした。
「この海に連れてきたのは、遊びじゃない。」
「これほど水に満ちた環境で、
“感じる・支配する・乗りこなす”ことすらできないなら――」
口角を歪める。
「溺れ死んだ方がマシだ。」
冷たい現実が、クロの胸に突き刺さる。
だが――
恐怖より先に、胸が高鳴った。
「師匠。」
クロは思い切って口を開く。
「……ペットの調教については?」
アカリは一瞬だけ言葉を止め、鼻で笑った。
「欲張りなガキだな。」
腕を組む。
「普通の人間なら、三体が限界。」
「相当な強者でも、五体がせいぜいだ。」
視線が鋭くなる。
「それ以上は、魔獣に喰われて終わりだ。」
クロは息を呑んだ。
「だが――」
アカリは低く続ける。
「お前が、俺を満足させるほど鍛え抜いたなら。」
不敵な笑み。
「伝説級のペットを見せてやる。」
「二十年に一度しか現れない存在だ。」
クロの心臓が跳ねた。
「まさか……もう、師匠は?」
「でなければ、口にすると思うか?」
クロは思わず叫んだ。
「じゃあ! 今すぐ呼び出してください!」
ゴンッ!
三度目の拳。
「夢を見るな。」
「水魔法すら身につけていない奴が、触れていい存在じゃない。」
アカリは背を向け、そのまま海へ歩き出す。
――沈まない。
いや、それどころか。
走っている。
海面を蹴り裂き、白い飛沫を引き裂きながら、
信じられない速度で進んでいく。
振り返り、声が海に響く。
「よく見ておけ。」
「これが――俺がお前に教える力だ。」
「覚えられないなら――」
その声は、波音に溶けた。
「――ここで死ね。」
クロは拳を強く握りしめた。
もう、迷いはない。
必ず、身につける。
何があっても――。




